あぶく銭、お貸しします~マキの無利息、カネ借りられ日記~ Part2
街中で夫の義正を尾行している泉は、義正が振り返ったので、慌てて木の陰に隠れた。義正は泉に気が付かないようだ。
義正の腕には、しがみつき歩く莉緒の姿が見える。二人は、楽し気に話をしながら宝石店に入っていった。
泉は、二人の様子をウインドーから無表情に見つめながら、何枚も写真を撮っていった。
* * *
小田家のリビングでは、泉が編み物をしていた。
そこに、姑の充江が乱暴にドアを開け入って来る。
「ちょっと泉さん! これ、あなたが解約したの?」
その声に泉が頭を上げる。
「何の話ですか、お義母さん?」
「何のじゃないわよ!」
義正名義の通帳をテーブルにたたきつける充江。
「この4年間、義正に毎月渡してた8万よ。孫が出来た時のための学資貯金」
通帳を手に取り、めくっていく泉。
「こんなこと、なさってたんですか?」
充江を見上げる泉を、再び怒鳴りつける充江。
「しらばっくれないで!」
ムッとしたのか、泉が言う。
「お言葉を返すようですが、そもそもお義母さんのお金なんて当てにしてないです」
「何なの、その言い方!」
「だって、逆にお義母さんの先々を考えて貯金させられてますし」
「え?」驚く充江。
「毎月、私のお給料から義正さんに8万渡してます。彼もお金を足して、お義母さんの老後貯金にしてるはずです」
「そんなの…聞いてないわ」
「残高はネットで確認できるはずです」
パソコンの画面を見つめて呆然とする充江と泉。
「解約されてるじゃない…」充江が震える声で言う。
「そんな…今まで400万は渡してるんですよ!」
「私が渡していたお金と併せて800万以上になるわ。いったいどこへ行ってしまったの?」
「…ここかもしれません」
バッグから封筒を取り出す泉。充江に差し出す。
封筒に入っていた写真を、まじまじと見つめる充江。
「これは…」
写真には宝石店内で楽し気な様子の義正と莉緒の姿が映っている。
* * *
マキの自宅の書斎。マキのデスクに座り、難しい顔で陳情書を眺める亨に、ルンコがコーヒーを差し出す。
「熱心ねえ」
「今月は金を貸す相手候補を僕が選んでいいってことですからね。うーん、やっぱりこれかな」
ルンコが書類をのぞき込む。「えーと、お名前は津枝澪さん」
「これがねえ、優しいお姑さんなんですよ」亨の言葉に力がこもる。「お嫁さんの夢、日本一周豪華クルーズを叶えてあげたいんですって。息子さんと二人分で800万をご希望」
「いるのねえ、こんな素敵なお姑さん。ちょっとジーンと来ちゃうわ」ルンコがうるうるする。
その時、マキが大きなバッグを手に部屋に入って来た。
「ただいまあ」
「お帰りなさい!」声をそろえる亨とルンコ。
「あー、疲れた」
ぼふんとソファに座ると、バッグから土産物を取り出すマキ。
亨とルンコもソファに座る。
「はいこれ、お土産は坂角のゆかり」
「ああ…可愛いよ、僕のゆかりちゃん」箱包みを抱きしめ頬ずりする亨。
「あと、老舗蕎麦屋とやらの商品券もらっちゃった」
マキに差し出された商品券をルンコが手に取る。
「あら。ここ知ってるわ。蕎麦屋だけど小田巻蒸しが絶品なのよ」
「ふーん」不機嫌そうなマキ。
「どうしたんです?」亨が聞く。
「…二人で食べて来て」
「何でですか。一緒に食べに行きましょうよ」
「私、小田巻蒸し、一生食べないって決めてるから」
「ふーん」首をかしげる亨。
「それより亨くん、今月貸す人は決まったの?」
「それでしたら」デスクから書類を取って来る亨。「この人でどうかと…」
差し出された書類に目を通すマキ。
「事情聴取は終わってるの?」
「まだです」
「亨くん、この後、2、3日いないのよね。私がしておくわ」
「はい。お願いします。先方には連絡しておきますので」
* * *
渋谷のコインスペースの一角、目印の白いハンカチを横に置き、紅茶を飲んでいる充江。
スペースに入ってきたマキ、辺りを見渡すと白いハンカチを見つけ、その横に立つ。
顔を上げ、マキに微笑む充江。「ごきげんよう」
「あなたは…」驚くマキ。
「ご無沙汰ね。5年ぶりくらいかしら」
無表情に充江の横に座り、書類をめくるマキ。
「…津枝澪という名前はアナグラムだったんですね。〝オダミツエ〟を並び替えると〝ツエダミオ〟になる」
「だって、本名を書いたら選考通らないでしょ」
紅茶を一口ゆったりと飲む充江。
「それにしたって…」ため息をつくマキ。「普通、私にお金借りに来ませんよね」
「そんなこと言ってられないのよ、いろいろあって」
「仮にお金をお貸ししたとして、その使い道は本当に旅行なんですか?」
「そうよ。それが何か?」
「息子さん、旅行会社にお勤めなんですから、社内割を使えば、二人分300万で十分かと思います。こちらにもお貸しするための条件がありますので」
書類をしまい、立ち上がるマキ。
「では、私はこれで」
立ち去るマキの後を追いかけ、腕をつかむ充江。
「私、お金を騙し取られたの」
足を止め、振り返るマキ。
「それなら警察に行かれたほうがよろしいのでは」
「それができない…したくない相手なの」
無理やりマキを座らせる充江。
憮然とした表情のマキ。
「もしかして…彼が?」
「ええ、そう。しかも、私以外にも被害者がいるようなの」
呆れた様子で苦笑いのマキ。「それは大変なことで」
「あなたの納得できる理由を示せれば、お金と知恵を貸してもらえるんでしょ」
「ええ、まあ」
「とりあえず、他人さまにはお金をお返しして、あの子を何とかさせたいの。このままじゃ、あの子ダメになるわ」
「もう十分ダメな気もしますが」
「私、もう長くないのよ。最後にあの子にちゃんとわからせたいんです」
「…はい?」うんざりした顔で充江を見るマキ。
「私、結局あなたを救ったわよね。それぐらい手伝ってくれても、ばちは当たらないんじゃないかしら」
「そう来ますか」マキが苦笑いする。
「だってあの子とは…息子の義正とは離婚して正解だったでしょ?」
微笑み、紅茶を飲み干す充江。
* * *
小田家のダイニングで、充江、泉、義正の3人が夕食を囲んでいる。
充江がうんざりした表情で泉に言う。
「泉さん…あなた私を殺す気? こんな塩気の濃い味噌汁出して」
その言葉に、泉は充江の汁椀を取り、ポットからお湯を注ぎ、その椀を充江に差し出す。
「これでよろしいでしょうか」
「あら…」
「お、おい!」慌てる義正。
充江が微笑む。「じゃあ、あなたにはビタミンCを追加してさしあげるわ」
泉の汁椀に急須からお茶を注ぐ充江。
「ご丁寧に、どうも」無表情に答える泉。
「ああもう! 二人ともいい加減にしてくれ。もうウンザリだ!」
テーブルを叩くようにして立ち上がり、義正は部屋を出て行く。
静かに立ち上がる泉に紙を差し出す充江。
「じゃあ、泉さん。これ、よろしくね」
紙を黙って受け取ると、泉は部屋を出ていった。
* * *
小田家の書斎。ノックして素早く部屋に入る泉。
椅子に座り、窓の外を見ていた義正、振り返る。
「あのさ、おまえ、もう少しお袋にやさしくできないのか。そりゃあお袋も…」
泉、義正の言葉を遮り、書類を見せる。
「銀行から来てたわ」
「何?」
「市町村合併で住所表示が変わったから、その変更届ですって。ここに署名捺印して」
泉は机の上に3枚綴りの書類を置くと、書類の1、2枚目、下半分をめくって、3枚目の下にある署名捺印欄を示し、義正にペンを渡した。
「これからポストに行くから、一緒に出しておくわ」
「あ…うん」書類を確認せずに署名捺印する義正。
「これでいいか」
「どうなるのかしら」泉がぼそっとつぶやく。
「え?」
「何でもないわ。返送しておくわね」
書類を回収すると、泉はニッコリ笑い、部屋を出て行った。
* * *
街中の大通り沿い。義正が、手を大きく上げ、タクシーを止める。莉緒を車に乗せて札を渡すと、ドアを閉め、小さく手を振る。
義正の後ろに立っているマキが声をかけた。
「あの子が新しいお相手?」
驚いて振り返る義正。
「マキ…!」
「ご無沙汰してます」
「…何の用だ」いぶかしげな義正。
「泉さんにお貸したお金、返してもらいに来たの」マキが微笑む。
「泉に貸した金? 何だそれ」
マキに背を向け、義正は歩き出した。
マキは大股に歩いて義正の横に並ぶ。
「あなたが泉さんの借金、800万の連帯保証人になってるわ」
義正の前に回り込み、借用書を広げるマキ。
「なんだ、そりゃ」
借用書を取り上げ、見つめる義正。
「こんな借金の保証人なった覚えなどない」
「でも、そこにあなた自身のサインと判子があるわ。泉さんに渡したでしょ?」
泉が差し出した書類に署名捺印したことを思い出す義正。
「あ…市町村合併で銀行の住所変更とか言ってたあれ、泉が俺を騙してサインさせたっていうのか?」
「さあ…でもその手の変更手続きは、銀行側がするのが基本。顧客側はしないものよ」
借用書を義正の手から取り上げ、微笑むマキ。
「騙されたんだ。そのサインも判子も無効だ!」
「でもこれ、あなた自身のサインと判子だから、偽造にはならないのよね。それにどうやって騙されたと証明するのかしら」くっくと笑うマキ。
「泉に確認する!」
「仮にそれを証明したところで、親族間のもめごとでは刑罰免除だし、泉さんを詐欺罪には問えないわ。家族間の問題は家族間で解決が基本」
拳をぎゅっと握り、マキを睨む義正。
「…そのくらいの金、工面するさ」
マキがふっと笑う。
「そうそう。充江さん、あの家を売ったお金と貯金で高級老人ホームに入る予定らしいわね」
「え?」
「充江さんのお金は当てにできないってこと」
「何でおまえがそんなこと…」
「返済が滞った場合は裁判所から通知が行きますから、よろしく」
「おい!」
立ち去るマキの後姿を、義正は呆然と見つめた。
* * *
渋谷のコインスペースで紅茶を飲んでいる充江。
その横に、缶コーヒーを手に、マキがやって来て座る。
「今日はどんな御用かしら」充江が尋ねた。
「本当はあなたですよね。彼名義の二つの口座を解約したのって」無表情なマキ。「それと彼が詐欺まがいのことをして、他人からお金を巻き上げていたというのは嘘」
ふっと笑い、紅茶のカップの縁を指でなぞる充江。
「あの子、女に貢ぐのに夢中になって、私の財産を勝手に処分してたのよ。ひどい子でしょ」
マキがため息をつく。
「だから、返してもらおうと思って」
「つまり、泉さんに彼の愛人の存在をちらつかせたのも、解約を彼の仕業に仕立て上げたのも」
「ええ、私」ニッコリと笑う充江。
「で、濡れ衣を着せられた彼は何て?」
「浮気に怒った泉さんが解約したと思ったみたい。それはもう修羅場だったわ」充江がケラケラと笑う。
「泉さんは今どうしてるんですか?」
「義正と離婚して出ていったわ。お餞別に400万、差し上げておきました」
「それ…元々、泉さんのお金なのでは」マキが眉間にしわを寄せる。
「あら。利息を付けといた方が良かったかしら」
頭を振ると、缶コーヒーを開け、ぐいと飲むマキ。
「私のところへお金を借りに来たのは、何か問題が生じた時に私に責任を被せるためですか」
「そう思うなら、なぜ力を貸したの?」
「借金の依頼理由は嘘でしたけど、あなたの話の中に本当のことがひとつだけありました」
「本当のこと?」
「あなたが病気だということです。800万のうち、400万は泉さんへ。残り400万は保険適用外の治療に使うつもりなのでは」
「つまり同情?」マキを見つめる充江。
「私に同情される資格があるとでも?」
「あなた、ずいぶん正直になったわね」充江が笑う。
「ところで高級老人ホーム、もといホスピスは見つかったんですか」
「自宅にいることにしたわ」
「では今回の件、本当の目的は可愛い息子との水入らずの時間、でよろしいですか」
「マキさん。女はもう少しバカなほうが可愛くてよ」
「十分バカだから、かつて小田家に嫁入りしたんです」
「そうそう。お借りした800万は耳をそろえてお返ししておいたわ。口座を確認してください」
紅茶を飲み干すと、軽く会釈し、去っていく充江。
マキは彼女の後姿を見つめながら、缶コーヒーを一気に飲み干した。
* * *
マキが以前、商品券をもらってきた老舗蕎麦店。テーブルには、マキ、亨、ルンコの姿がある。
小田巻蒸しをおそるおそる食べているマキ。
「美味しいでしょう?」ルンコが言う。
「…うん、まあ確かに」
「あ!」
亨の大声に驚くマキ。「な、何よ、いきなり」
「もしかして、マキさんが小田巻蒸し食べなかったの、昔の名前のせいですか?」
「ああん?」亨をギロリと睨むマキ。
「す、すみません」
不機嫌な顔で再び小田巻蒸しを食べるマキ。ふと、手を止める。
「彼女、最期にお詫びに来たとか?…いやいや、まさかね」
「ん? 何か言った?」
ルンコの問いに、マキが大きく首を振る。
「ううん」大きく口を開け、最後の一口を平らげるマキ。「よし、これでオダマキは完全終了!」
(終)
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