薬膳

神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 捌ノ巻~ その3

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  *  *  *

 縞猫荘での華織の話が済んだあと、賢児一家は清流に戻った。

 まだ11時過ぎくらいだったので、玲香が賢児に二人で近辺をドライブしようと言い出し、半ば連れ去られるようにして、賢児は玲香が運転する車に乗った。

「久しぶりですねえ。こんなふうに二人でドライブ」浮き浮きした声で玲香が言う。

「そうだな。やっぱり小さい子どもがいると、家で和江さんたちが見てくれるとわかってても、そそくさと帰宅しちゃうしな」

「それに、やっぱり今日の伯母さまのお話、もう一度二人できちんと咀嚼したいんです」

「正直、俺は全部を全部受け止めきれてないよ。あの子たちを“命”にするということ、ピンと来ないんだ。

 それに、何年も付き合いのある人たちの、知らない面を見せられたというのも、何ていうか、伯母さんと伯父さんが姿をくらました時の混乱に似てる」

「そうですね。…でも、賢児さま。私たち、知らない間にいろんな人たちに守られていたってことです。母がずっと私を陰ながら見守ってくれていたように」

「うん」

「でも悪かったかなあ。子どもたち、お義父さんとお義母さんに押し付けてきちゃって」

 賢児は子どもたちを置いてきたことを心配する。

「爺婆は、孫たちとゆっくり遊べて、今頃大喜びです。きっと」

「そっか。俺がいると遠慮しちゃうかもしれないもんな」

「むしろ、お母さんが私に遠慮するんです。昔、私とは遊べなかったから。私も無意識のうちに、うらやましそうな顔をしちゃうのかもしれません」

「あ…」

「だから、ちょっとだけ親孝行させてください」

 信号を見ながら微笑む玲香の横顔を、賢児はしばらく無言のまま見つめた。

  *  *  *

 しばらくドライブを楽しんだ後、どうせならランチをしていこうということになり、賢児と玲香が入ったのは、いわゆる薬膳料理の店だった。黒と白を貴重としたモダンなインテリアだが、置物が中国をイメージさせるものばかりだ。

「今度清流に帰ったら、ここに来てみたいと思ってたんです」

 玲香がワクワクした様子で店内を見回した。

「薬膳か…日本では食べたことないや」賢児も店内を見回す。

「海外ではあるんですか?」

「向こうにいた時に、ルームメイトが台湾人だったんだよ。彼の実家に遊びに行った時に、ご馳走になったことがある」

「本場を体験済みなんですね。じゃあ、ちょっと意地悪な目でお料理採点しちゃってください」

 玲香がうふふと笑うと、女性店員がおしぼりと水、メニューを持ってやってきた。

「いらっしゃいませ」

 店員は礼儀正しくお辞儀すると、静かにグラスとおしぼりをテーブルに置いた。

「美紗緒ちゃん…?」見覚えのある姿に、玲香が恐る恐る尋ねた。

「玲ちゃん…! あ…ご実家のほうに?」

 美紗緒と呼ばれた女性は驚いた様子で玲香を見つめた。

 彼女は、先ほど華織からの話にも出ていた縞猫荘の後継者、中山弾の父親である関根の恋人で、関根と一緒にアメリカに渡っていたはずだった。

「ええ、清流に帰ったものだから、こちらにお邪魔してみたの。美紗緒ちゃん、アメリカからは、いつ?」

「…ごめんなさいね。お世話になったのに連絡もしないで」

「いいのよ、そんなこと」胸の前で両手を振る玲香。

「静岡に戻ったのは先週なの。ここは叔父がやっている店で…」

「関根さんもご一緒に?」恐る恐る尋ねる玲香。「ごめんなさいね、立ち入ったことを…。実は関根さんの息子さんとお会いしたものだから…」

「そうだったの…」驚く美紗緒。「でも、彼が今どうしているかはわからないの」

「そう…」言葉が続かない玲香。

「ところで、ご注文何になさいます?」

 微笑みながらメニューを広げる美紗緒に、賢児がにこやかに応じる。

「おススメは何でしょう?」

「単品では、セイロ蒸し、カレーなどが人気がございます。ランチコースですと、こちらの2種類になります」

「じゃあ…僕はAランチがいいかな。玲香はどうする?」

「私はBランチで」

「このセイロ蒸しも頼もうか。…じゃあ、この3品でお願いします」

「かしこまりました」

 美紗緒は頭を下げるとメニューをもって奥へ下がった。

  *  *  *

 薬膳ランチからの帰り道、玲香は車の中で小さくため息をついた。

「薬膳はおいしかったけど…美紗緒ちゃんと関根さん、別れちゃったんですね…」

「まあ…女癖はあまりよろしくない御仁なんだろ? 機関の元総帥を連想するな、何だか」

「その手の人って、不思議といつでもフォローする人間がいて、けっこう普通に社会生活送れていたりするんですよね」

「いいんだか、悪いんだかなあ」苦笑する賢児。

「弾さんに話したほうがいいんでしょうか…」

「いや。そこまでする必要はないだろう」

「そうですね…そうですよね」玲香がうつむき加減に答えた。

「玲香が友だちを心配する気持ちはわかるよ。気になるんだったら、伯母さんに相談してみればいい」

「はい」

「この後、もうちょっといいよな。デートしてても」

「どこか行きたいところでも?」

「玲香と俺が出会える機会を作ってくれた原点に」

「もしかして美術館ですか?」

「うん。何となくだけど…これから必要なことは原点に埋まっている気がするんだ」

「わかりました。華織伯母さまの当時のご様子、紗由ちゃんなみに再現しますから」

「“似てなくてよ、玲香さん”て言われるのがオチだぞ」

「賢ちゃん、あなたの目、どこについているのかしら?」

「ははは。似てるよ、玲香」

 賢児が笑うと、玲香も軽やかに笑った。

  *  *  *

 賢児と玲香がデートを楽しんでいる頃、清流でも飛呂之と弥生は、聖人と真琴の“イベント”に夢中になっていた。

「鈴ちゃん、光彦さん、翔ちゃんも、早く早く」

「なんや、弥生ちゃん。俺、おとんと出かけるとこやねんで。明日の食材、うんまいベーコン受け取りに行くんや」

「ごめんなさい…。でも、ちょっとだけ。ね?」

「大丈夫だよ、翔太。あと15分ぐらいなら」

「ありがとう、光彦さん。1、2分で終わるから、見て行ってちょうだいね」

 鈴音、光彦、翔太が通された弥生の部屋では、壁に「ニュースまーくん」という文字がデザインされた布が貼られ、その前には高さ40センチほどの台が置かれていた。

「ん? ニュースまーくん?」

 翔太たちが首をかしげていると、聖人と真琴が行進しながら部屋に入ってきて、聖人が台の上にICレコーダーを置き、スイッチを入れた。二人が台の前に並び、にっこり笑って一同におじぎをすると、レコーダーからバイオリンとピアノによる音楽が流れてくる。

「こんにちは。“ニュースまーくん”のじかんです」きりっとした顔で正面を向く聖人。

「まーくーん!」

 弥生が思い切り手を振ると、聖人はこっくりうなづき、口を開いた。

「きょうのニュースです。まーくんとまこは、じっちゃんと、やよいちゃんと、うらのおにわであそびました。やよいちゃんのクッキーもたべました。おいしかったです」

 淡々と述べる聖人の横で、真琴がニッコリ笑っている。

「次は、まこの“おてんきコーナー”です」

 聖人に言われると、真琴が恥ずかしそうに、きゅっと唇をかんだ。

「あさは、おひさまがニコニコしてました。まこは、まーくんと、おはなにおみずをあげました」それだけ言うと、真琴はぺこんとお辞儀をする。

「まこちゃん、今日これからのお天気はどうかしら」

 弥生が声をかけると、真琴はしばし考えて答えた。

「…えーと…おひさまがめそめそします」

「そう。ありがとう」

「それでは、またあした。“ニュースまーくん”でした」

 聖人と真琴がていねいにお辞儀をすると、一同から拍手が沸き起こる。

「すごいわぁ。まーくんも、まこちゃんも、上手ねえ。3歳になったばかりとは思えないわ」

 鈴音が興奮した様子で手を叩くと、皆同じタイミングでうんうんと頷く。

「できたぁ」

 真琴が嬉しそうに飛呂之に抱きつくと、聖人も弥生に抱きつく。

「二人とも、とってもとっても上手だったわよ」

「うんうん。上手だったぞ。まこは、お天気のお姉さんになるのかい?」

「まこはねえ…いざかやさん」

「え?」一同が真琴を見つめる。

「どういうこと?」

 鈴音が尋ねると、真琴はうふふと笑う。

「もしかして…充んとこ嫁に行くつもりか?」

「うふふ」

 恥ずかしそうに飛呂之の胸に顔をうずめる真琴の様子に、飛呂之、弥生、鈴音、光彦、翔太の5人は顔を見合わせた。

「ねえ、まーくん」鈴音が言う。

「なあに?」

「まこちゃんが、充くんのお嫁さんになりたいこと、パパは知ってるの?」

「しらないよ。だって、まこと、まーくんのひみつだもん」にっこり笑う聖人。

「だったら、その秘密、何でここで暴露すんねん…」翔太が眉間にしわを寄せる。

「父さんが、お天気お姉さんになるのかなんて聞くからよ」

「わ、私のせいなのか…?」

 飛呂之が言うと、真琴が小さく「うん」と答えた。

「ほら」

「おかん…。さすがにそれは無理あんで」

「鈴ちゃん、飛呂之さんは悪くないわ。そんなの言いがかりよ…」

 涙目になる弥生を案ずるように光彦が言う。

「お義母さん、お義父さんは悪くないですから。…で、この秘密どうしたらいいんだろう」

「賢ちゃん、まこちゃんに夢中やもんなあ。知ったら引きこもりになってまうわ」

「そうよね。…じゃあ、この件は、とりあえずここだけの話ということで」

 鈴音が提案すると、一同はしっかりと頷いた。

  *  *  *

「“まこちゃんのお天気コーナー”を聞いておいて正解だったなあ」

 光彦は、激しく降りだした雨空を見上げた。

「せやなあ」

 出かけるときは晴天だったし、天気予報も終日晴れと言っていたので、真琴の言葉を聞くまでは、傘を持っていくつもりはなかったのだ。街行く人も突然の雨の中を走り、ずぶ濡れになっている。

「なあ、おとん。天気予報できるいうんは未来予知なんかな」

「さあなあ」笑う光彦。

「“命”さまが天気よう当てるいう話も聞かんけどな」

「天気というのは災害につながるもの以外は、良い悪いは一概に言えないからなあ。“壱”と“弐”、どちらの“命”が受け取ったらいいのか、わからないんじゃないのか」

「せやな。テレビの天気予報でも、良い天気とか悪い天気という表現は使わないもんな。雨のほうが都合ええ仕事もあるし」

「でも、気になるな」

「何がや?」

「何で、まこちゃんは急にあんなこと言い出したのかな。二人の秘密なんだろう?」

「ほんまやな。いくら俺たちが黙っとっても、賢ちゃんにバレるのも時間の問題やで。今日は何してたか聞くやろ。そしたらお天気お姉さんやったて答えて、あとはじっちゃんと同じルートや」

「だよな。賢児さんのことだから、“さけみつる”を毎日張り込みそうだ」笑う光彦。

「充も難儀なことや。そもそも、“命”さまが充に、まこちゃんを嫁はんにする言うたんやからなあ…」

「え? そうなのか?」

「まだ玲ちゃんのお腹の中にいた時や。それは賢ちゃんも知っとるわ。でも、まこちゃんがその気っつーのはなあ。もちろん充も当たり前のように、それがほんまになる思うてるしな」

「…おいおい、お互いその気っていうのは絶対に言うなよ。それこそ一大事だぞ」

「言わへんがな。俺が叱られそやもん」翔太は大げさに首をすくめた。

  *  *  *

「賢児さま。ここです、ここ。このベンチで加奈ちゃんと話をしてたんです」

 玲香は美術館の庭にあるベンチへ賢児を案内した。そのベンチからだと庭全体のオブジェが見渡せる。

「そうしたら突然、この辺から声がしたんです」玲香はベンチの斜め後ろに立ち、ベンチに向かって声を掛けた。

「お断りになったほうが、よろしいわ」

 華織を真似る玲香。

「で、びっくりして伯母さまを見たら、またおっしゃったんです」

 再び華織に戻る玲香。

「そこは、お断りになったほうがよろしいと申し上げたの」

 賢児の肩が震えているのに玲香は気づいていない。

「そしたら、加奈ちゃんが顔をしかめて……“ちょっと。何なんですか?”って言って…私が話しかけようとしたら、伯母さまはそのまま行ってしまわれたんです」

「似てる…似てるよ、玲香」大声を上げて笑う賢児。

「…笑いすぎですよ」

「ごめん、ごめん」

「でも…あの時は、その後、一人で家に戻って、着替えて多治見にまっしぐらでした。この庭のオブジェもろくに見ていなかったんです」

「じゃあ今日はゆっくり見ていこうな。…でも、前衛芸術ってわかんないんだよなあ。聖人や真琴のつくる粘土と大差なく思えるっていうか」

「そういう時は、副会長さんのように“雰囲気のある作品でございますわねえ”と言っておけばいいんです」

「似てる、似てる」

 再び賢児が笑い出すと、その横を一人の男性が横切っていった。

「賢児さま、あの人…」玲香がその男性の斜め後ろからの姿をうかがう。「似てますよね」

「日下部さんか…?」賢児も彼をじっと見つめた。

「あ。順路の矢印のところで曲がりましたよ」玲香は彼の横顔を見て言う。「やっぱりそうです。間違いありません。でも何だか雰囲気が…」

「よし。尾行するぞ」

「え?」

「気になるじゃないか。作品はまた次回ゆっくり見よう」

 玲香は、足早に歩き出す賢児の後を追った。

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