神様のお守りも楽じゃないわと彼女は言った~西園寺命記 捌ノ巻~ その1
* * *
男がアルバムをめくりながら目を細めていると、コーヒーが運ばれて来た。
「すっかり女の子らしくなられましたねえ、先生」
「私も年かな。彼女の前では、つい警戒を解いてしまう」
「まさかお気づきに?」
「ここ3ヶ月、彼が私の気配を追っている」
「どうなさるおつもりで」
「“禊”と“命”の統合は、この2年、“禊”にとって思ったような成果を出していないばかりか、たいして能力のない者たちが集まって、権力だけを得ようとしている」
「彼らはどうやら“言挙(ことあげ)”のほうにもアプローチしているようです」
「“言挙”をいただいておいて正解だったな。だが…彼らの最終的な狙いは、やはり西園寺の“命”」
「おそらく」
「彼らだけでは西園寺の姫にも、とうてい及ばぬ。愚かな試みだ」
「それゆえ、能力者のレベル、排出率共に、彼らにとって西園寺は脅威なのでしょう。“命”内にも西園寺の突出した力を懸念する一派は以前からおりました」
「西園寺の“命”に野心があるのなら、とっくにすべてを牛耳れているということに、なぜ気付かないのかねえ」
「十分に“覗く”こともできないのでございましょう」
「バカどもに諭しても言葉が理解できないだろうが、このままにはしておけない。誰かが西園寺に手をかければ回り回って…」
男はアルバムを見つめた。
「彼女に危険が及ぶ。それだけは避けたい。どんな手を使ってもな」
男はコーヒーを一口飲むと、アルバムを閉じ、出かける準備を始めた。
* * *
深くため息をつく華織の肩に躍太郎は優しく触れた。
「大隅さんが来てたそうだね。用件は何だったんだい」
「四辻の件よ。彼は確証をつかんだようなの。これが一連の調査結果」
「そうか…」
渡された書類に目を通した躍太郎もまた、深くため息をついた。
「で、どうするんだい?」
「私ひとりで、どうこうしていい問題ではないと思うの。一条の先の宮にご相談してみるわ」
「そうだね、それがいい。風馬には?」
「それが、大隅さんに調査を依頼したのは、あの子なのよ」
「風馬が?」驚く躍太郎。
「ヴィジョンを受け取ったようなの。華音に近づいてきた手を華音が怖がって泣き出して、それを悠ちゃんが払いのけたそうよ。私が関連ヴィジョンを受け取るまで待ってられないと思ったんじゃないかしら」
華音というのは、1歳半になる風馬と澪の子どもだ。華織から一文字取り、かつ“宿”の血を引くことの証として、女の子なので音楽にまつわる文字が使われている。
「手の主が四辻の“命”なのかい?」
「風馬はそう理解したようね。以前から彼が生きていると疑っていた節はあったわ」
「華音が怖がって泣くというのは、やはり気になるな。恐るべき敵と判断したということか」
「そういうことね。雑魚だったら、あの子は自分で払いのけるはず」
「ふむ…」
「だから彼らの“教育”を少し早めるわ。双ツ君は3歳になったらすぐに始めましょう」
双ツ君というのは、賢児と玲香の双子たち、聖人と真琴のことだ。
「小さい子たちに無理をさせるのはあまり感心しないぞ」
「彼らを守るためよ。元“禊”の右派の動向だって鬱陶しかったのに、四辻の“命”まで参戦されたらたまらないわ。いったい何がしたいのかしら、あの方は」
華織は冷めた紅茶をすすると、壁のカレンダーを見つめた。
* * *
「ごめんなさいね、賢ちゃん、玲香さん。こんなところまで呼びつけてしまって」華織は微笑むと、賢児と玲香の前に座った。
「いや、清流に寄るついでと言ったら何だけど、車で10分程度だし。気にしないでよ。聖人や真琴も、おばあさまに会えて嬉しいさ。なあ、聖人、真琴」
賢児が2人の頭を撫でようとする前に、2人とも華織にしがみつこうと両手を上げる。
「おばあしゃま!」
「はいはい、まーくん、まこちゃん。よく来てくれましたね。おばあさま、とってもうれしいわ」
華織の顔がほころんだ。
「おおといの3歳のお誕生日のときは、おばあさま、ちょっとしか会えなかったけど、今日はいっぱい遊びましょうね」
「はい!」
聖人と真琴が声をそろえ、嬉しそうに華織を見上げた。
玲香は双子たちを一人ずつ、華織の左右に座らせ、自分の席へと戻る。
「一昨日は、せっかくのお祝いの席を、私も躍太郎さんも早々に失礼してしまってごめんなさいね」
「伊勢からの急な呼び出しだったんだから仕方ないよ。そっちは大丈夫だったの?」
「伊勢の関係者の女の子がひとり、行方不明のようなの。探してほしいらしいわ」
「“命”って、そんなことまでさせられるの?」
「西園寺保探偵事務所にでもお願いしようかしらね」微笑む華織。
「まーくんが、さがすよ!」
聖人が手を挙げると、真琴も手を挙げる。
「さがすよ!」
「わかった、わかった。おばあさまを手伝ってあげような。…でも、伯母さん。今日呼ばれた場所が、どうしてここなの? て言うか、いつのまに建てたんだよ」
「ここは以前、縞猫荘があった場所ですよね。また、こちらで“宿”を始められるんですか? “雀のお宿”は律子伯母さまが面倒を見ていらっしゃいますよね。こちらは関根さんの次の後継者が?」
「さすが玲香さん。よく覚えていたわね」
華織が楽しそうに微笑む。
「そう。私は以前、あなた方に言いました。縞猫は関根さんの次の代の後継者が再興すると。それも含めて、あなた方に話をしたいと思ったから、ここにお呼びしたの。
…まあ、着いたばかりだし、とりあえず、お茶でも召し上がって。まーくんも、まこちゃんも、おいしいお茶とお菓子をいただきましょうね」
華織が言うと、巫女姿の女性がお茶を運んできた。
「話はそれから」
「いただきまーしゅ!」
聖人と真琴が差し出されたビスケットに嬉しそうに手を出すと、華織は2人の頭を優しく撫で、目の前の紅茶を満足そうに口にした。
* * *
ひと時のティータイムの後、賢児たちが案内された部屋は、100畳はあろうかと思われる広い板の間だった。部屋の前方には、まるで神殿のような壇が備えられている。
双子たちは、扉が開けられるなり、その広さに驚き、きゃーきゃーと声を上げながら部屋を走り回り始めた。
「あ、こら。まーくん、まこちゃん。ダメよ、静かにしていらっしゃい!」
玲香が叫ぶが、二人はまるで意に介さず、広間の四方に置かれた白虎の像に触ろうと、ぐるぐる部屋を回っている。
「おっきいネコしゃーん!」
「ネコしゃーん!」
「いいわよ、玲香さん。好きにさせておいて」
「…すみません」
「二人は風馬に面倒を見ていてもらうわ。その間に、こちらで話をしましょう」
華織が言うと、後ろのほうにある扉から風馬が現れ、双子たちのところに小走りに駆けていった。
「じゃあ、お二人はあちらへ」
華織が壁にあるボタンを押すと、壇の下座側の壁が横にスライドし、さらにその奥に別の部屋が現れた。
「こちらが控え室になります」
控え室とは言うものの、それでも20畳くらいはある洋間で、中央には直径2メートルほどの円卓が置かれている。
賢児も玲香も、この建物が何か特別な空間だということは感じ取ったのか、少し落ち着かなさげに部屋を見回していた。
「さあ、お座りになって」
賢児と玲香は、華織が手で示した席に座ると、姿勢を正した。
「あなた方をここへお呼びしたのは、説明しておくべきことがあると思ったからです」
「それは、あの子たちも含めた“命”関係のこと?」
「ええ、そうです」
「何か不思議だな。親父ですら“命”関連のことを詳しく知ったのは、結局、紗由の一件があってからなのに、俺と玲香が何かを教えてもらうなんてさ」少々警戒心を見せる賢児。
「本来、“命”に関することは、たとえ家族といえども、何から何まで話すわけではありません。“力”を持っていようが、それは同じです。私も保ちゃんに対して、そうやって接してきました。
ただ、そうは言っても、保ちゃんの場合は、そもそも“力”が強かったから、私が封じても、“力”を持った人間が傍にいる限りは、いろんなことを感じ取っていたはず。中途半端に物事を理解しながら、いい歳まで過ごしていたってことね。その点は申し訳なかったとは思うわ」
「そんなふうに、“力”のある親父にも教えてこなかったことなんだよね。しかも、俺はいったん石によって“力”を開かれたにもかかわらず、伯母さんが封じてしまっている。その俺に教えようとする理由は何?」
「いやあねえ、もう。その追求の仕方、涼ちゃん、そっくり」華織が笑う。
「伯母さん、まじめに聞いてるんだよ」
自分の子どもたちに関わることだと思ったからか、賢児の口調が珍しくきつくなる。
「ごめんなさい、賢ちゃん。別にからかったわけじゃないの。いざという場面で、兄弟の反応って、よく似てくるものだと思っただけ」
華織は、しばらく円卓の中央あたりをじっと見つめていたが、その眼は、やがて賢児の目をしっかりと捉えた。
「まずは聖人と真琴の今後についてです。今後、月に2回程度、私に教育をさせてください」
「それは“命”になるための準備ということですか?」玲香が尋ねる。
「正確に言うと、なった場合に備えての教育です。今の時点では、必ずしも、なるとは言えませんので」
「ならない場合もあるってこと?」
「ええ。“力”が出てくるのは確かですが、だからと言って、全員が“命”になるわけではありません。そういう意味では、現時点で確定している子どもは龍だけです」
「何で、なるかならないか今はわからないのに、そんな教育をするの?」
「“弐の命”になった時、人にもよりますけど、その受け取り方が、よりリアルなタイプだった場合…つまり私のようなタイプは、かなり苦痛を伴うことがあります。それを回避するためのレッスンです」
「回避することが可能なんですか?」
「100%とは言えないかもしれませんが、受け取るものはイメージですから、その形の作り方をコントロールできるようになればいいんです」
「それは例えば…最初からモザイクが入ったテレビみたいなものでしょうか?」
「玲香さんたら、面白いこと言うのねえ」華織は声高らかに笑う。「まあ、そんなところよ。あとはそうねえ…私の場合は、人間が起こしたことは、リアルに人間の姿で受け取っていたけど、擬人化して動植物に姿を変えて受け取るとか」
「そんなことできるの?」驚く賢児。
「暗号化して置き換える。けっこう日常でやっていることよ。ただ、私が最初に“命”になった頃は、“弐の命”は苦痛を伴うからこそ優遇され、その一族もかなり守られていたと言えます」
「優遇というのは、“壱の命”に比べてという意味でしょうか」
「そうね。精神的にダメージを受けた時のアフターケアが、かなり重篤なの。私はさほどお世話にならずに済みましたけど」
「伯母さんがたくましい人でよかったよ」真面目な顔で言う賢児。
「それはどうも」華織が少しツンとした表情になる。
「まあ、とにかく、これからはもっと“命”のことを人間らしく扱う教育の元に育成したいんです。軍隊に召し上げるみたいな、そういうやり方ではなくて、それぞれの個性を見極めたやり方でね。その方が結果として、より精度の高い“力”の発現に寄与できます」
「前におっしゃっていましたよね。“命”の力が落ちてきていると」
「ええ。私が把握している限り、現在の“命”の大半は、紗由より力がありません」
「その比べ方、あまりピンと来ないけど、伯母さんの目からは力不足なんだね」
「ええ。私はこのままでは死にきれません。もっと後輩たちにしっかりしてもらわないと」
「俺たちに出来ることはあるの?」
「ありません」
「…ありません、て…じゃあ、どうすればいいんだよ」賢児が笑う。
「そうやって、笑っていてくれればいいの、賢ちゃんは」華織も笑う。
「そして西園寺家に関することです。正確には、“命”の血筋としての西園寺家に仕える人たちのことかしら」
「龍が言うところの“おばあさまの配下”ってこと?」
「そうよ。でも、あなた方、詳しくはよく知らないでしょう?」
「伯父さんの警備会社から配置されるSPのことかと思ってたけど…」
「もちろん彼らもその一員よ。でも、それ以外にもいろんな業務に携わっている人たちがいるの。そういう人たちのほうが割合としては多いかしら」
「伯母さまが“命”のお仕事を遂行される、いえ、昔されていた時も含めて、そのバックには組織的に人が配置されているわけですか?」
「一言で言えば、そういうことね。“命”の仕事をまっとうするために必要な諸々の事をしてくれる人たちよ。
例えば、“命”には、それを診る専門の医者がいます。彼らは“神命医”と呼ばれているわ。
それから、“命”は神の言葉をイメージその他として受け取るわけだけれど、“壱の命”は吉事、“弐の命”は凶事というふうに、一応分業させられています。
でも、人間の視点に立つと、他の人たちに伝える時に、吉凶の判断が難しいイメージも多々出てきます。
そこで、吉凶の隔てなくイメージを夢として受け取って、“命”の判断材料にする、そういう補佐をする人間もいます。“それが“夢宮”です。ここまでで質問あるかしら?」
「その医者って、もしかして村上先生? 今お世話になってる花園先生もそうなのかな」
「当たり」
にっこり笑う華織。
「“神命医”も全国的にけっこうな数がいるわ。ひとつの血筋に最低一人いるから…そうね…今は30ぐらいの血筋と50人くらいの“神命医”かしらね。お二人以外にも、ホームドクターではない形で西園寺家に接触しているドクターがいます。一人は後で紹介します」
「“夢宮”というのは、夢での予知に特化された能力者ってことだよね。西園寺の血筋なの?」
「いいえ。うちの場合は違いますけど、血筋の者があたる場合もあります。その任命は“命”が推薦して、機関が承認する形よ。
ついでを言うと、“神命医”のほうは、通常の国家試験合格後に研修期間と試験を経て、機関と“命”が任命します」
「“夢宮”も後で紹介してくれるの?」
「ええ。紹介するわ」
微笑む華織。
「この二つの職位の他にも、普通の会社のように、いろんなお仕事の人がいます。例えば…西園寺家のことを探ろうとしている相手に対して防御を図り、逆に調査するような係だったりね」
「コンピュータに精通した人を使っての情報戦なんかもあるんですか?」
「あります。だから、私のSEは、かなりの腕利きよ」華織は不遜な笑みを浮かべた。
「ふーん。うちの高橋渉くんと、どっちが上かな」
賢児が玲香を見ると、華織は「さあ」と言いながら、話を次へ進めた。
「そして、そういう諸々のお仕事に就いている人たちを取りまとめて動かす人間が“命宮”です」
「メイグウ?」
一瞬、その漢字が思い浮かばなかった賢児が繰り返す。
「ミコトにミヤでしょうか?」確認する玲香。
「そうです。会社の社長…というより、総合マネージャーといったところかしら。
やはり、“命”が推薦の上、機関による試験を経て認定されますが、今現在、この職にある人間は全国で3名だけです」
「それは、難関だってこと?」
「そういうこと。“夢宮”や“神命医”の仕事を把握し、場合によっては指揮することもあります。“命”に次ぐ力がなくてはできないから、なかなか成り手がいないのよ」
「ということは、やはり“命”の血筋ということでしょうか?」
「いいえ。“夢宮”同様、血筋の者でなくても構いません。“命”が力を伝授し、それを受け止めるだけのポテンシャルがあればね。ただ、何十人もの人間を近くから、遠くから、いろんな形でまとめあげなくてはいけないから、私よりよほど激務だわ」
「能力的にも、体力的にも、それから人格的にも優れた人でないと無理ですね。その人が悪い人だったら、“命”も家も危機にさらされます」
「そう。その通りなのよ、玲香さん。だからね、“命”の血筋としての西園寺家にとっては、まさに要なのよ、その存在が」
珍しく力説する華織を見て、賢児が思わずクスリと笑う。
「伯母さん、その人のこと、大好きなんだね」
「ええ。躍太郎さんも私も彼が大好きで、養子にしたいと思っているんだけど、自分はあくまで仕える身だからって、首を縦に振ってくれないのよ。まあ…そういうところが、いいところでもあるんだけど」
「その人も紹介してもらえるんだね?」
「ええ。今日、紹介するのは全部で4人。“命宮”“夢宮”“神命医”、そしてこの宿の主人よ。なぜ、この宿にあなたたちを呼んだのかは、宿の主人から説明してもらいます」
華織はサイドテーブルの上にあった呼び鈴を鳴らした。
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