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🙏鈴と童子と道元と🙏


「仏道をならふというふは自己をならふなり。
 自己をならふというは自己をわするるなり。
 自己をわするゞといふは、万法に證せらるるなり。
 万法に證せらるるといふは、
 自己の身心をよび他己の身心をして脱落せしむるなり」




歓喜童子を描き続ける治海の最新作が出版されました。
12月8日に発売です。



歓喜童子 道元 山尾三省—-解題する
長屋のり子


プロデュースをされた長屋のり子さんのお赦しをいただきましたので、
後書きを引用させていただきます。

歓喜童子が鈴を振る。兄山尾三省は彼岸の人になって、もうはや二十一年。
それでも今も、治海の歓喜童子の鳴らす鈴の音に深く微笑む。兄が胸の中で呟いているのは、北原白秋の詩だ。

  真実、諦め、ただひとり
  真実一路の旅をゆく
  真実一路の旅なれど
  真実、鈴ふり、思い出す
      (北原白州「巡礼」)

野の道をゆっくり歩きながら、兄は胸の鈴を振る。海の青を眺めやりながらまた胸の鈴を振る。寂しい巡礼道を、鈴を響かせつつ歩んだ。治海の描く鈴に巡礼の聖諦、静謐を見ていたのだ。
治海の描く歓喜童子の鈴は「親和力」「創生力」の魔術を持つ。夢見るように兄の鈴振り求めつづけた究極至上の思想、道元「正法眼蔵」にやっと辿りついた。(歓喜童子シリーズ
第一集 一遍上人、第ニ集 般若心経、第三集 親鸞歎異抄をこれまでに刊行)

 輝く天上の風を引き寄せ纏い、縦横無尽、変幻自在に超飛翔して、聖音を私達に童子は降ろした。何度も噛みしめて、噛みしめ直して、道元の「現成公按」の深遠の言葉「仏道をならふというは自己をならふなり」を脳に臓腑に送り込んでほしい。必ず知の種は私達の体内の水を吸ってふくらみ発芽する。
 その格調高い呼吸を私達に刻み、教えるために歓喜童子は今日も鈴を鳴らす。
あとがきより転記


山尾三省 仏道をならふといふは ーー道元ーーー


 日本の最も深い思想家は誰であるかと考えれば、私はためらわずに道元禅師を挙げる。また、最も深奥を極めた禅者は誰かと問えば、これもまた道元禅師を挙げるほかはないだろう。道元には、もう一人の深淵である親鸞上人にはなかった中国大陸の山脈や平野が、思想の大陸性として呼吸されているからである。
 道元とは、ひとりの人の名でありながら、このほぼ三十年間、親鸞とならんで私にとっては最も深い森であり、山脈のような存在でありつづけてきた。
24ページより引用)



「仏道をならふというふは自己をならふなり。自己をならふというは自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に證せらるるなり。万法に證せらるるといふは、自己の身心をよび他己の身心をして脱落せしむるなり」
 いかにも格調の高い呼吸であるが、ここで述べられていることは、私たちの宗教関心を、宗教に限らずもっと広大な社会領域へ導き出す作用をも秘めている。というのは、自己というものが関心の中心に挫えられているからには、次のようなことばもまたおのずから成立し得てくるからである。
「哲学を習うというは、自己を習うなり」
「社会経済を習うというは、自己を習うなり」
「科学を習うというは、自己を習うなり」
  つまり、社会的に存在するあらゆる分野において、それを習うということは、究極には自己を習うことを意味し、自己を習うとは自己を忘れることを意味し、そしてその次が何よりも大切なことであるが、自己を忘れるということは万法に証せられることであると、提言することができるからである。 
33ページより引用)


山尾三省さんは1938年、東京神田で生まれました。
早稲田大学に在学中より、さまざまな活動をされ、対抗文化コミューン運動、インド・ネパールの聖地巡礼、無農薬野菜の販売を経て、1977年に家族と共に屋久島に移住され、晴耕雨読の日々の中で詩作、祈る暮らしを続けられ、2001年に逝去されました。



詩人の長屋のり子さんは三省さんのたったひとりの妹さんです。
私は治海を通して、のり子さんと運命的な出会いをして
ずっと親しくさせていただいています。




道元禅師の生涯

ここで少し、道元禅師を紹介します。



鎌倉時代(1200年)に京都の名門公卿の家に生まれ、
幼名は信子丸でした。
8歳の冬に母を亡くし、世の無常を感じ、12歳の春には出家し、
仏法坊道元と名乗り、比叡山で修行を始めます。
仏道を求め、修行に励んでいましたが、
ある時、「宋の国に渡り、お釈迦様の坐禅を正しく伝える禅の教えを求めたらどうか」という助言を受け、宋に渡りました。

そこで、早々に船着場ではじめて会った老僧に
「おまえはまだ修行や経の文字とは何かわかっていない」と言われます。

そこで、
「修行とは何か。経の文字とは何か」について考えていきます。
そして、理解します。
「修行とは目の前にある生活そのもの」
「経分とはただの文字だが、行ずれば仏だ」と。

元々悟りを備えていても、修行しなければ悟りは現れず、
修行と悟りは切り離せない、同時にしかあり得ないものなのです。

宋の国の寺を回るうちに道元はついに正師となる
如浄(にょじょう)禅師と出会い、修行を深め、
ついに仏法を受け継ぐことを許されました。
そして悟りの上にも不断の修行を続けました。

帰国すると、それまでの坐禅のやり方や作法を、
お釈迦様直々の正しい方法の変えていき、
「正法眼蔵(ショウホウゲンゾウ)「典座教訓」などを残します。

43歳の頃、俗弟子であった波多野重公の招きにより越前に地の赴き、
翌年、「大仏寺」を開きます。これが永平寺となります。
如浄禅師の教えに従い、正しい仏の教えを伝え、
行うものを育てました。

永平寺を開いた約10年後、
病の倒れた道元は京都の俗弟子の館で治療を受けますが、
53歳でなくなりました。


かのジョブスにも大きな影響を与えた禅。
道元禅師は今のマインドフルネスの元祖ですね。





墨絵師 治海


 出会いは50年前の夏でした。
鮮烈な個性の持ち主であった治海は私の二つ年上で、
以来、ずっと私の前をひたひたと歩いています。

好きな作家は坂口安吾、とりわけ『夜長姫と耳男』がお気に入り。

行った国は、エジプト、ギリシア、ケニア、
ニューカレドニア、セーシェル他。
興味の対象も違えば、
音楽も、文学も私とは全くと言っていいほど、
趣味が違います。
でも、不思議に「馬が合う」ので、
50年も交友が続いているのだと思います。



一遍上人から始まった私の旅も、
これで終わりなのかと思いきや、
否、ここから始まるのです。

鈴が鳴ったのですから。

鈴の音色に導かれ、私はどこに行くのかしら。

       時空を超えて歓喜童子の
         鳴らす鈴を
        静かに山尾三省が聴く
         道元が聴く
        山尾三省、夢見つつ深く
         道元を大地に植える
       「自覚の」の開花、謳歌


あなたにもきっと鈴の音が聞こえます。
そうしたら・・何かはじめてください。

鈴なり・・・皆で鈴を鳴らしながら
一緒に歩んでいきたいですね。

鈴なり。
鈴なり。。
鈴なり。。。




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