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理解力を身につけるためのコミュニケーション

今日は超褒められて、ちょっとほろ酔いで、気分うきうきである。

友人と飲みにいった。
私は生き方、感情コントロール、パートナーシップなど、それぞれの関心ごとについて

自分はどう考えるのか、意見を交換しながら(少々理屈っぽく)話し合うのが好きだ。

途中、相手が話をしながら、伝えたいことがうまく伝えられない、と言い淀んだ感じになったので

これまで聞いた情報や、聞きながら感じ取った雰囲気を踏まえて
「それはこういうこと?」と自分なりに理解したことを言語化して聞いてみたら

「そうそうそれ!理解力がすごいね」

と褒めてくれた。

そんな場面が何回もあり、
「あぁ私は的確に人の話を理解できる能力があるのだ」と、嬉しくなったし、すごく自信になった。


実は理解力については、ちょっとしたトラウマがある。

新卒で勤めたのは病院関係。
ドクターが絶対的トップの、超ヒエラルキー社会。

そこには会社でいう社長的存在のドクターがいた。
そのドクターと、コミュニケーションが全く噛み合わなかったのだ。

ドクターは二度聞き確認されるのが嫌いな人だった。
彼が言ったことを十分に理解しきれず、
「こういうことですか?」と聞いたら

「なんで一度で理解できないんだ!?確認するな!一回で理解しろ!!」と怒鳴られた。

何度かそんなことがあり

「私は理解力がないのかもしれない」

と落ち込んだこともあった。

今となっては超理不尽だと思うけど、
否定的評価が積み重なると、自己認識をも歪めてしまう。

人と人が完全に理解しあうことはできないけど

自分と他人は違うのだという前提と
理解しあおうとする気持ち、言葉で伝え確認しあう行動を重ねれば、かなり近づく。
理解力も身についていく。

でもそれは、一方の意識だけでは不十分。
誰もがその意識を持てるようになれば、もう少し世界は優しくなるんじゃないかな、と思っている。

#日記 #エッセイ #コミュニケーション #理解力 #分かり合えないことから #認識

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