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沢山の方に支えられて

先日発売になった石橋睦美さんの新作写真集のライブを見ていて、自分のライブ配信のことを思い出しました。本当に素敵なスタッフたちです。そして、こうして自分の写真集のために動いてくれる人々がいることが奇跡ですね。10年前には想像も出来なかったことです。

ところで、いつも僕が愛用している帽子を作ってくれている林愛さんが、とてもとても素敵な感想を書いてくれていたので、皆さんに読んでいただきたいのです。このレビューを見て、僕自身ドキっとしました。

林さん、本当にありがとうございます。

夢のような瞬間、瞬間を、ひとつひとつが奇跡の体現のような現象を、拾い集めて、一冊の本の中に満杯になるまで詰め込んだような、壮大な立体の奥行きある奇跡を、二次元に変えて折り畳んでしまった、そんな印象を受けました。お話を聞いていて。ひとつひとつが奇跡のような、もしかして一生の間に、普通の人だったら一度も目にすることができないような、出会うことすら稀な現象を、あたかも、こんなことは普通ですよ、くらいの密度で詰め込むものだから見ている人としては、奇跡が、奇跡でなくなっていくような感じすらする。だが よくよく聞いてみると、この一冊は、中西さんの10年間の集大成と言われるではないか。シャッターを切る1秒1秒の気が遠くなるほどの積み重ね果てしない1秒1秒の堆積の結果 なんだとお聞きするとその一冊がどれほどの濃度の 全て蒸発し尽くして 最後に現れた結晶なのかと思うと少しゾッとする。そしてそのゾッとするほどの濃度の結晶の証 についたタイトルが「これは全て幻なのかもしれない」思わずその意図に驚いて言葉を無くす。そのタイトルに 背筋さえ冷たくなるような気がした。明らかに中西さんは 読み手の反応を楽しんでるって気がした。

中西さんがいつも言われるように勝手に読み込んでもらったらいい。受け取り手によってそれぞれリーディングした時の見えてくる情景が異なってもいいと。何度か動画を見直して中西さんのこの題名に込められた思いと私の解釈にずれがあるのかもしれないけれど。私はこの題名に中西さんがこの10年に積み上げてきた果てしない1秒1秒の繰り返しをそしてここにそれを凝縮結晶化し証として残したそのものをそれ自体を「それは全て幻なのかもしれない」と言い切ることのできる腹の座った感じというか それとも遊びきる余裕というかそれともなんだろう色即是空そのものなんだろうか。私自身が例えば10年間作り上げてきたもの全てを幻だった、それはすなわち全て空である。と考えることは居た堪れなさすぎてできない。そう言い切ってしまうところに中西さんのこの10年間の結晶がそれはすなわち全て空である。と言い切ってしまってもいい、と思う、覚悟を感じるしそれはなぜかというとこの先に見えているビジョンがきっとこの10年よりももっと素晴らしいものだと言い切れる自信があるからなのかもしれない。

どうですか。なんだか自分の言葉ではないところで、ふわっとイメージが膨らんでいきます。本当に素敵なレビューです。

当日のライブ配信の様子はこちらからご覧になれますので、見逃した方はぜひ。

写真集はこちらから、まだ購入いただけます。


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