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【いつかはいつかじゃなくなる。そんな瞬間、味わったことありますか?】


永遠に明日が来続けることなんかなくて、
自分も大切な人もいつかこの世を去る。

志村けんさんも岡江久美子さんも例外なく亡くなった。

それがいつだか分からないから
僕たちは今を後悔なく生きなくちゃいけない。

6月末。僕の故郷。山口県周南市徳山に帰省した。もちろん陰性でね。

ある場所に行きたかった。

祖父のお墓と回天記念館(人間魚雷「回天」が展示)

祖父のお墓からお話をすると
謝りたかったからだ。

今、MORIWAKI Videoという親に対する想いをDVDとしてカタチに残すギフトサービスをしている。
このサービスは「僕が亡くなった祖父に感謝を伝えれなかった後悔」から生まれているサービスなんだが、
これを僕のストーリーの一部。MORIWAKI Videoの一部にしている自分が許せなかった。
取り繕っているわけではない。でもなんだが、毎回毎回祖父の話をしている自分が心を蝕んでいる感覚に苛まれていた。

おじいちゃんは苦しくないだろうか。
怒ってないだろうか。

ある意味、自分の心に重荷を背負っていた。

お墓に行ったのは1年ぶりで
お墓に冷たいお水をかけてやった。まるで祖父の背中を流すように。

両手を合わせて指先から足先まで感覚を研ぎ澄まして、
心から「ごめんなさい」と目の前にいる祖父に語りかけた。

何も言わないが、見守ってくれているんだと思う。その温かさは感じる。祖父は愛情深い人だから。
いつもありがとう。

次の日。
回天記念館に行った。目的は、死を覚悟した軍人さんが書く、両親への手紙だ。

周南市内にあり、大津島という離小島。1人、早朝。フェリーに乗った。

大阪にいるので鈍感になっていた心フィルターが
だんだん薄くなり、海風を浴びながら、心地よい気分でで現地に着く。

回天記念館は人間魚雷「回天」が展示されていたり、
アメリカ軍に自分の命とともに魚雷で突っ込む前に、両親への手紙を書き残したものが幾つも展示されていた。

僕は字からさまざまな感情が伝わってきた。

覚悟・決意・哀しみ色々とね。

検閲が入っているので本音は記すことはできないだろう。
そう思って発言しただけで当時は罰を受けてきた時代でもあるので・・・。

たくさん手紙が展示されている中で一枚。僕の心は揺れた。

「父上、母上へ〜〜〜〜〜」と始まっていた手紙。
でも最後に「パパ・ママありがとう」と筆を震わせながら書いたんだろうと想像できる手紙。

死を覚悟した青年の最後の一文は僕の心に刺さり、涙が溢れた。

当時の当たり前が僕らの当たり前と180度違うので
全く想像ができない。

でも、少なからず僕みたいな若輩者にも伝わってきた。

結局、この記事で何を伝えたかったかというと

「いつか死ぬってこと」

だから後悔を増やす生き方をしない。ということ。

自分も自分の大事な人もあとどれくらい生きるかなんて全然わからない。
あと70年生きるかもしれないし、明日死ぬかもしれない。

こればかりは予想できない。

今日できることは今日に。
今日伝えれることは今日に。

誰かの後悔を1人でも減らせたらいいなと思って
僕にできることは、このMORIWAKI Videoで想いを届けることだ。


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