人生を振り返りながら自己紹介
こんにちは。
今日は、木原がどう25年間生きてきたか発信します。
タイトルの通り人生を振り返りながら自己紹介をしようと思います。
1994年7月20日生まれで今年26歳になります。出身地は「岡山県倉敷市」とにかく田舎です。虫は多いし色んな鳴き声するし、田んぼ&畑しかない町。自然豊かな場所で育ちました。
幼少期
とにかくわがままで自由奔放、泣き虫な大クソガキでした。じっとしていられない子だった自分を母親は病院に連れて行った方が良いのかもしれないと悩んだほどだったそうです。ただ小さいころから走ったり外で遊ぶことは大好きだったのでとにかく活発。足だけは速かった。年長になり親の勧めでスイミングスクールを始めましたが最初は溺れ泣きじゃくりの日々がほぼ毎回。幼少期はこれくらいしか覚えていません。見ての通りタダのくそ大ガキ野郎でした。
小学校
小学生になった木原は、陸上、サッカー、ソフトボール、ダンス、水泳を習うようになります。(母の勧め)今思えばめちゃ良い経験、おかんありがとう。その中でも、サッカーと水泳はメキメキと成長を遂げ、水泳では岡山県大会で1位、2位を争う程までになり(平泳ぎ)サッカーでは岡山県トレセンにまで選出されこの時期からもう天狗状態。今思えば正直小さい枠の中で調子乗っていたなと本当に心から思います。いわゆる「勘違いプレイヤー」ってやつです。上には上がいるという事すらしらずに…。
中学校
中学校に入ってからは、水泳かサッカーどちらかに絞ろうと家族会議が行われ、水泳の方が圧倒的に成績が良かったのに自分はサッカーを続けることを決意。オオ天狗の木原は岡山県で一番強いクラブチームに入りたいと言いだし当時岡山県内で負けを知らないクラブ。代表的なプロサッカー選手の輩出で言えばサンフレッチェ広島の青山敏弘選手が在籍していたクラブチーム「ハジャス」の10期生としてチームに入る事を決めました。
「いやいや岡山県で一番強い言うてるけど」
「大したことないやろ」
「俺が一番やろ」
的なスタンスで門をくぐったわけです。初めての練習参加当日。会場に到着すると衝撃がおきる…
「え?」
「なにこれ」
クラブの選手たちはグランドを軍隊のように走り続けていて、超絶急な坂を何本も往復してるやつがいたり、クラブハウスに到着すると「お前喉にスピーカーでもつけてんのか?」って思うくらい挨拶してくるやつもいるし、とにかくサッカーをする前からビビり、威圧感に圧倒されてしまいました。サッカーをする以前に人間としての部分を成長させてくれましたし、とにかくメンタルが鍛えられました。岡山弁で言う
「ばんこつよーなった」
個人の成績としては試合もずっと出場できたし、中国地方トレセンにも選出して頂き良い経験ばかりさせてもらいました。そんな軍隊クラブチームの同期にサッカー選手としてはもちろん男として尊敬できる仲間がいました。実名を出すと本人が調子に乗るので書きませんが。とにかくこいつにボールを渡しておけば点を決めてくれるし、なんなら同じチームの右サイドバックの選手はその選手しか見てないし絶対今そいつへのパスコース無いじゃんって場合でも強引にパスしてしまうくらい周りに与える影響力半端ない奴でした。
結果「彼は、サンフレッチェ広島ユースに入団するくらいの男になりやがった。」
当時は、そいつに負けたくないと思ってたし一対一の勝負でも誰にも負けないって気持ちで三年間頑張ってきました。
「結論あきらめない気持ち」
「とーにーかーくメンタル強くなった」
まだ中学時代までしか書いてませんが少し長くなりそうなので「人生の振り返りpart2」で高校生から社会人、そして今現在の自分を近々投稿していこうと思います。
理由
「長すぎると見るのしんどいって奴がたくさんいるから。」
感謝
皆さんからのTwitter&Instgramでの反響・コメント胸キュンするくらい嬉しいです。これからもドシドシ待ってます。
最後に一言
「やるか・やらないかではなく」
「やるか・やるか」
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