人生を振り返りながら自己紹介part3

こんにちは。

前回のpart2では、「高校生編」を書かしてもらいましたがどうでしたか?中にはLINEで感想を送ってくれた方もいました、最高に嬉しいですありがとう。

では、早速始めます。

大学生

木原は、大学生に入学してもサッカーが頭から離れません。

「つーか、サッカーしかできないやーつ」

木原は岡山県が大好きという事もあり、大学進学も岡山県にある体育大学のサッカー部に入部することに決めました。この時の木原は自信満々で

「俺全国大会出てますけど?」

「高校でバチバチ出てたし?」

「副キャプテンやってたし?」

「まあ負けるわけないでしょ。的なスタンス」

初めての練習会

「あれ?」

「ここジャングルか何か?」

「死ぬほど部員おるやん」

そうなんです部員が250人もいるサッカー部だったのです。野球で例えると7軍まであるわけです。シンプルに考えてください250人の中の11人がトップのスタメンですよ?皆さんそれぞれ価値観はあると思いますが、いくら中国地方の大学だといえども、僕にとってのハードルは高かったです。

木原の1年目はBチーム(Iリーグ)からのスタート。

当時Iリーグのカテゴリに一年生は5人くらいしかおらず雑用の毎日だったような気がします、「木原は雑用大嫌い人間だったので基本動きませんでした…」試合には出られない事の方が多かったですが、たまに出場機会をもらえていたので悔しい思いは、もちろんありましたが必死になり周りの選手に離されないように頑張っていた気がします。

木原の2年目は社会人チームというカテゴリでスタート。

Aチームからの声は全くかからない。ザワザワした気分だが置かれた場所で置かれたチームで全力でやるしかないと心に火を着けたと思われたが……。

木原はなぜか筋トレにハマってしまう。

授業の空き時間・練習が始まる前・練習が終わった後。とにかく時間に隙間が空くと大学にあるジムでひたすら筋トレしてました。気づいたら「胸筋パツパツ・腕ゴリゴリ」ベンチプレス97.5キロまで上げれるようになっていました。サッカーに使える筋力は全くつけていなかった為、プレーをすると体が重たくて仕方がない。

タダの「ダルおも筋肉大くそ馬鹿野郎」になっていたのです。

そんなこともありましたが2年生は、基本的にスタメンで出場できたし、岡山県社会人ベストイレブンに選出していただき表彰されるくらい充実した1年間を過ごし、結果もリーグ優勝・中国社会人リーグ昇格

木原3年生は、同じ(社会人)カテゴリに残留。

社会人リーグは3年生の時に初の中国社会人リーグに昇格した為、より一層相手チームも強くなったし、現在で言えばJFLに所属している松江シティなど昇格前だったので、レベルが昨年に比べると遥かに高くなりました。シーズン立ち上がりは負ける事が多くチーム内での喧嘩や考え方の違い等、言い出せばきりがないくらい激しくチーム内でぶつかり合いました。結果残留は出来たけどチームで何か一つの目標に向かって一丸となっている感は全くありませんでした。ある意味一番楽しかったかもしれません。

「理由は分からない」

木原4年生最後の年Aチームに上がる。

最後の年、やっとトップチームで活動することになったのだが、ここから想像も出来ない程、サッカー選手として現実を味わうことになる。正直自分の嫌な過去って恥ずかしくて誰にも言いたくないけど発信します。

Aチームに上がったは良いが練習にはついていけない、フィジカルトレーニングはダントツの最下位。

「とし君頑張ろう」

なんて声をグランド一周遅れの自分に「後輩」が励ましてくれたり。基本的に試合は出ることが無くメンバー外。出場したとしても消化試合のみ。今思えばいくらサッカー上手くても、走れない奴は試合に出られるわけないよね。

結果

前期公式戦出場数2試合。

当時自分が思ったこと感じたこと今でも鮮明に覚えています。

毎回公式戦に出場できない試合に対し自チームの選手の悪口を言う。

なぜ俺じゃなくあいつが試合に出ているんだ。

試合に出ていないメンバーで愚痴を言い合う毎日でした。ついでに監督のことも当然のように嫌っていたし自ら歩み寄ろうともしなかった。なんなら挑戦的なレポートを殴り書きで送り付けたりもした。そんなことをしても何も変わらないことは目に見えているのにもかかわらず………。

木原はBチームに降格することを決意し監督に申し出。

あっさり了承を得る。

大学4年生になって初めて気づきました、自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかということ。そしてまだ4年生の半分しか経っていないのに挑戦しようともしない、ポジションを勝ち取ってやろうともせずあきらめたこと。自ら自分の手でチャンスを放り投げたのです。初めて自分が応援する側に立った気持ちは計り知れないほどイライラするし心から選手を応援することなど100%無理な話で自分に矢印を向けない、ちっさい男だったというわけですよ皆さん。

結果何が言いたいか。

木原は学びました。

やりたいことは逃げない、理想の人生も逃げていないのに逃げているのはいつも自分だということ、そして逃げてる自分ほど口数が多い。真剣に何かに向かって走り続けている奴は愚痴を垂れる暇など無く自分と常に向き合ってるし、失敗してもいいから挑戦し続けている。例え失敗しても10年後には笑い話に出来るしやらなかったことは必ず10年後には後悔するだけ。10年も経ってないけどめちゃ後悔しています。

皆さん

やるか・やるかですよ。









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