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自己に内在するものを モノクロ手焼きプリント#13

プラトンの『メノン』の中で、ソクラテスは人間は「学習」ではなく「想起」しているのだと述べている。
人間とは何度も生まれ変わっているもので、その過程で魂はあらゆる事を見聞きして来ているが、新たな誕生と共に忘れ、そして今生きている私はそれらを思い出しているだけなのだと。

ソクラテスはある少年に幾何学の問題を提示する。少年は初めは解がわからなかった。しかしソクラテスが質問を重ねていく事で、その解を少年の知識の中から引き出していった。そんな知識は持っていないと思われていたものが、見つけ出されたという事だ。その結果を見せてソクラテスは「これらの考えは、かれに内在していた」と言う。

私はこのいわゆる「想起説」というものに初めて触れた時、東洋的な輪廻天性に近い考えを持っていたということに少し驚いたのと、それ故にこの考えが自分の中の腑に落ちる気がした。(これから認識論のことなどを勉強すれば考えは変わるかもしれないが)
自分の中に内在するもの。知識だけでなく、物事への愛情だったり、怒りであったり。確かに、ぱっと生まれて来る感情や考えはどこから来るのだろうと思う事はある。これまでの自分の経験から生み出されたと考えるのが今までだったが、自分の中に元々あったものを思い出したのだ、と考えるのもまた面白いと思う。

ただ思ったのが、そうやって想起して物事の知見を増やしていくには良い師が必要になのだな、ということ。『メノン』の中のソクラテスのように、私に質問をしてくれる人がいなければ難しいだろう。自分の奥にあるものを手前に引っ張りだしてくれる存在が必要だ。
だから良い師に巡り会えるまでは、自分で自分に質問を続けなければならないと思う。だがそれは正しい知恵や真摯な心がなければ誤った方向に行ってしまうような気もする。一人で生きていくのには限界があるのだろうか。



camera : LEICA M2
lens : voigtlander NOKTON 50mm F1.1
film : MARIX400
paper : ilford MGRC

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