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外国人に日本食を勧めるという趣味


趣味はなんですか?と訊かれた時、漫画を読むこと、料理を作ることと答えていた。将棋を観ること、もそうかもしれない。ただここ最近、これが自分の一番の趣味だな、と自覚したことがある。

それは、外国から友達が来た時に、日本の料理をお勧めすること。

1〜2年に一度は外国人ミュージシャンの日本ツアーをブッキングするから、業務の一環と言えるかもしれない。

しかし正直、自分がブッキングする、しないを問わず、彼らを自分の好きな日本食の世界に誘うのは、何より楽しいことなのだ。だから仕事に関わらず、観光で日本にきた人を、お薦めの料理店に連れて行ってしまう。

日本の友人達をオススメの店に連れて行くことも好きだが、外国人の感動はちょっと桁が違う。彼らが新しい食に触れた時の、目の輝きときたら! できれば日本慣れしてない人がいい。日本食も食べたことがない、もしくは自国でスシを食べたことがある、くらいの程度が完璧だ。一から自分好みに染め上げれる、という可能性に目がくらむ。まるで食版光源氏だ。

昨年も音楽ツアーで来日したスコットランド人の友人、伝統音楽大学院の学生であるキャメロン・ニュエルを日本食の世界に誘った。まだ24歳と若いキャメロンは、それこそ日本食のほとんどが未経験だった。

滞在予定は2ヶ月間。食べるのは好きだと事前に聞いていたが、どんな好みかも分からない。だが、この期間を1日も無駄にせず、なるべく多くの日本食を紹介し、彼の味覚を拡げる手伝いを勝手にしたい、と心に誓った。

キャメロンは正直、期待以上のポテンシャルだった。今は状況が違うと思うが、随分昔、アイルランドに1年住んでいた時、出会った多くのアイリッシュは味に無頓着だったし、保守的だった。マッシュポテトとマッシュキャロットとグリンピースとローストビーフを1日におきに食べても平気、という家庭にホームステイした時は辛かった。食に対する興味もそれほど湧かない、という人も多かったから、食の話題になるのははもっぱらイタリア、スペイン、フランス人の留学生とだった。

スコットランドも概ねアイルランドと文化圏は変わらないから、キャメロンも食に興味がない人、の可能性もあった。しかし、彼はこちらの薦めを基本断らず、新しい食には喜んでチャレンジしてくれた。食べた後の反応も素晴らしかった。美味しいものを食べた時、美味しいという目つき、表情、食べっぷりで表現してくれるので、こちらとしては何しろ薦め甲斐があった。駿河湾サービスエリアで、味の想像すらつかないあさりラーメンに挑戦した時の、彼のドキドキ、食した時の驚き、目のキラキラは今でも覚えている。

やがて色々な料理を薦めていく内に、キャメロンの好みの共通点が浮かび上がって来た。共通の趣味を持つ友人、蕎麦屋店主の光太が、居酒屋で一緒に飲んでいた時、閃いたように指摘してくれたのだ。

「キャメロンは、多分、旨み成分が強い料理が好きなんだと思います」

まさに新しい味覚世界の扉が開いた瞬間だった。これまで”旨味"という概念がなかったキャメロンに、まず第五の味覚であることを教えた。しかし味の説明は難しい。あえて音楽に置き換えてみた。楽器本体や空間の音の鳴りが豊かで、響きの厚みがある、そんな味だよ、と伝えると旨味のなんたるかを理解してくれた。試しに旨味成分の強いエイヒレを注文してみたところ、それがビンゴだった。たちまちエイヒレは彼の日本食トップ3にランクインすることになった。

人はピントが合った時、劇的な推進力が生まれる。旨味概念を獲得した後のキャメロンの日本食への理解は一気に深まった。出汁をより美味しいと感じるようになった。味の裏側にまで注意するようになり、隠れた素材を当てるのも早くなった。料理を構成する、複雑な味の階層にも理解が及ぶようになり、感覚は研ぎ澄まされていった。

本人の素質が大きかったものの、才能の開花に立ち会えたのは、食のトレーナーとしては得難い喜びだった。あとはとっておきの、お勧めの料理をぶつけ、彼の喜びの最大値を更新して行くだけ、のはずだった。しかし育ってしまったキャメロンは、あっという間に私の元を離れていった。

ツアーも最終日に近づいた日のこと。近所で評判のラーメン屋に連れて行った。魚介豚骨系で、なかなか良い出汁もとれていて、複雑だけど、旨味が多くて綺麗な味わいのラーメンだ。これまで、国民食のラーメンはなるべく紹介を避けてきた。安易に美味しさを伝えてしまう気がしていたので、敢えて最後にとっておいたのだ。そのラーメン屋は、私もここぞという時に行くとっておきのお店の一つだった。

昼時で店は混んでいたが、偶然私たちの座るだけの席は空いていた。期待を膨らませつつ、久しぶりに味わうラーメン。口に運んだ時、あれ、少し濃いかな、という気がした。なんというか煮詰まっている。だがこの店は美味しい店なんだ、という私の思い込みはその大事な印象をすぐに打ち消してしまった。いやあ、やっぱり美味しいなあ、と食べつつ横に目をやる。だが、果たしてキャメロンの箸は進んでいなかった。席に着く前の、期待に満ちていた目からは光が消え、表情も冴えない。少し不思議そうな顔をしている。やがて箸を置いたキャメロンは、こう言った。

「ここは、本当にトシのお勧めの店なの?」


私は慌てて、思わず「しーっ」と口を封じてしまった。英語とはいえ、はっきり聞き取れるくらいの声量だったし、店は満席で、店主も目の前にいる。客の表情を読み取るのはプロだ。ひょっとしたら何を言っているのか、言葉がわからなくても、理解しているかもしれない。私は、感想は後で、と言い、そのまま食べるよう促した。だが、キャメロンは途中で食べるのをやめてしまった。私は一生懸命最後まで食べたが、正直よく味わえなかった。

店を出て、キャメロンに感想を聞くと、正直味が煮詰まっていて濃すぎた。あれがトシのお勧めの店なの?と改めて訊かれた。私は口ごもってしまい、いつもはもっと美味しいんだけどなあ、と言いながらお茶を濁してしまった。キャメロンにもラーメン屋にも悪い気がして、途端に罪悪感に襲われた。家に帰った後、ショックで夜まで寝込んでしまった。

あとから光太がそっと教えてくれたのだが、そのラーメン屋は味のブレが大きいというもっぱらの噂だった。私は頻繁にはいかないから気がつくチャンスが少なかったのかもしれない。しかし先入観に侵され、公正なジャッジを怠ったのは私の落ち度だった。逆にキャメロンは、トシの推薦だから、と過信せず、味に向き合ってくれたのだ。恥ずかしくもあったが、嬉しくも誇らしくもあった。2ヶ月かけて、彼は巣立っていったのだ。もう教えることはない。あとは日本食を自分なりに探求してほしい。

クリスマスの恒例行事で家族に料理を振る舞うので、せっかくだし何か日本食を作りたいと彼は言った。丸1日かけて光太から出汁のひき方を教わり、鰹節と昆布と味噌を買って、パンパンの荷物につめ、家族と恋人の待つスコットランドに帰っていった。

さようならキャメロン。また来てね。音楽ツアーもしようね。


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