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『續三等重役』(1952年・鈴木英夫)

 『續三等重役』は昭和27(1952)年9月4日、前作の春原政久監督から、鈴木英夫監督にバトンタッチされた快調な続篇。音楽は三木鶏郎さん。云うなれば「社長シリーズ」の元祖なり。浦島課長=森繁久彌、桑原社長=河村黎吉、若原君=小林桂樹のトリオがオール面白い芝居をしてくれるのである。

 おっとりした昭和20年代後半の地方都市の空気。管理社会になる前の会社員生活の楽しさ、侘しさ、生きがい。何もかも等身大で眺めているだけで、あの時代にタイムスリップ。三木鶏郎の音楽が凝っている。小林桂樹の登場シーンで「僕はサラリーマン」のBGMが流れる。云うなればトリメロである。

 極めて老獪な人事課長・浦島(森繁)のせこさ、やるせなさ、抜け目なさ。この味は、のちに三木のり平に継承されていく。ぼくらの世代では「人造人間キカイダー」の光明寺博士で知られる伊豆肇が、若原くんのライバルのホープさんを好演。しかし、社長夫人・千里に沢村貞子。昭和27年にして、すでにベテランの貫禄。

 戦後、経営陣が戦犯でパージされて、とりあえず社長に祭りあげられた三等重役を河村黎吉さんがその悲哀も含めて好演。河村&森繁のコンビの役に立たなさに、云うなれば平和を感じるのである。社長が蕎麦を箸で持ち上げると、課長がハサミでチョキンと切る。後年「社長シリーズ」の定番はここに始まる。

 前社長・奈良原(小川虎之助)から、もう少し「社員の心配をしてやれ」と叱咤された桑原社長(河村黎吉)。ならばと、浦島人事課長(森繁)に命じて、南海産業の「模範社員」を探すこととなった。

 その筆頭は「ホープさん」と将来を嘱望されている、社長秘書・若原君(小林桂樹)で、早速、出張先から呼び戻されることに。ところが、帰途の列車で、大事な書類の入ったカバンをバンカラ風の男のものと取り違えてしまう。

 その青年は、九州支社から転勤で南海市の本社に赴任してきた大野君(伊豆肇)だった。小林桂樹のライバルとして『青い山脈』(1949年・今井正)の、バンカラ学生・ガンちゃんで人気者となった伊豆肇と、爽やかな小林桂樹、二人の現代青年が、最初はライバルとして、次第に相棒となっていくのが楽しい。お互いにない部分を補完し合う。製作者・藤本真澄の「青春映画」好きが納得できる。

「社長シリーズ」宴会芸も、この映画で受けたから定番となる。そして久保幸子の「恐妻節」はトリメロの傑作。森繁さんの恐妻は千石規子。適材適所のキャスティング。

定番といえば、前編で、取引先の社長・藤山さん(新藤英太郎)が、浮気相手のおこま(藤間紫)を、桑原社長夫人と、妻・京子(岡村文子)に嘘をついてしまったために起こる騒動。近々開催されるおこまの踊りの発表会を、桑原夫人のものと思い込んだ京子夫人が、桑原夫人に挨拶をしたいと言い出す。そこで桑原社長、老獪な浦島課長のアイデアで、大野君に夫人と息子をハイキングに連れ出してもらい、おこまを家に上げて、ことなきを得る。

 なにをそこまでしなくても!というのがユーモア小説の味であり、いつ本当の夫人が帰宅するのか? 気を揉む浦島課長のリアクションがまた絶妙。おかしくてやがて悲しき宮仕の悲哀も滲ませている。

 仲間に女房の前で安木節を踊ると豪語した浦島課長が、それを実践する門限破りのシーンの悲哀。芸人としての森繁の至芸が味わえる。絶妙なんてもんじゃない。翌朝、会社でこの世の終わりのように、落胆している森繁の姿に、描かれていない夫婦喧嘩が垣間見える。これも絶妙、バツグンの味。

 女房にしてやられた浦島課長、同じような目に遭った桑原社長。「いつになったら男女同権の世になりますかな」のセリフに吹いた(笑)いうなればこの映画では、女性上位であるということ。箱根芦ノ湖の慰安旅行のBGMは、戦後間もなく、岸井明が歌った「涙はどんな色でしょか」のインスト版!

 様々な微苦笑のエピソードは、源氏鶏太の原作の挿話をベースに、松浦健郎が脚色。河村黎吉の小心と、小川虎之助の豪快さ! この対比も見事で、戦後派社長の軽さと、戦前からの経営者の大きさが鮮やかである。『續三等重役』は、もちろん大ヒット。すぐに正月映画として、第三作の脚本が用意され、クランクインが迫るなか、河村黎吉が病に倒れて、撮影が延期となった。

 しかし東宝系の映画館の館主からは「三等重役」の続編を、の期待が高まっており、急遽、同じ源氏鶏太原作、小林桂樹主演の『一等社員 三等重役兄弟篇』(佐伯幸三)がクランクイン。短編「一等サラリーマン」「社員食堂開設」を原作に、松浦健郎が脚色。森繁久彌、伊豆肇が引き続き出演。河村は不在だったが、社長室の肖像写真として登場。クランクアップの日、社長室の肖像写真がガタンと音がして、落ちるアクシデントがあった。小林桂樹さんから伺ったエピソードだが、ちょうどその時、河村が亡くなった時間だったという。

 藤本真澄は、森繁久彌『へそくり社長』(1956年・千葉泰樹)のプロデュースにあたって、先代社長として河村の写真をセットに掲示することにした。藤本は、毎回、河村さんのご遺族に出演料を支払い続けたという。

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