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『拝啓天皇陛下様』(1963年4月28日・松竹大船・野村芳太郎)


 昭和38(1963)年4月28日   カラー シネマスコープ
 併映『独立美人隊』(市村泰一監督/吉田輝雄、仲宗根美樹主演)

 昭和30年代後半、テレビから火がついた渥美清ブームは、映画界にも席巻。「おかしな顔」でお茶の間の人気者だった渥美は、昭和37(1962)年11月に『あいつばかりが何故もてる』(酒井欣也)に初主演、昭和38(1963)年3月には『つむじ風』(中村登)とたて続けに主演。まさにタレントとしては旬を迎えていた。前作からほぼ一ヶ月後、しかもゴールデンウィークに公開される主演第三作として、渥美清のために松竹が用意したのが『拝啓天皇陛下様』だった。原作は棟田博が週刊現代に連載していた同名小説。主人公のわたしが軍隊生活で出会った「山田正助」という奇妙な男との日々を、昭和4年から昭和23年にかけて描いている。棟田は長谷川伸の「新鷹会」の同人でもあり、アウトローに対する暖かい視線は、長谷川イズムを継承している作家でもある。

 余談だが長谷川伸の『沓掛時次郎 遊侠一匹』(66年東映・加藤泰)で渥美が演じた身延の朝吉や、『続・男はつらいよ』(69年・山田洋次)の巻頭の「瞼の母」風の夢のシーンなど、渥美の演じるアウトローには長谷川イズムが感じられる。原作は、インテリである「わたし」と軍隊でなければ出会うことのなかった「山正」との友情を横軸に、同郷である岡山聯隊の人々のユニークなキャラクターの群像劇を織り交ぜ、そして激動の昭和史を縦軸に描いている。

 この原作を脚色したのが多賀祥介と野村芳太郎。作者のことばとして「理屈っぽいものにせず、ただただ面白おかしく見られて(中略)”これが喜劇だ”というものをと思っているが、これはいわゆる"兵隊もの”の喜劇だとは思っていない」(キネマ旬報昭和38年4月下旬号)と語っている。”兵隊もの”とは松竹の看板だった「二等兵物語シリーズ」のような「滑稽」なものではなく、野村監督の『糞尿譚』(57年)のような「一番面白いところが、一番悲しい」タイプの作品を目指したことだろう。また設定を二年ずらして昭和6年から昭和25年に変更している。

 それまでの渥美主演作は、他の喜劇同様、渥美のキャラクターを全面に押し出した「コメディアンの喜劇」だったが、本作で野村が仕掛けたのは群像劇のなかで渥美の強烈な個性を活かすというドラマ演出の手法。語り手である棟田=長門裕之の目線を通して、岡山聯隊の個性的な人々、同年兵の鶴西(桂小金治)、モサの原一等兵(西村晃)、そして中助こと堀江中隊長(加藤嘉)を生き生きと描いている。

 そうしたユニークな登場人物のなかに、山正の強烈なキャラクターを放つことによって、渥美清の可能性を最大限に引き出した功は大きい。無類のお人好しの山正が時々見せる「凄み」は、彼が生きて来た人生の過酷さであり、重営倉から出て来た時に見せる一瞬の表情の鋭さは、渥美でなければ演じられないだろう。

 藤山寛美の柿内二等兵と渥美の絶妙なやりとりは、まさしく至芸。日本を代表する喜劇俳優となる二人の若い時の丁々発止の呼吸は、この映画の白眉のひとつ。

 棟田が除隊し、東京で作家の卵として新居を構えるくだりに、映画の名場面が挿入される。映画の世界に生まれ、軍隊時代以外は松竹で生きて来た野村ならではの昭和史である。紹介される映画は、父・野村芳亭の『東京音頭』(33年)、トーキー第一作『マダムと女房』(31年五所平之助)、『与太者と海水浴』(33年野村浩将)、『子宝騒動』(35年斎藤寅次郎)といずれも、松竹蒲田時代を支えた作家の作品ばかり。

 原作とシナリオ、そして完成作を見比べると、野村芳太郎がどこを活かし、どこを脚色したかが分かる。カットされた場面もある。棟本の伯父として森川信がクレジットされているが、完成作では婚礼行列のワンカットしか登場しない。99分のなかに20年にわたるエピソードをうまく盛り込みつつ、ラストまで一気に進む話芸は野村監督ならではのもの。作曲家の浜口庫之助が昭和天皇に扮しているが、当時よく似ていると評判で、日活『有り難や節』(61年)でも行幸のパロディで出演している。

 ラスト、千住大橋付近の日光街道に向かう千鳥足の山正が「天皇陛下バンザイ」と叫ぶシーンの哀惜は、この映画のテーマをより明確にしてくれる。「面白くて、やがて悲しき」山正の物語である。


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