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ザッツ・エンタテインメント・コレクターズセット

解説:佐藤利明

 1975年3月22日。東京有楽町の丸の内ピカデリーをはじめ、鳴り物入りで全国ロードショーされた『ザッツ・エンタテインメント』は、単なるMGMミュージカルの集大成ではなく、それまでミュージカル映画というと『ウエスト・サイド物語』(1960年)を頂点とするブロードウェイのブック・ミュージカルの映画化がすべてと思い込んでいた、若きミュージカル映画ファンをノックアウトした。

 ヘンリー・マンシーニによる胸高なる序曲。つるべ打ちに出てくるスタア、豪華絢爛のセット、想像を遥かに超えたプロダクション・ナンバーの数々は、まさにカルチャー・ショックだった。フレッド・アステアが天井で踊り、ジーン・ケリーが雨の中で唄い、そしてジュディ・ガーランドの熱唱が胸を打つ。

 それらは、かつて製作された映画の断片であったが、冒頭の解説にあるようにMGMという“夢のファクトリー”が産み出した“宝石”そのもの。

 リアル・タイムで体験できなかった世代にとって、ハリウッド黄金時代に直接触れることの出来た最初の体験だったのかも知れない。

 映画雑誌はこぞってグラビア特集を組み、「キネマ旬報」誌上では野口久光、双葉十三郎、淀川長治と言った戦前からのシネ・ミュージカル・ファンの先達が、サブカルチャーのリーダー的存在だった作家・小林信彦とともに座談会を繰り広げ、テレビでも『雨に唄えば』や『オズの魔法使』と言ったMGMミュージカルの旧作が放映されて、ちょっとしたMGMミュージカル・ブームが巻き起こっていた。

 MGM創立50周年記念作『ザッツ・エンタテインメント』は、1929年の『ホリウッド・レヴュー』から1958年の『恋の手ほどき』まで、およそ30年に渡って「夢のファクトリー」が製造した奇跡のようなシーンの集大成。

 ある意味、総花的に名場面を紹介するアンソロジーだが、MGMミュージカル入門には最適な作品だった。それにジュディ・ガーランド、ジーン・ケリーといった生粋のMGM育ちのスタア、“ワン・アンド・オンリー”のレジェンド、フレッド・アステアなどのエンタティナーの至芸が堪能できる。

 クライマックスに『巴里のアメリカ人』(1951年)を持ってきたことには、公開当時にも「アメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスの賜物」という意見もあり、賛否両論だった。しかし、製作後二十数年経って、もう一度、本編を丹念に観直していくと、ブロードウェイの逸材を次々とハリウッドに招聘して「フリード・ユニット」を編成してきたアーサー・フリードが、ヴィンセント・ミネリ、ジーン・ケリー、そしてガーシュウィン兄弟の音楽を得て、アカデミー作品賞はじめ6部門受賞という快挙を成し遂げたメモリアルだったと、納得できる。

 『ザッツ・エンタテインメントPART2』(1976年)は、フリード・ユニットのトップスタア、ジーン・ケリーが製作スタッフに参加したこともあり、よりフリード・ミュージカルに的を絞った構成になっている。

 フレッド・アステアとジーン・ケリーがホストとして、ショウ・ビジネス讃歌“That’s Entertainment!”を唄いながら、次々と繰り出されるナンバーの数々の素晴らしさ! オープニングに登場するナネット・ファブレイ、オスカー・レヴァント、そしてジャック・ブキャナンの面々が「ショウの楽しさ」を唄い上げる“That’s Entertainment!”が初めて登場した『バンドワゴン』(1953年)は、フリードとミネリが1940年代中盤に、『ヨランダと盗賊』(1945年・未公開)や『ジークフェルド・フォーリーズ』(1946年)で味わった苦い経験を笑い飛ばすかのような、セルフ・パロディでもあった。

 パート2では、フリード・ミュージカルを縦軸に、もう一方の雄のプロデューサー、ジョージ・パステルナックの『姉妹と水兵』(1944年)などのバラエティ的ミュージカル、それにグレタ・ガルボ、クラーク・ゲイブル、マルクス兄弟といったMGMが誇るスタアの名場面集から構成されている。

 ショウビジネス讃歌“That’s Entertainment!”で始まり、“That’s Entertainment!”で終わるという構成は、バラエティ・ショウの理想的なスタイルで『ジークフェルド・フォーリーズ』以来、およそ三十年ぶりに共演したアステアとケリーの笑顔は、観客の笑顔でもあった。

 それから10年、MGM創立60周年を記念して『ザッツ・ダンシング!』(1985年)が公開されたが、これは第1作の製作・監督であるジャック・ヘイリー・ジュニアのプロデュース作品。「映画のダンス」という幅の広い解釈で、MGMのみならずワーナー、フォックスなどの他社作品や、イギリス映画『赤い靴』(1948年)まで集めたもので、シリーズの姉妹編となっている。

 そしてさらに9年後に作られた『ザッツ・ザッツ・エンタテインメントPART3』(1994年)は、アウトテイク(撮影されながら未使用のナンバー)は、ビデオ世代にアンソロジーである。

 製作総指揮のピーター・フィッツジェラルドや、レーザー・ディスク・コレクションのプロデューサー、ジョージ・フェルテンシュタイン、それに『ザッツ・モア・エンタテインメント』(LD特典)でホストを務めたマイケル・フェインシュタイン、いずれも第1作公開時はファンだった。彼らの熱意がPART3を生んだ。

 『ザッツ・モア・エンタテインメント』は、三部作および『ザッツ・ダンシング!』に秋録されなかったナンバーの数々を、シリーズのフォーマットに合わせて編集したビデオ・オリジナル作品。

 若き日のボブ・フォッシーが唄って踊った青春ミュージカル『ギブ・ア・ガール・ブレイク』(1953年・未公開)はじめ、『テキサス祭り』(1951年・未公開)のアン・ミラーの驚異的なタップ・・・など、そのほとんどが本邦初公開のものばかり。ジュディ・ガーランドとジーン・ケリーが『サマー・ストック』(1950年・未公開)で、”All For You”を唄うシーンは、何度見てもゾクゾクする。

1995年発売LD「ザッツ・エンタテインメント・コレクターズセット」(パイオニアLDC)解説書より




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