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 昭和27(1952)年5月15日公開、源氏鶏太原作、東宝サラリーマン映画、社長シリーズの原点。風光明媚な人口10万程度の地方都市、南海市にある中堅会社・南海産業を舞台に、戦後、社長がパージされたために、とりあえず社長となった、戦後派の代用重役・桑原を、松竹の名バイプレイヤー、河村黎吉が好演。その口癖「云うなれば」「オール〜」が流行語ともなった。

原作「三等重役」の映画化は、実はこれが二度目で、この年2月21日公開の『ラッキーさん』(市川崑)は、小林桂樹の若手サラリーマンの物語は「ラッキーさん」、先代社長・奈良庄右衛門(小川虎之助)にびくびくする戦後派社長(河村黎吉)の物語は「三等重役」を原作としていた。

 この『ラッキーさん』での河村黎吉が好評で、ならばと映画化されたのが『三等重役』だった。若原くん(小林桂樹)、戦後派社長・桑原(河村黎吉)、先代社長・奈良(小川虎之助)に加えて、老獪なる人事課長・浦島太郎に進捗著しい森繁久彌を抜擢。

森繁は戦後、旧知の菊田一夫の紹介で舞台「鐘のなる丘」に出演。新宿ムーランルージュで活躍、すぐにNHKラジオ「陽気な仲間」で藤山一郎と洒脱な掛け合いで人気者となる。戦前、古川緑波一座から、NHK新京放送局のアナウンサー。敗戦で抑留生活を経て家族で引き揚げてきた苦労人。

戦後、ようやく芽が出た途端に、ラジオの人気者となり、昭和25年、新東宝『腰抜け二刀流』(並木鏡太郎)で主演デビューを果たし、数多くの映画で洒脱な演技を見せていた。それから2年、『三等重役』での老獪なる浦島人事課長役は、軽薄で小心者、だけどお調子者の恐妻家を好演。河村黎吉との絶妙なコンビネーションで、サラリーマン層を中心とする観客層の圧倒的な支持を得て、やがて東宝名物「社長リーズ」へと発展していく。東宝も森繁さんも『三等重役』で金の鉱脈を掘り当てた訳である。

 パージの解けた前社長が復帰することを新聞で知った桑原社長。せっかく社長としての日々を満喫していたのに、所詮三日殿下と意気消沈。ところが、奈良前社長、出社の朝に倒れてしまい、ホッと一息。浦島課長夫人(千石規子)たち社員夫人たち「とりまき」に囲まれてご満悦の桑畑社長夫人(沢村貞子)は、着物を注文したり、仲人趣味を発揮して大忙し。

 森繁と公私共に仲が良かった、ビクターの作曲家・松井八郎による音楽が、良い意味でノンビリしていて、なんとも幸福な気持ちにさせてくれる。戦後、占領から開放されていく自由の喜びにあふれているというか。物語もユーモア小説らしく、多愛のないエピソードが重ねられてゆく。「仲人騒動」「ボーナス騒動」など、原作の挿話が展開される。中学生の頃、原作文庫を読み、銀座並木座で『三等重役』を観たが、原作小説の味わいそのままだったのが嬉しかった。

 「社長シリーズ」でお馴染みとなる社長の浮気癖も、ここから始まった。桑原社長のご執心は、前社長と関係のあった、お鶴(坪内美詠子)。東京出張へ地元の有力者・藤山社長(進藤英太郎)が、芸者・おこま(藤間紫)を同行したものの、藤山夫人(岡村文子)が東京で待ち構えていたために、おこまを桑原社長夫人ということにする。この騒動は『續三等重役』だけでなく、「社長シリーズ」でくり返されるパターン。

 終盤、東京出張所長・田口(小野文春)と、恋人のお好み焼き屋の女将・道子(越路吹雪)が渡る橋は、築地川にかかっていた三吉橋。今の中央会館、中央区役所の前の橋である。このたもとには戦前からスターホテルがあり、『如何なる星の下に』(1962年)で森繁さんが宿泊していたのは、このホテルだった。

 こうした微苦笑のエピソードを重ねながら、ユーモア小説の世界が展開される。昭和20年代らしいのは、大泉滉さんが「トンデモハップン」「おー!ミステイク」と、自身も出演した獅子文六原作『自由学校』(1951年)から生まれた流行語を連発。云うなれば、セリフ・パロディなのである。


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