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木下恵介アワー おやじ太鼓(1968年・TBS)

「いままでの類型的なホームドラマの枠からはみだして、思いっきり楽しいホーム・コメディを作ってみたい」木下惠介

『おやじ太鼓』の世界
佐藤利明(娯楽映画研究家)

 『おやじ太鼓』は、昭和40年代ニッポンのお茶の間で、あらゆる世代に愛されたTBSテレビ「木下恵介アワー(木下恵介劇場)」の7作目にあたる、テレビ史上に残るホームドラマの傑作。木下惠介監督が昭和26(1951)年に発表した、阪東妻三郎主演の『破れ太鼓』をモチーフに、昭和40年代の“現代的リメイク”を果たした作品。

 デビュー作『花咲く港』(1943年)や『カルメン故郷に帰る』(1951年)『カルメン純情す』(1952年)の“カルメン二部作”、そして『今年の恋』(1962年)など数々のコメディ映画をものしてきた木下監督にとって、肩の凝らない“ホーム・コメディ”を「木下恵介アワー」で展開するのは当然の帰結でもあった。

 制作にあたって木下監督は「ぼくはもともと喜劇が大好きなんです。「女と刀」(1967年)「もがり笛」(1967〜68年)と少しカタいドラマが続いたあと、今度は大いに笑ってください。登場人物は大勢いますが、この連中が今後どういうふうに動き出すのか、実はぼく自身にもよく判りません。でも、その辺にオリジナル・ドラマを書くおもしろさがあるような気がします」(TBS番宣資料より)とコメントしている。

 カミナリ親父・鶴亀次郎に東映時代劇や映画「進藤の社長シリーズ」などのベテラン進藤英太郎、しっかり者の奥さんに風見章子。その“おやじ太鼓”の犠牲者である四男三女に、園井啓介、香山美子、津坂匡章、あおい輝彦、沢田雅美ら若手の個性派を揃え、昭和40年代の世相を織り交ぜながらシチュエーション・コメディが展開。また菅井きん、新田勝江のお手伝いさんコンビに、後半から登場する菅井きんの母親を演じた岸輝子のユニークな個性など、俳優たちの演技合戦も見もの。

 脚本は木下惠介を中心に山田太一も参加。演出は木下門下の桜井秀雄と川頭義郎。「今後どういうふうに動き出すのか、実はぼく自身にもよく判りません」と木下監督のコメントにあるように、ルーティーンの笑いのなかに、レギュラーのキャラが豊かに成長していく様を味わう楽しみがある。

 主題歌「おやじ太鼓」は、オリジナル映画『破れ太鼓』で木下忠司が次男を演じて歌った歌をリニューアル、あおい輝彦が歌って、お茶の間で親しまれた。番組スタート時はモノクロだったが、第12話からカラーとなり、全39回(1968年1月16日〜10月8日)放映後、次作「三人家族」(全26回)を挟んで、第2部として全26回(1969年4月15日〜10月14日)が放映され、昭和40年代を代表するホームドラマとなった。

【作品データ】

日産火曜劇場・木下惠介アワー『おやじ太鼓』
1968(昭和43)年1月16日〜10月8日
毎週火曜 夜9:00〜9:30
提供:日産自動車
キー局:TBS
ネット局:HBC/IBC/TBC/FTV/SBC/BSN/CBC/ABC/ARK/RCC/BSS/RKB/NBC/RKK/MBC/CBS/MRT/RBC

【キーワードで読み解く『おやじ太鼓』】

【うなぎ騒動】
鶴家での“ごちそう”が目当ての高円寺の伯母ちゃん・正子が、折悪しく亀次郎が家にいると知って、たまには自前で食べようと鰻屋へ入る。そこで、内緒で鰻を食べているお手伝いの初子とばったり。鰻を満喫したおばちゃんが鶴家に行くと、お客さんが帰ってしまって余った鰻を食べさせられる羽目に。「おやじ太鼓」には、こうした食べ物にまつわる微苦笑と爆笑のエピソードが多い。

【うわばみ】
“うわばみ”とは大蛇が大きなものを丸呑みすることから酒豪を差す言葉となった。#25から登場したお敏の母・イネ(岸輝子)は「はい!」と返事だけは威勢がいいが、相当なマイペース。#26で三郎がビールを呑ませてしまったために、その酒豪ぶりが明らかになる。さらに高円寺のおばちゃん・正子も、相当イケる口で、二人で呑み始めて大変なことになってしまう。

【お手伝いさん】
鶴家のお勝手を守る二人のお手伝いさん。初子(新田勝江)は当年30才。泣き虫が玉に傷で、亀次郎に怒鳴られるたびに、シクシク泣いて仕事にならない。次男・洋二に惹かれているようだが、ある日突然、見合い結婚、鶴家から出て行くことになる。名コンビのベテラン、お敏(菅井きん)は、独身を貫いてきた52才。マイペースで、何かというと一服している。いつも役得とばかりにおやつは自分たちの分から確保。恋多き母・イネが鶴家に同居するようになるとヒステリーが増大。

【おばあちゃんパワー】 
「女と刀」の異名を持つ神尾光の祖母に扮したのは、木下監督のデビュー作『花咲く港』(1943年)から木下作品には常連の東山千栄子。ちなみに「女と刀」は、中村きい子の同名小説に由来(1967年・木下惠介アワーで放映)。「おやじ太鼓」には、大正末から昭和にかけての宝塚のトップスター小夜福子が高円寺の伯母ちゃん役、『破れ太鼓』の妻役を演じた村瀬幸子が堀部長のお母さん役、そして劇団俳優座創設メンバーの大女優・岸輝子がイネ役で出演。#38には、これらの大女優が一同に会して、ベテラン女優たちの味が堪能できる。

【おやつ】
鶴家のお手伝いさん、お敏と初子の楽しみは、台所でこっそり食べる“おやつ”。時には、家族に内緒で、自分たちだけで独占してしまうこともある。それを問われると「古くなったから」「悪くなるといけないから」とトボけてしまう。#19では“あんこ玉”、#20では“大福”“一昨日のドーナッツ”、#27の“おすし”、#29の“おいも”などなど、鶴家の台所での“おやつ”の話題は事欠かない。

【軽井沢】
#29で、鶴家が避暑に出かける軽井沢は、明治時代にはクラシックホテルが次々と改行し外国人避暑地として繁栄、大正時代にリゾート地として開発され、昭和にかけて高級別荘地としてステイタスとなっていった。浅間山を頂く風光明媚な土地で、木下惠介監督の『わが恋せし乙女』(1946年)や、日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』(1951年)、そして『今日もまたかくてありなん』(1959年)のロケ地でもある。

【ソングス】
鶴家にはいつも音楽が流れている。洋二のピアノで「おやじ太鼓」を家族が合唱したり、#36で失恋したイネを皆で慰めようと「オールド・ブラック・ジョー」を歌う。エレキ世代の三郎と敬四郎が#1で演奏し歌うのはジャニーズの「太陽のあいつ」。#5の神尾光の歓迎会で披露されるのが寺内タケシとバニーズの「愛のリメンバー」。#9で敬四郎がTBS石打スキー場のロッジで歌うのが、あおい輝彦作詞作曲によるソロデビュー曲「僕の秘密」。

【箱根】
#11で、亀次郎が思い立って、愛子と子供たちに号令一下、箱根へドライブに出かけます。箱根は、鶴家にとって想い出の場所。生活が苦しかったとき、まだ小さかった長男・武男、次男・洋二を連れて家族旅行に来たものの、子供たちが乗りたがった遊覧船に乗れなかったエピソードが語られる。

【ピアノと絵本】
次男・洋二は芸術家肌。リビングにあるピアノで、カミナリ親父をテーマに作詞作曲した「おやじ太鼓」を演奏し家族で歌う。また、その優しい視点で、子供のための絵本「うさぎにまけたおに」を描いている。そんな洋二を暖かく見守るのが、恋人・水原トシ(西尾美枝子)。

【マッサージ機】
#18は「母の日」の一日を描いている。子供たちは朝早くから家を掃除し、愛子を囲んで、家族全員で歌を歌ったり。愛子を心の底から愛している亀次郎が、愛妻に送ったプレゼントは、電気マッサージ椅子。用意した機械が一回10円を入れると動く業務用。愛子だけでなく、亀次郎やお敏も愛用することとなる。

【破れ太鼓】
1951(昭和26)年12月1日公開/脚本:小林正樹/脚本・監督:木下惠介 建設会社を一代で築き上げた苦労人のワンマン社長が、家庭でも何かにつけて怒鳴り散らす“暴君”で、リベラルな戦後民主主義の象徴である子供たちの反発と融和を描いて、木下監督の代表作となった傑作コメディ。長男・森雅之、次男・木下忠司、三男・大泉滉、長女・小林トシ子、次女・桂木洋子。なお妻を演じた村瀬幸子は「おやじ太鼓」#28と#38で堀部長のお母さんとして出演している。

【ワンマン社長】
「おやじ太鼓」のオリジナル映画『破れ太鼓』の主人公のモデルは、助監督だった川頭義郎監督の父親がモデル。何かについて怒鳴り散らす川頭の父のエピソードを聞いた木下監督が参考にしたという。また進藤英太郎は、昭和30年代、ニュー東映で「進藤の社長シリーズ」に主演。映画でもテレビでもワンマン社長のイメージが作られた。

【キャラクター・プロファイル】

鶴亀次郎(61才)
大亀建設株式会社を一代で立ち上げた苦労人。ワンマン社長、カミナリおやじの傑物だが、気は優しい愛妻家。結婚以来、一度も浮気をしたことがないことが自慢。空襲で足を悪くしてしまった次男・洋二のことを気にかけている。

進藤英太郎
1899(明治32)年10月10日、福岡市生まれ。生家のカムチャッカ漁業、株屋、海産物商を経て、子供の頃から憧れの俳優の道へ。『浪花悲歌』『祇園の姉妹』(1936年)など溝口健二監督作の常連となり、戦後は東映時代劇の悪役として活躍。1977(昭和52)年12月18日没。

妻・鶴愛子(55才) 
小学校の教師をしているとき、亀次郎の猛アタックで結婚して30年。喜びも悲しみも幾春秋を過ごしてきた夫・亀次郎を内助の功で支えて、七人の子供を育てた。 “おやじ太鼓”が鳴り響いても超然とし、言いたいことはズケズケ言う、良妻賢母。

風見章子
1921(大正10)年群馬県富岡市生まれ。エノケン一座の新人募集で芸能界入り、その後日活多摩川専属女優となり内田吐夢監督『土』(1938年)で注目を集める。戦後は新東宝、東映作品に出演。木下惠介劇場では「喜びも悲しみも幾歳月」(1965年)に出演。

長男・武男(29才) 
大亀建設で社長秘書として父から帝王学を学び、次期後継者となる筈の武男は、家庭でも会社でもワンマンおやじの雷に辟易しているが、両親の苦労時代を知っている心優しき長男。まだ未婚なのが両親の悩みのタネ。

園井啓介
1932(昭和7)年3月27日東京生まれ。映画美術を経て、1954(昭和29)年劇団青俳に入団。松竹映画『あの橋の畔で』(1962年)の主演、松竹の若手スターとして活躍。木下恵介劇場では「二人の星」(1965〜66年)に出演。

次男・洋二(27才)
音楽や絵を愛する芸術家肌の次男。幼い頃、空襲で足を悪くして以来、引きこもりがちだが、得意のピアノで家族を和ませる。父をモデルにした「おやじ太鼓」を作詞、作曲。次女・幸子の友人・水原トシと交際。

西川宏
1940(昭和15)年11月12日東京生まれ。木下恵介劇場「記念樹」第27話「雲水の秋」(1966年)、木下恵介アワー「もがり笛」(1967〜68年)、「女と刀」(1967年)に出演。
 
長女・秋子(26才)
出版社で働くBG。ドライな性格で、父親の強権ぶりには批判的。2才年下のテレビ局勤務の神尾光と交際中だが、目下の目標は、父親にその結婚を認めさせること。会社でも有能でオーストラリアに長期出張することとなる。

香山美子
1944(昭和19)年1月1日東京生まれ。小学生から子役として活躍、1961(昭和36)年松竹入社。同年『ご機嫌はりきり娘』でデビューを果たし、松竹のトップ女優として『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年)などで活躍。リカちゃん人形のモデルとしても知られる。

三男・三郎(22才)
二浪の挙げ句、次女・幸子と同じ大学に入学。現在三年生。軽佻浮薄な性格で、それが父の逆鱗にふれることもしばしば。学生運動に目もくれず、女の子にモテるため演劇研究会に入っている。優柔不断だが気が優しく情にもろい。

津坂匡章
1943(昭和18)年東京生まれ。俳優座養成所“花の十五期生”となり1967年にデビュー。木下恵介劇場「記念樹」「今年の恋」、木下恵介アワー「女と刀」に出演後、「おやじ太鼓」を経て「兄弟」(1969〜70年)で主演。「男はつらいよ」では、フジテレビ版から寅さんの舎弟・登を演じている。

次女・幸子(20才)
現在大学二年生。問題意識を持ち、学生運動にも参加。C調な三男・三郎とは正反対のマジメな勉強家。ボーイフレンドとは無縁の学生生活だったが、三女・薫の英語教師・西川先生に一目惚れしてしまう。

高梨木聖
壷井栄原作のドラマ「ねえさん」(1965〜66年、1967年)、などに出演。レコード「伊丹十三です。みんなでカンツォーネを聴きながらスパゲッティを食べよう」に出演、「二人の世界」(1970〜71年)に出演したアルマンド・ロメオの歌を紹介。

四男・敬四郎(18才) 
鶴家のマスコット的存在。高校三年の現役受験生だったが、両親の期待に応えることができずに、浪人生活へ突入。音楽が趣味で三男・三郎とギターを演奏して歌うこともしばしば。

あおい輝彦
1948(昭和23)年1月10日東京都渋谷生まれ。1962年結成のジャニーズに参加、映画やミュージカルで活躍後、1967(昭和42)年に解散。1968(昭和43)年に劇団四季の研究生となり、この「おやじ太鼓」が俳優デビュー作となる。木下恵介アワー「3人家族」(1968〜69年)「兄弟」「あしたからの恋」(1970年)「二人の世界」に出演。代表作に「冬の旅」(1970年)。

三女・薫(15才)
四男・敬四郎を、兄貴として尊敬することなく、友達扱い。目下欲しいのはネグリジェ。高校の先生に憧れる夢見る年頃の末娘。

沢田雅美
1949(昭和24)年7月11日横浜市生まれ。中学在学中にTBSのドラマ「ただいま11人」(1964〜67年)の末娘役公募に合格。渥美清主演の「泣いてたまるか」の「先生シリーズ」(1967年)などに出演。木下恵介アワーでは「3人家族」「兄弟」「太陽の涙」(1971〜72年)に出演。

神尾光(24才)
テレビ局勤務の現代青年。気は優しいが優柔不断。2才年上の秋子と結婚を前提に交際中だが、亀次郎の逆鱗に触れて以来進展せず。親代わりの祖母がいて、亀次郎と激突してしまう。

竹脇無我
1944(昭和19)年2月17日、一世を風靡したアナウンサー竹脇昌作の息子として生まれる。1960(昭和35)年、松竹大船専属となり、二枚目として活躍。木下恵介アワー「おやじ太鼓」「3人家族」などに出演。テレビの代表作に、森繁久彌との「だいこんの花」(NET)。2011(平成23)年8月21日没。

【スタッフ】

制作:木下惠介
脚本:木下恵介
(#1# 2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 #12 #16 #17 #18 #19 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #36 #37 #38 #39)・山田太一(#13 #14 #15 #20 #21 #34 #35)
プロデューサー(制作担当):小梶正治(松竹テレビ部)・土井利泰(TBS)・山本典助(TBS
監督:桜井秀雄(#1 #2 #3 #4 #5 #6 #17 #18 #19 #20 #21)・川頭義郎(#7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)
撮影:荒野諒一(#1 #2 #3 #4 #5 #6)・渡辺浩(#7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)・小原治夫(#17 #18 #19 #20 #21)

音楽:木下忠司
主題歌「おやじ太鼓」
作詩,作曲 木下忠司
唄:あおい輝彦

美術:出川三男
録音:熊谷宏(#1 #2 #3 #4 #5 #6)
佐藤義人(#7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16)
小林英男(#17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28)
服部満洲雄(#2 9#30 #31 #32 #33 #34)
飯島陸夫(#35 #36 #37 #38 #39)

照明:飯島博(#1 #2 #3 #4 #5 #6)
内田喜夫(#7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16)
中川孝一(#17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)
編集:岸田和司
助監督:中新井和夫(#1 #2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34)・堀内孝三(#35 #36 #37 #38 #39)
装置:伊藤政義
装飾:安田道三郎

結髪:畔柳 敞暢(# 1#2 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11)・外崎みね(#12 #13 #14 #15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33# 34 #35 #36 #37 #38 #39)
記録:福島マリ
進行:大塚尚史
調音:松竹録音スタヂオ
衣裳:東京衣裳
現像:東洋現像所
衣裳協力:大和産業K.K
きもの・洋品:八王子織物
小道具提供:マッサージ椅子 天竜工業K・K
(#18
制作主任:石和薫
協力 石打TBSスキー場
(#9)

【出演者

進藤英太郎(鶴亀次郎)
風見章子(妻・愛子)

園井啓介(長男・武男 #1 #2 #4 #6 #7 #8 #9 #10 #12 #14 #16 #18 #19 #20 #23 #24 #25 #27 #28 #29 #30 #32 #33 #34 #36 #37 #38 #39)

西川宏(次男・洋二 #1 #2 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #11 #12 #13 #14 #15 #17 #18 #20 #21 #22 #24 #25 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #34 #36 #37 #38 #39)

津坂匡章(三男・三郎 #1 #2 #3 #4 #5 #6 #7 #9 #10 #11 #13 #14 #15 #18 #19 #20 #21 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #36 #37 #38 #39)

あおい輝彦(四男・敬四郎 #1 #2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10声のみ #11 #13 #14 #15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)

高梨木聖(次女・幸子 #1 #2 #3 #4 #5 #7 #8 #9 #11 #13 #14 #15 #17 #18 #20 #23 #24 #25 #27 #28 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)

沢田雅美(三女・かおる#1 #2 #4 #6 #7 #8 #9 #11 #12 #13 #14 #15 #18 #20 #22 #23 #24 #25 #29 #30 #31 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)

菅井きん(お手伝いさん・お敏 #1#2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 #22 #23 #24 #27 #28 #29 #30 #32 #33 #34 #35 #36 #37 #38 #39)

新田勝江(お手伝いさん・初子 #1 #2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 #15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 #22 #36)

曾我廼家一二三(運転手・田村 #9 #10 #14 #17 #22)
池田二三夫(敬四郎の親友・杉本 #9 #15 #17 #21 #28)
小池栄(堀部長 #12 #27 #28 #33)
聖みち子(敬四郎の憧れの女の子・伊沢久代 #13 #14 #21 #28)
堀井永子(武男の恋人・片桐黄枝子 #16 #23 #24 #28 #37 #38)
長濱藤夫(イネの恋人・六さん #35 #39)
西尾三枝子(洋二の恋人・水原トシ #8 #9 #17 #21 #28 #29 #37)
樫明男(うなぎ屋・店員 #3 #12 #16)
河原崎次郎(三郎の友人・赤松 #22 #25 #37)
清水良英(赤松の学生妻・陽子 #22 #25 #37)
山口崇(西川先生 #35 #37)

玉川長太(#12 #16)
水野皓作(京香大飯店・ウエイター #1)
日野道夫(京香大飯店・経営者 #1)
大場正(#7)
駒八郎(#7)
竹内亨(#9)
名川貞郎(#9)
依田英助(#9)
柄沢英二(#9)
松井良(#9)
柿沼信二(#9)
須永靖夫(#9)
勝又道子(#9)
鷲尾真知子(かおるの同級生 #11)
木内みどり(かおるの同級生 #11)
水木涼子(#11)
西岡慶子(初子のお手伝いさん仲間 #12)
吉岡淑子(#14)
有馬昌彦(予備校講師 #15)
柏木隆太(#15)
岡本富士太(予備校生・#15)
篠原靖夫(喫茶店の客・#15)
沢渓(#15)
富永瞳(#15)
柏田旦子(#15)
太田啓子(#15)
千原光春(#15)
島 伸行(#16)
脇山邦子(#17)
笠井一彦(クリーニング屋 #19)
荘司洋子(ミナコ #21)
木村賢治(大学生・西田 #21)
和田一壮(#22)
豊原公子(#22)
加藤恵美子(#31)
酒田多恵子(#31)
北見治一(大亀建設重役 #33)
江幡高志(蕎麦屋の客・#33)
土田桂司(#33)
城戸卓(大亀建設社員 #33)
川崎巌(#33)
古田茂久(#33)
市山達己(#33)
小森英明(#33)
秋田のり子(#33)
小城由美(ルル子 #34)
柏木緑(#34)
滝淳一(#35)
鈴木洽六(#36)
加村赳雄(劇中劇・演出 #22)

岸輝子(敏の母・イネ #25 #26 #27 #28 #29 #30 #32 #34 #35 #36 #37 #38 #39)
村瀬幸子(堀部長の母・あや #28 #38)
小夜福子(高円寺の伯母さん・正子 #3 #5 #7 #8 #10 #12 #13 #16 #17 #19 #26 #28 #30 #31 #37 #38 #39)
神尾光の祖母・東山千栄子(#18 #19 #23 #37 #38)

竹脇無我(秋子の恋人・神尾光 #1 #5 #7 #12 #19 #23 #28 #34 #37 #39)
香山美子(長女・秋子 #1 #2 #4 #5 #7 #9 #12 #14 #18 #19 #23 #27 #28 #37 #38 #39)

制作:松竹 木下惠介プロダクション TBS

【スタッフ・プロファイル】

木下恵介
1912(大正元)年12月5日、静岡県浜松市に生まれる。1933(昭和8)年松竹蒲田撮影所に入所、撮影助手を経て助監督となる。1943(昭和18)年『花咲く港』で監督デビューを果たし、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』(1951年)を手掛け、『女の園』『二十四の瞳』(1954年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『楢山節考』(1958年)などの名作を手掛ける。1964(昭和39)年、木下恵介プロダクションを設立し、木下恵介劇場「喜びも悲しみも幾歳月」(1965年)、「記念樹」(1966〜1967年)、木下恵介アワー「おやじ太鼓」(1968年)、「三人家族」(1968〜1969年)、「二人の世界」(1970〜1971年)などヒット作を企画、制作、演出。1998(平成10)年12月30日没。

川頭義郎
1926(昭和2)年4月28日、東京市牛込区に生まれる。1945(昭和20)年松竹大船撮影所に入所、撮影助手を経て、木下組の助監督となり『カルメン故郷に帰る』など数々の作品を支える。1955(昭和30)年『お勝手の花嫁』で監督デビューを果たし、『涙』(1956)年などで、良心的作品を手掛ける。木下恵介プロダクション制作のテレビドラマのメイン監督として、松竹大船スタイルのテレビドラマを精力的に演出。俳優・川津祐介の兄。1972年12月30日没。

桜井秀雄
1930(昭和5)年5月1日、京都市伏見区に生まれる。1953年同志社大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に入所、木下惠介に師事。1964(昭和39)年『この空のある限り』で監督デビュー。木下惠介劇場「今年の恋」「おやじ太鼓」などを手掛け、1973年に木下プロに入り「人間の歌」シリーズなどを手掛ける。2011年6月5日没。

山田太一
1934(昭和9)年6月6日、東京都台東区浅草に生まれる。1958(昭和33)年、松竹大船撮影所に助監督として入所、木下恵介監督に師事。木下監督の『歌え若人達』(1963年)の脚本を担当、木下作品のテレビ版脚色を手掛ける。1965(昭和40)年フリーとなり、木下恵介劇場「記念樹」などを手掛け、「3人家族」で連続ドラマを全話執筆。木下恵介・人間の歌シリーズ「それぞれの秋」(TBS)、「男たちの旅路」(NHK 1976〜1982年)、「岸辺のアルバム」(1977年)、「ふぞろいの林檎たち」(1983〜1997年)などの名作ドラマのシナリオでテレビドラマの時代を牽引。

木下忠司
1916(大正5)年、木下恵介の弟として、静岡県浜松市に生まれる。音楽理論、声楽を学び、1940(昭和15)年に新交響楽団(NHK交響楽団)の機関誌編集に携わり、その後応召。復員後、兄の紹介で松竹映画の音楽部員として、1946(昭和21)年『わが恋せし乙女』の音楽を皮切りに、木下恵介作品の音楽を手掛ける。『破れ太鼓』(1949)年では次男役で出演、主題歌も歌った。木下恵介劇場、木下恵介アワーの音楽も担当し、「記念樹」「おやじ太鼓」「三人家族」「二人の世界」などの主題歌の作曲も手掛けている。


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