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『波涛を越える渡り鳥』(1961年・齋藤武市)

 1960年、日活はアクション映画の好調を受けて、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の四人の作品を毎月ローテーションで製作する「日活ダイヤモンドライン」を確立。12月には「渡り鳥」「流れ者」の好敵手だった宍戸錠のダイヤモンドライン入りが決定。錠の主役昇格により、好敵手役を演じることが出来なくなり、61(昭和36)年のお正月映画として製作された『波涛を越える渡り鳥』が、錠のシリーズ参加最終作となった。

 「渡り鳥」シリーズ第六作にあたる本作は、初の海外ロケ作品。香港、バンコックと東南アジアを舞台に、スケールアップを計っている。当時、日活映画は香港を中心にアジアマーケットで上映されドル箱映画となり、小林旭、浅丘ルリ子の人気は物凄かったという。海外配給された日活映画は延べでおよそ二百本以上。後に井上梅次、松尾昭典、中平康といった監督が香港に進出。少年時代のジョン・ウー監督がマイトガイ映画に夢中になったのも、こうした背景がある。


 アジアで絶大な人気を誇る「渡り鳥」の海外進出は、当時の勢いの中では必然だった。しかも宍戸錠の最終作となることも、クランクイン前に確定していた。前作『大草原の渡り鳥』(60年)で、和製西部劇としての頂点を極めた、企画・児井英生、脚本・山崎巌、監督・齋藤武市の「渡り鳥」チームが、ガラリと作品のテイストを替え、なんと「渡り鳥=滝伸次の出生の秘密」というテーマを打ち出している。


 タイトルバック。滝伸次がギターをつま弾く埠頭は、「渡り鳥」のために齋藤武市監督が定義した人口十万人程度の地方都市ではなく、港ヨコハマの白燈台。大都会で活躍する事のなかった滝伸次の姿はかえって珍しい。アバンタイトルには、昭和20年の終戦間際のタイビルマ国境で滝伸次一家の姿が描かれる。市川崑監督の『ビルマの竪琴』(56年)の舞台となった頃である。戦火から逃れる人々。少年時代の伸次を演じるのは江木俊夫。『二連銃の鉄』(59年)、『大草原の渡り鳥』で旭と共演した子役であり、人気アイドルグループ、フォーリーブスのメンバーとなり、後の東映『多羅尾伴内』(77年)でも共演している。


 これまでのシリーズで語られることのなかった滝伸次の過去。ヒーローは、運命の糸にたぐり寄せられるように、機上の人となる。今回の渡り鳥は、馬や船でなく、飛行機で波涛を越えるのである。そして香港。浅丘ルリ子と金子信雄が登場し、事件の謎を追って舞台はタイのバンコックへと移る。


 日活に残されている現場スチール写真を観ると、齋藤監督、助監督だった神代辰巳監督たちスタッフの和気あいあいとしたムードが伝わって来る。その親和力の中心にいるのが、小林旭と浅丘ルリ子のカップル。現場でのルリ子の表情は、いつもの慕情をたたえた哀しみのヒロインのそれではなく、実に生き生きとした20歳の女の子そのもの。スタッフ、キャストが一丸となって楽しんで映画作りをしている様子が伺える。


 さて、今回の宍戸錠が演じるのは、外人部隊のような出で立ちのラオスの虎。金子信雄の養父のもと、暗黒街の仕事を手伝っている。そのラオスを慕う現地女性ソンタヤにおなじみ白木マリ。いつものキャバレーのダンスではなく、民族舞踊を披露してくれる。


 高村倉太郎のキャメラが切り取ったバンコックの風景も実に美しく「アキラのブンガワンソロ」のイントロが流れる夕焼けのパゴダの美しさは、旅情を掻き立てる。この曲は作詩・西沢爽、補作曲・編曲・狛林正一によるエキゾチックなアキラ節。この路線はやがて「アキラでツイスト」「アキラでボサノバ」へと発展していく。


 さて、クライマックス。永遠のライバルだった錠と旭の意外な関係が明らかになる。血をめぐる物語というのも日活映画らしい。戦いに向う渡り鳥が素肌にホルスターを装着し、拳銃を収めるシーンの格好良さ。悪漢とヒーロー。そして好敵手。シリーズを構成して来た要素が、意外な形で着地していく。


 旭と錠は、本作の次に公開された『太平洋のかつぎ屋』(61年)での壮絶な殴り合いシーンを最期にしばらく共演作がなくなる。この年の1月に裕次郎がスキー場で骨折、2月には赤木圭一郎の死と、日活ダイヤモンドラインのローテーションが崩れ、宍戸錠が第一線で活躍することになる。

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