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人情喜劇から人間ドラマへ 『男はつらいよ 奮闘篇』(1971年4月28日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年5月13日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第七作『男はつらいよ 奮闘篇』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)


 先日、最も多く観ている『男はつらいよ』は何だろうという話になりました。ぼくはオールタイムでは、第七作『奮闘篇』がダントツです。その理由はいろいろありますが、やはり、無垢な魂を持つマドンナ、太田花子(榊原るみさん)への、寅さんはじめ、さくら、博、おいちゃん、おばちゃんたちの暖かな眼差しに尽きます。みんなが花子の幸せを想います。理屈でも理想でもなく、それぞれの間尺で、自分の出来ることを考える姿に、心動かされるからです。

 また、第七作には、山田洋次監督がこよなく愛する「古典落語」のエッセンスが凝縮されているのです。寅さんが花子と出会う沼津駅近くのラーメン屋の主人を演じているのは、五代目柳家小さん師匠。

 昭和四十二(一九六七)年、江戸落語を題材にした山田監督の『運が良けりゃ』(一九六六年)を観たTBS落語研究会の白井プロデューサーが、山田監督に柳家小さん師匠の新作落語を書いて欲しいと依頼。そこで誕生したのが「真二つ(御利益)」という噺です。

 子供の頃、ラジオから流れてくる落語に夢中になった山田監督は、当時住んでいた東京は雪谷の古本屋で見つけた全三冊の「落語全集」がどうしても欲しかったそうです。でも、厳格な父親にそれを言ってもムダだということもあり、書店で憧れの「落語全集」を眺める日々が続いたそうです。その頃、山田少年は、伝染病であるジフテリアで入院。「何か欲しいものはないか」とお父さんに言われ、病院のベットで「この機を逃してはあの全集を手に入れることはできない」と思い、恐る恐る「落語全集」が欲しいと言ったそうです。山田監督はそのときの「父親の情け無さそうな顔をいまだに憶えている」とエッセイに書かれています。

 その落語全集は山田少年のバイブルとなり、中学一年のとき、満鉄につとめるお父さんの転勤で満州に引っ越したときも肌身離さず持って行ったそうです。そして敗戦、混乱の日々のなかでも、その「落語全集」は山田少年の宝物でした。

 しかし、いよいよ内地へ引き揚げるときに、泣く泣く置いて来たそうです。少年時代、ラジオから流れる落語を好きになり、「落語全集」を繰り返し読み、江戸落語の住人たちと、心の中で触れ合ってきた山田洋次少年が、長じて映画監督となり、いつしか身に付いていた落語が、その作品の中に息づいていました。

 特に『男はつらいよ』は、車寅次郎という主人公の滑稽噺であり、柴又の人々が織りなす長屋噺でもあり、さまざまな人生とのふれあいを描く人情噺でもあります。寅さんが柴又に帰ってくるシーンは毎回、観客の笑いを誘う、お楽しみですが、これは五代目柳家小さん師匠が得意とした噺「笠碁」のバリエーションです。

 「笠碁」では昔からの碁敵の老人二人が仲違い、一方の老人が大店のなかにいると、雨の中碁敵の老人が店の前をウロウロしている。入りたいけど、入れない寅さんと、「バカだねぇ、入ってくりゃいいのに」と店の中からそれを見ているおいちゃんの関係は、この「笠碁」にルーツがあるのです。

 第七作『奮闘篇』の冒頭、新潟県は越後広瀬駅での集団就職の少年少女と両親、祖父母との別れの場面に、寅さんが居合わせるエピソードがあります。この頃になると、おなじみの登場人物の名人芸、落語的な人間関係が「男はつらいよ」の魅力だと、映画好き、落語好きの間で、語られていました。もちろん本作でもタップリとそれが味わえるのですが、この冒頭シーンは、渥美清さん以外は、すべて普通の人たちです。学生もお母さんもおばあちゃんも、見送りの人も。このシーンは現実世界に寅さんがいたら? というような実験が行われているのです。

 ウエルメイドな「男はつらいよ」でのアヴァンギャルドな試み、これがまたいいのです。しかし、ここで描かれているのは、親子の別れ。落語の「子別れ」のモチーフとなっている、親子の情愛です。様々な現実を内包しながら、それを「男はつらいよ」の世界にラッピングしてくれるのが、寅さんの言葉です。

「可愛い子には旅をさせよ申しますが、まだ、年端もいかねぇのに労働に励まなきゃならねえこの若者たちに遊び人風情のこの私が生意気なようでございますがこう言ってやったんでございます。親を恨むんじゃねえよ。親だって何も好き好んで貧乏しているんじゃねえんだよ、ね」

 ここでの寅さんは、人情噺を語る落語家の役割です。客観的に登場人物の身上を語っています。しかし、寅さんは主人公でもありますから、すぐに噺のなかに飛び込んで行きます。そして、旅先で出会った人には、必ずかけるこの言葉を、汽車のなかの学生たちにかけるのです。

「それからな。東京に出て故郷が恋しくなってたまらなくなったら、葛飾柴又の帝釈様の参道にとらやという古くせえだんご屋があるからそこへまっすぐ訪ねていきな。そこにはオレのおじさんとおばさんにあたる老夫婦とそれからたった一人の妹がいるからよ。どいつもみんな涙もろい情け深いやつらばっかりで君達が故郷に帰ったみたいにきっと親身になって迎えてくれるよ。」

 寅さんは、袖摺り合うも多少の縁で、旅先で出会った人に、こういう風に声をかけます。集団就職の少年少女たちにかけたこの言葉は、観客の胸にも届きます。それがふと頭をよぎると、ぼくらは柴又に出掛けたくなるのです。

 ここが落語でいうマクラとなり、主題歌が流れるタイトルバックで、柴又の情景描写、そして寅さんの生みの親であるお菊(ミヤコ蝶々)が柴又を訪ねてくるシークエンスとなります。ここで、さくらとお菊の初対面が笑いのなかで描かれます。

さくら「あの、お兄ちゃんの妹のさくらです。はじめまして。」
菊「私、寅の母親の菊でございます。どうもなんやけったいな具合でんなぁ、なんや関係ありそうでよう考えたら、全然他人でんなぁ、この人。」

 ここでどっと笑って、いよいよ本題。これも落語的な語り口です。冒頭で現実の「親子の別れ」をドキュメント風の映像で見ていますが、お菊の息子を想う気持ちも感じつつ、寅さんとお菊の再会に向けてのドラマを見つめることになります。寅さんが例によって店に入ってくるまでの笑いがあって、お菊についての話となります。

「冗談じゃねえや、そりゃいかにもよ、オレァあのクソババァの体内から生まれ出でたかもしれねえよ、人のこと勝手にひりっ放しにしやがって逃げた女がどうして母親なんだ。オレの母親はねおばちゃん、あんただよ。そして父親はおいちゃん、お前なんだぜ」

 と、おばちゃんを泣かせるような一言を放ちます。続いて寅さんが「そのボクをこのふた親は冷たい仕打ちをするんだもんなあ」と言ったところで、劇場は大爆笑です。

 いつものように一騒動あって、寅さんは旅の人となり、静岡県沼津駅前のラーメン屋で、マドンナ花子と運命の出会いをすることになります。そこで登場する柳家小さん師匠が素晴らしいです。「真二つ」(一九六七年)「頓馬の使者」(一九六八年)と二つの噺を書いたところで『男はつらいよ』シリーズがスタート、二人の交流が続いてきました。柳家小さん師匠は、昭和四十五(一九七〇)年一月に発行のキネマ旬報「男はつらいよ大全集」のなかで「男はつらいよ」について、こんな風に書いています。

 よく、落語をそのまんま映画にしたような映画がある。お話にそのまんま落語を使うわけです。けれども、形だけで、落語の心をよくかみしめて、映画にしてくれちゃいない、そんなんじゃないんだね。
 笑いの中に、ジーンと涙をにじみ出させるところを出す。笑って見ているうちに、淋しさと哀感が出て、自然と涙がにじむ。笑いにいろいろ情がからんでくる。これですよ。
「男はつらいよ 大全集」キネマ旬報一九七一年一月十日号増刊

 「男はつらいよ」の本質を言い当てた素晴らしい言葉です。この文章が掲載されてほどなく、山田監督は小さん師匠に第七作への出演依頼をしたと思われます。落語的な世界を映画で描いてきた山田監督が、映画的な新作落語を提供し、小さん師匠が役者として「男はつらいよ」に出演する。このエールの交換の結果を、ぼくらはいつでも『奮闘篇』で楽しむことが出来るのです。

「ちょっと変な子だけども、頭数だけそろえておきゃぁ、なんてんでひっぱってきたもんの、人並みに働けねえ、しょっちゅう叱られてばかりいて、いやになって逃げ出すってやつだよ。」

 小さん師匠演じる、ラーメン屋の親父は、今、勘定を終えて店を出ていった、花子についてこんな風に分析します。これぞ落語。絶妙の間で、親父さんの空想にも関わらず、妙なリアリティで説得力があります。寅さんはここで、花子という少女を理解してしまいます。自分が守ってあげないといけない、という使命感に燃えてゆくのですが、それがこの親父さんの言葉に感化されてのことなのが、寅さんの良いところです。

 第七作『奮闘篇』には、一般の人と寅さんのやりとりで始まり、名人・柳家小さん師匠と寅さんの幸福な邂逅と続きます。そして次に登場するのが、ハナ肇とクレイジー・キャッツのベーシスト、犬塚弘さん。沼津駅前交番の巡査役で、花子に事情を聞いていたところに、通りかかった寅さんが加わっての人情噺となります。 

 犬塚さんは『馬鹿まるだし』(一九六四年)から山田洋次作品の常連で「男はつらいよ」シリーズにも、最終作『寅次郎紅の花』までしばしば出演されています。


この続きは、拙著「みんなの寅さんfrom1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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