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『ザッツ・エンタテインメントPART3』のアウト・テイク解説(パート2)

”I’m an Indian Too”
『アニーよ銃をとれ』(1949年・未完成)

歌・踊り:ジュディ・ガーランド
作詞・作曲:アーヴィング・バーリン

 ”I’m An Indian Too”は長い間その存在が知られていながら、公式に発表されることがなかったアウトテイクである。MGMはアーヴィング・バーリン作、エセル・マーマン主演のヒットミュージカル「アニーよ銃をとれ」の映画化権を獲得。主演は『イースター・パレード』(1948年)でそのキャリアの絶頂にあったジュディ・ガーランドが演じることになっていた。ところが当時、極度の緊張からくるノイローゼと夫・ヴィンセント・ミネリ監督との関係悪化など、スクリーンの外でのジュディは様々なトラブルを抱え、撮影所に遅れたり休むこともしばしばだった。

 監督は『イースター・パレード』でもジュディの魅力を最大限に引き出したチャールズ・ウォルターズ、場面構成は映像の魔術師と呼ばれ『オズの魔法使』(1939年)や『ガール・クレイジー』(1943年・未公開)でもジュディと組んだバズビー・バークレイ。そして振付には名手ロバート・アルトンが採用された。その馴染みの演出家でもジュディの悩みを解決することができず、ミュージカル場面の収録後についにスタジオはジュディの降板を決定する。

 監督も『ショウ・ボート』(1951年)などのベテラン、ジョージ・シドニーに変更、結局パラマウントから、日本では“鉄火娘”の異名を持っていた元気いっぱいのコメディエンヌ、ベティ・ハットンを借りて製作したのが『アニーよ銃をとれ』(1950年)だった。

 今ではMGMミュージカルの代表作の一つである『アニーよ銃をとれ』の裏にも様々なドラマがあった。TE3では、長らくファンの間では幻とされていたジュディ・ガーランド版「アニー・オークレー」を観ることができる。ベティ・ハットン版との見比べができるのもアンソロジーならではの特徴だろう。

“March Of The Doagies”
『ハーヴェイ・ガールズ』(1946年・未公開)

歌・踊り:ジュディ・ガーランド レイ・ボルジャー
作詞:ジョニー・マーサー 作曲:ハリー・ウォレン

 『ハーヴェイ・ガールズ』は『若草の頃』(1944年)に引き続き、アーサー・フリードが製作したジュディ・ガーランド主演の大作ウエスタン・ミュージカル。アカデミー主題歌賞を受賞した”On The Atchison Topeka And The Santa Fe”はTE1にも収録され、レイ・ボルジャーのダンスは姉妹編『ザッツ・ダンシング!』で登場しているお馴染みの作品だが、残念ながら日本未公開。

 映画の後半、”Swing Your Partner Round And Round”の直後、ガーランド、ボルジャー、シド・チャリースたちが何百人ものキャストと行進する松明の大行進シーンだが、映画の上映時間の関係でやむなくカットされた大プロダクション・ナンバーである。

 振付はロバート・アルトン、『ハーベイ・ガールズ』に登場するすべてのセットを使用した大掛かりなシークエンスとなった。

“Mr.Monotony”
『イースター・パレード』(1948年)

歌:ジュディ・ガーランド
作詞・作曲:アーヴィング・バーリン

 『サマー・ストック』(1950年・未公開)は、ジュディ・ガーランドのMGM最後の作品だが、TE1にも収録されている。”Get Happy”という名ナンバーが登場した作品として記憶されている。

 男もののロビンフッド帽に、ハーフタキシード、網タイツのスタイルは後年、ジュディ・ガーランドのコンサートにも欠かせない彼女お気に入りの衣裳であった、実は『サマー・ストック』以前にも、ジュディのトレードマークが登場している。それがTE3最大の話題『イースター・パレード』のアウトテイク“Mr.Monotony”。

 本来なら映画の後半、フレッド・アステアとジュディの“A Couple Of Swells”とアステアのソロ”Steppin’ Out With My Baby”の間に挿入される予定だった。なぜカットされたのかは、明らかではないが、アステアを際立たせるためだろう。

 この素晴らしいナンバーを演出したチャック・ウォルターズと振付のニック・キャッスルは、のちに『サマー・ストック』で”Get Happy”を演出している。よほどカットが悔しかったのだろう。

 ともあれ半世紀の歳月を経て、幻のナンバーに出会うことが出来るのも『ザッツ・エンタテインメント』ならではのお楽しみだ。

“I Wanna be a Dancin’Man”
『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』(1952年・未公開)

歌・ダンス:フレッド・アステア
作詞:ジョニー・マーサー 作曲:ハリー・ウォレン

 1950年代のフレッド・アステアは『恋愛準決勝戦』(1951年)の帽子掛けとのダンスや、部屋を360度回転したり(いずれもTE1収録)と、ソロダンスに映画的改革をもたらそうと、様々なアイデアをナンバーに活かしていた。

 『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』は、ヴェラ=エレンの救世軍女性と金持ちの道楽息子のアステアの恋を描いたミュージカルだが、80分の上映時間中、なんと40分近く、ミュージカル場面がある意欲作。

 20世紀初頭のニューヨークを舞台にしているため、全編オールド・ファッション・ムードに溢れており、アステアのソロ・ダンス“I Wanna Be A Dancin’Man”も当初、懐かしの「バーバー・ショップ・コーラス」スタイルで収録された。

 ところが背景も衣裳も地味だったため、アステアは再撮影に望んだ。ここではその2バージョンを画面分割にして見せてくれる。

 アステアの完璧主義を垣間見ることの出来る貴重なフィルムである。撮り直す前と後、寸分違いない動きをするアステアはやはり、ワン・アンド・オンリーの天才であるという証明だろう。



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