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”This is Elvis"『ジス・イズ・エルビス』(1981年・ワーナー・アンドリュー・ソルト、マルコム・レオ)

6月14日(火)娯楽映画研究所シアターでは、エルヴィス・プレスリー没後四年で作られたドキュメンタリー”This is Elvis"「ジス・イズ・エルビス」(1981年・ワーナー・アンドリュー・ソルト、マルコム・レオ)を米盤DVDからスクリーン投影。

関係者の証言、本人の語り(という設定)を交えて、再現フィルムと当時のパフォーマンス、バンクフィルム、映画クリップ、ニュース映像などで構成したプレスリー版「ブルース・リーの生と死」。プレスリーの側近で友人だったジェリー・シリングとジョー・エスポジート原案。製作・監督・脚本はアンドリー・ソルトとマルコム・レオ。製作総指揮はのちに『ザッツ・エンタテインメント3』(1994年)を手がけるバド・フリージェン。

改めて見ると、かなり恣意的な編集、構成(なんたって本人が心情を語るという設定で、本人役の役者がナレーション)だけど。1935年、ミシシッピ州テュペロで双子の一人として生まれらエルヴィス・アローン・プレスリーが、近所の黒人たちのブルースに夢中になり、少年時代からギターに夢中になったエピソードから始まる。

13歳の時、父親の借金で、一家はメンフィスに移住。低所得者アパートで暮らすようになる。その頃、エルヴィスは映画館でアルバイトをしていた。内気な少年は、そのギターテクニックで、同級生の女の子たちを魅了。1953年、週給35ドルでトラック運転手となり、8月の母の誕生日プレゼントとして自費でレコーディング。サン・レコードの社長により本格的にデビュー。1955年、RCAビクラーに移籍して、いよいよ1956年「ハートブレイク・ホテル」で一世を風靡する。

つまりエルヴィスは、わが石原裕次郎さんと同世代。一歳年下だが、世に出たのが同じ1956年(ここが重要)。そこから25年間、エルヴィスは映画にレコードで活躍して、さまざまな伝説を生み出すことになる。その足跡を辿っていくと、ほぼ裕次郎さんと同じタイミングで、さまざまな伝説が生まれ、キャリアの転機の時期も似ている。

お仕着せの映画(32本も主演!)に嫌気がさして「自分に相応しいこと」を求めて、原点に戻って出演したNBCの「1968カムバック・スペシャル」の1968年は、裕次郎さんが石原プロモーションで畢生の大作『黒部の太陽』(熊井啓)を大成功させた年でもある。

1977年、42歳の若さで、現役のまま(当日もコンサートの予定だった)星になったエルヴィス。アメリカの戦後文化史においても、音楽史においても、もたらしたものは大きい。なんといっても、そのパフォーマンスの全てが、僕らを魅了してやまない。それも僕にとっては石原裕次郎さんと同じ魅力なのだ。

というわけでバズ・ラーマンの『エルヴィス』がますます楽しみになってきた。


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