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『エノケンの孫悟空』(1940年・山本嘉次郎)

 戦前の東宝映画としても、エノケン映画としても文字通りの大作映画が1940年、皇紀二千六百年で沸き立つ昭和15年に作られた『エノケンの孫悟空 前後編』である。

 撮影はハリウッド帰りのハリー三村こと三村明。特撮には後に『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)、『ゴジラ』(1954年)で東宝特撮黄金時代を築き上げる円谷英二。音楽には栗原重一と鈴木静一。淙々たるスタッフに、キャストも豪華である。特別出演として李香蘭(満州映画協会専属)、汪洋(中華電影公司専属)、渡辺はま子(コロムビア専属)、三益愛子、益田隆(東宝舞踊隊)、そして東宝舞踊隊(日劇ダンシングチーム改め)とまずクレジットされる。

 満州映画、中華電影公司との提携に、当局の意向が感じられ、日劇ダンシング・チームが東宝舞踊隊と改名したことがタイトルバックからわかる。長引く日中戦争、来るべきアメリカとの戦いに向けての戦時体制が整いつつあった時代。『孫悟空』は大作がゆえに、時局への迎合が感じられる。しかし、反面。山本嘉次郎とエノケンが目指したのは、究極の大作レビュー映画であり、前後編の上映時間が二時間十九分(現存するプリントは二時間十五分)という大作のファンタジーなのである。

 孫悟空=エノケン、猪八戒=岸井明、沙悟浄=金井俊夫、そして三蔵法師=柳田貞一というメインキャスト。エノケン一座の主要メンバーのなかに、東宝の人気コメディアン・岸井明がいる。岸井はP.C.L.時代から『青春酔虎伝』『魔術師』(1934年)に出演。本作でも岸井の伸びやかな歌声がタップリ堪能できる。

 映画は悠々たるテンポというか、いささかまだるっこしい部分があるが、ナンバーがとにかく充実している。開巻、宮廷で繰り広げられる舞踊。俯瞰ショットで捉えた円形のダンサーたちは、バズビー・バークレイ作品を思わせる。そこに「フォーリーベルジェール」を率いていた北村武夫の玄宋王が登場して朗々と歌い、三蔵法師に天竺への旅を命じる。

 エノケン=孫悟空はいきなり登場しない。舞台のレビュー・ショウよろしく大きなプロダクション・ナンバーがあって、ようやく孫悟空の登場とあいなる。三蔵法師に何者と問われて「♪そもそも、私は石より生まれた〜」と歌で名乗りを上げる孫悟空。

 お馴染みの展開で、猪八戒、沙悟浄が仲間となり天竺への旅と相成る。その間にも、益田隆によるコウモリのダンス・レビュー・ショウなど、プロダクション・ナンバーが続く。そこで敵の珍妙王=高勢實乘が登場。「アノネのオッサン」こと高勢は、P.C.L.映画の場面食いとしてエンタツ・アチャコ、川田義雄のコメディで珍演を見せて、子供たちに絶大な人気を誇っていた。エノケンとも『エノケンの弥次喜多』(1939年)で共演。その怪演は見るものを圧倒する。

 孫悟空と珍妙大王の変身合戦の面白さは、後年1980年代のテレビバラエティ「オレたちひょうきん族」の「Theタケちゃんマン」のビートたけしのタケちゃんマンと明石家さんまのブラック・デビルの遥かなるルーツだろう。

 時局迎合とはいえ、ジャズ・ソングやスタンダード曲はもちろんタップリ入っている。猪八戒が歌う「世紀の楽団」(アレキサンダース・ラグタイム・バンド)、アラビヤ娘たちと孫悟空が浮かれる「アラビヤの歌」。孫悟空たちがキント雲ならぬ飛行機(これぞ円谷特撮!)に乗って歌う主題歌「孫悟空の歌」は、当時の子供たちの間で大流行したが、原曲は「ブランコ乗りの男」。クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールの名作『或る夜の出来事』(1933年)のバスの中で、観客たちが合唱した曲である。

 そして驚くべきなのは、森の中の妖精たちが歌う「星に願いを」。ウクレレ・アイクことクリフ・エドワーズがディズニーの漫画映画『ピノキオ』(1940年)のなかで歌い、アカデミー主題歌賞を獲得した曲。もちろん、『ピノキオ』はまだ日本で公開されていない(公開は戦後、1952年になってから)。

「♪おとぎの森の夜中は静か。朝朝まで楽しく〜」と妖精たちが気持ちよさそうに歌っていると、歌で目を覚ましてしまった孫悟空が「コラ!」と怒鳴ってコミックな落ちとなる。

 さらに七人ならぬ11人の小人たちが歌う「ハイ・ホー」。『白雪姫』(38年)の挿入歌であるが、オリジナルが公開されるのははるか後のこと。セットを見るとアニメに登場する炭坑そっくりの入り口まで作られて、おとぎの国の道が『オズの魔法使』(1939年)のイエロー・ブリック・ロードを明らかに意識している。このあたりは、製作者側の本格的ファンタジー映画の模倣という形のイメージ作りがはっきりしている。

 同時に、エノケン時代劇にも見られたモダニズムも健在。妖怪の金角大王(中村是好)と銀角大王(如月寛多)がテレビ・モニターで孫悟空たちの動静をキャッチする。昭和15年にはテレビジョンの実験が行われており、最新のシステムではあったが、SF的なビジュアルが斬新。このテレビジョンは、昭和19年の戦地慰問バラエティ映画『勝利の日まで』で、さらに強化されて「エンターティナーの転送装置」として登場する。いずれも円谷英二のSFマインドあふれるビジュアルだ。

 さて、その金角・銀角にオペラ・ガスを浴びせられた孫悟空一行が「♪なんだか歌を唄いたくなった〜」と唄い出す。懐かしの浅草オペレッタ・メドレーが、岸井明とエノケンによって再現される。セットもなぜか「ボッカチオ」風となり「メリー・ウイドウ」「恋はやさし」「闘牛士の歌」「君よ知るや南の国」「乾杯の歌」などのフレーズが、掛け合いで飛び交う。

 『エノケンの孫悟空』にはヤマカジ=エノケン・コンビが目指してきた音楽映画のエッセンスに溢れている。集大成とはまさにこの作品のことで、これ以後、映画も当局の管理下におかれ、歌や音楽に溢れていたエノケン映画からも次第にナンバーの数が減ってゆくことになる。適性音楽であるジャズ・ソングや洋楽をフィーチャーすることも『孫悟空』が最後となる。

 フィナーレ。「ハイ・ホー」「口笛吹いて」とディズニー・メロディーで始まる。やがて高峰秀子のお姫さまが「♪喜びが胸に溢れて、夢ごこち」とファンタジックに唄うと曲が転調して「軍艦マーチ」のワンフレーズから「孫悟空の歌」のイントロとなる。「♪空飛び、土潜り、水をくぐれるのは〜」と勇ましく主題歌のコーラスで大団円を迎え、戦前最大のミュージカル・レビュー映画は幕を閉じる。






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