『新・夫婦善哉』(1963年・豊田四郎)

 前作から8年後に作られた『夫婦善哉』の後日談。昭和38(1963)年10月12日、千葉泰樹監督、仲代達矢さんと池内淳子さんの『みれん』と同時封切りされた。いずれも製作は東宝傍系の東京映画。森繁久彌さんとしては「社長」「駅前」両シリーズの合間、同じ豊田四郎監督『台所太平記』(原作・谷崎潤一郎・6月)に続いての文芸作品となる。

 織田作之助の「夫婦善哉」「上司小剣」「鱧の皮」を原作に、前作同様、八住利雄さんが脚色。昭和12年の夏、蝶子(淡島千景)は昔馴染み、おきん(浪花千栄子)から法善寺横丁の小料理屋「卯の花」を任されて、連日懸命に店を切り盛りしている。一方の柳吉(森繁久彌)は、相変わらずの極楽とんぼ。蜂の研究をしていて、養蜂家になろうと夢を追い求めている。

 さて、前作で、船場の惟康商店に入婿した、柳吉の妹・筆子(八千草薫)の亭主・京一(山茶花究)は、相変わらず守銭奴で、柳吉に冷たい。司葉子さんが演じていた筆子は、今回は八千草薫さん。関西弁ネイティブの八千草さんのイントネーションも魅力的。柳吉の娘・みつ子に、中川ゆき(現・中川裕季子)。「駅前シリーズ」でコメディ・リリーフをしていた、三木のり平さん、「てなもんや三度笠」でブレイクした藤田まことも、娘・みつ子の結婚相手の医師役で助演。前作で惟康商店の番頭で、使い込みでクビになった長助(田中春男)は、今は事業に成功して羽振りがいい。

キャメラの岡崎宏三さんに、話を伺った時に、豊田四郎監督は徹底的に前作のムードの再現に拘ったと仰っていた。美術の伊藤熹朔さんは、法善寺横丁のセット、前作のラストに登場した「夫婦善哉」の店などを再現するにあたり、セット図面をシネスコサイズ用に書き直して、東京映画のスタジオに組んだ。「夫婦善哉」の店だけでなく、前作でもキーとなった「地蔵盆」のシーンのリフレインもある。

今回、柳吉がご執心なのは、場末のモダンガール、お文(淡路恵子)。「駅前シリーズ」とは違って、戦前のデカダンスなムードのなか、奔放な女の子を好演している。千葉の漁師町出身のお文の提案で、柳吉は起死回生をはかり東京へ。蝶子に届いた封書には「東京市中野区池袋」とある。池袋のしもた屋の二階に、お文と暮らし始めたが、お文にはたちの悪い自称兄(本当はヒモ)の伸一(小池朝雄)がいて、柳吉同様の素寒貧。貧すれば鈍する。あまりにもわびしい東京暮らしである。

基本的には前作のリフレインで、ダメ男の柳吉と、亭主に愛想をつかせながらも尽くす蝶子の、切っても切れない「男と女の腐れ縁」の物語。今回は、淡路恵子さんのお文のキャラクターが強烈で、最初は柳吉に送ってくる蝶子の金をむしり取ろうとしているうちに、心底柳吉に惚れていく。少しでも蝶子に気持ちが戻ったら「亜ヒ酸」で服毒自殺すると脅す。そのパッションは、女優・淡路恵子さんの真骨頂。前作にはないもので、淡路恵子さんと淡島千景さんが火花を散らすシーンはみもの。

 柳吉は、みつ子の結婚式に出席したい一心で、船場に戻ってくるが相手にされない。そこで、心情調査しようと、みつ子の花婿・赤壁医師(藤田まこと)に偽名を使って診察してもらうシーンは、森繁さんと藤田まことさん、ベテランと若手コメディアンの、二人のアドリブを交えたやりとりは、文芸映画というより「駅前シリーズ」の味わい。

みつ子の婚礼の日に、惟康商店に現れる柳吉。前作の父の葬儀シーンに呼応した演出だが、森繁さんと中川ゆきさんの「花嫁の父と娘の別れ」の会話が切ない。しかも、娘婿が惟康商店を発展解消させてハッピー株式会社に。みつ子の嫁入りを機に、店を引き払うことになり、非情にも店を片付け始める。これが惟康家の最後の日となる。このシーンの森繁さん、放蕩息子の落日を見事に演じている。ここは本作のハイライト。愛想を尽かしながらも柳吉への想いが立ちきれない蝶子が一人、法善寺横丁の夫婦善哉に入るシーンも切ない。
 
 終盤、蝶子がハッピー株式会社に乗り込んでから、房州で養蜂家の下男となっている柳吉と再会してからエンディングまでは、詰め込み過ぎでやや未消化、前作の見事なラストには及ぶべくもないが、森繁さんと淡島千景さんの芸達者を存分に堪能できる。

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