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昭和四十八年の年の瀬と『私の寅さん』〜『男はつらいよ 私の寅さん』(1973年12月26日・松竹・山田洋次)

ま文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2022年1月1日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十二作『男はつらいよ 私の寅さん』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)


 この回は、もともと山本富士子さんがマドンナを演じることが発表されていました。ところが、まだ五社協定の名残があり、土壇場になり、山本さんの出演が出来なくなり、それでは松竹が誇る銀幕の名女優・岸惠子さんが出演されることになったそうです。業界紙の編集をしていた父から、そういうビハインドを聞いていましたが、まだ小学校四年生です。山本富士子さんも、岸惠子さんもピンと来てません。でも寅さんのマドンナを演じるのだから、すごい女優さんであることはよく分かっていました。

 『私の寅さん』の前半は、とらや一家の九州旅行です。いつも出て行ったっきり、糸の切れた凧のような寅さんのことを、さくらやおばちゃんたちは心配しています。「今頃何をしているのだろうか?」「ちゃんとご飯を食べているかしら?」。特にさくらとおばちゃんは、一年のほとんどを、寅さんのことを心配しているような気がします。第八作『寅次郎恋歌』で、さくらはこう言ってました。

「一度はお兄ちゃんと交代してあたしのことを、心配させてやりたいわ。寒い冬の夜、こたつに入りながら、『ああ、今ごろさくらはどうしているかなぁ』って、そう心配させてやりたいわよ」。

 これが本音です。そこで山田洋次監督は、いつもとは真逆の展開を考えます。それがとらや一家の九州旅行でした。さくらと博が、普段世話になっている、おいちゃんとおばちゃんを旅行に招待することにします。おばちゃんの嬉しそうな顔には、ほとんど柴又を出てこなかった、これまでの日々が伺えます。

 第三作『フーテンの寅』では、三重県湯ノ山温泉においちゃんとおばちゃんが水入らずで出掛けたものの、旅館の番頭をしている寅さんと再会、そうそうに旅行を切り上げてしまいます。また、第四作『新・男はつらいよ』では、旅行代金を持ち逃げされ、ハワイ旅行に行き損ねたこともあります。

 でも今回は、思い切っての九州旅行。その前夜に、折悪しく寅さんが帰ってきてのひと騒動があります。とらや一家にしてみれば、寅さんになかなか言い出しにくい。寅さんにしてみれば、出掛けるなら、すっと言ってもらいたい。でも寅さんは、どのみち折角帰って来たのに、楽しく旅行に出掛けられるのは、面白くない、という複雑な気持ちがあるわけです。

 家族にしてみれば、こんなに気を使っているのに、文句を言われたら、嫌な気持ちになる。リアルに解釈すれば、こんなところです。その「面白くない」という雰囲気を出す寅さんがまた抜群です。

 結局、留守番をすることになりますが、初めて経験する「待つ身のつらさ」が、前半の笑いとなっていきます。楽しい旅行のショットの合間に、ひがみっぽくなっている寅さんのショットがインサートされていくのです。寅さんが拗ねれば拗ねる程、家族の気持ちは重たくなっていくのが、またおかしいのですが。

 でも、寅さんにしてみれば、旅先から、せめて電話だけでも、毎晩かけてきて、元気な声を聞かせて欲しいわけです。旅行初日の晩、杖立温泉の山水荘に泊まった一行。さくら「そうだ、私お兄ちゃんに電話しないといけないんだった。八時過ぎた?」、博「とっくだよ」という会話に時代を感じます。

 昔は、長距離通話は、夜八時過ぎると安くなったので、こういう会話が日常的でした。さくらが電話をすると、待ち構えていた寅さん、まるで子供のように悪態をつきます。

「なんだよ、お前、今晩電話するってからよ。俺は日が暮れるまえからずっと電話機の前で座って待ってたんだぞ」と寅さん、さくらの「何か変わりない?」の問いに、「大ありだよ!いっぱいあるよ!泥棒が入ったぞ!有り金残らず持ってかれちゃったからな!それからな!裏の工場タコのとこから火が出てこのへん丸焼けだ、あと東京は大震災でもって全滅だよ」

 もう子供です。東京を全滅させてしまうほど、寅さんは淋しかったわけです。そんな寅さんですが、一家が早めに戻ってくることになると、その歓迎で大ハリキリです。タコ社長と源公に協力を仰いで、部屋を片付け、昼ご飯の準備をし、風呂を沸かします。その胸の内は、寅さんのアリアで語られます。

 そういう風に迎えて貰えたら、という寅さんの願望が過今見えます。「長旅をしてきた人」は寅さんでもあるからです。というわけで、この『私の寅さん』では、冒頭に帰って来てからずっと、寅さんが柴又を離れません。マドンナのりつ子(岸惠子)は、偶然、再会した小学校時代の同級生・デベソこと柳文彦(前田武彦)の妹で、柴又の隣、葛飾区新宿にある実家に住んでいます。

 そこで寅さんはりつ子と出会い、いつものように恋をします。長旅から帰ってきた寅さんは、この映画では柴又にずっといるのです。前田武彦さんが演じた柳は、シリーズで初めて登場した寅さんの少年時代の悪ガキ仲間です。少年時代の寅さんについては、折々の会話と、寅さんのなかにある「子供の部分」から窺い知ることが出来ます。家業である医者を継がずに、今は放送作家となってメロドラマか何かを書いている冴えない男を、前武さんが好演しています。

 柳文彦は、第二十八作『寅次郎紙風船』の同窓会のシーンでも再び登場しています。このときのあだ名は、「デベソ」ではなく「カワウソ」でした。寅さんの悪ガキ仲間といえば、第二十四作『寅次郎春の夢』で、マドンナ圭子(香川京子)宅の離れの英語教室を増築する大工の棟梁・茂(犬塚弘)が真っ先に思い出されます。

 この茂も第二十八作『寅次郎紙風船』の同窓会に登場します。そのシーンには、渥美清さんの浅草フランス座の後輩である東八郎さんが演じた金町のクリーニング店主、シラミこと安男も登場します。前田武彦さん、東八郎さん、犬塚弘さん、皆さん、寅さんの幼なじみには相応しい感じがします。

この続きは、拙著「みんなの寅さんfrom1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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