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 昭和36(1961)年は、日活映画にとって重要な年となった。前年2月、赤木圭一郎の参加によって完成されたダイヤモンドライン(石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治)によって、量産されてきた日活アクション映画のローテーションが、1月の裕次郎のスキー場での骨折事故と、2月の圭一郎の事故死によって崩れてしまったからだ。二人のスターを欠いた日活は、「渡り鳥シリーズ」「拳銃無頼帖シリーズ」で旭や圭一郎の好敵手を演じていた宍戸錠と、ダンプ・ガイと命名される二谷英明をダイヤモンドラインに加え、アクション帝国のメンバーを補強することになる。


 さて『紅の拳銃』だが、夭折した赤木圭一郎にとっては、未完のままに終わった『激流に生きる男』(後に高橋英樹主演で完成。赤木の出演フッテージを編集して67年『赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男』として公開)を除けば、残念ながら遺作となってしまった。


 原作は田村泰次郎の「群狼の街」。日活アクションに端を発したガン・ブームを受けて、本格的ガン・アクション映画として企画された。監督・牛原陽一にとっても、主演・赤木圭一郎にとってもまぎれもなくベスト作品となったのが『紅の拳銃』だった。


 オープニング。垂水吾郎の石岡が、観客に向けて「殺し屋なんて職業は存在しない」というような事を言う。虚構としての殺し屋、拳銃のプロフェッショナルをスクリーンに登場させてきた日活アクションの自己否定ともとれるセリフである。しかし石岡は、バーで飲んでいる一匹狼の若者・中田(赤木)をスカウトし、存在しない筈の「殺し屋」に仕立てていくのである。そのプロセスを、拳銃の知識を交えながら丁寧に描いていく前半。「殺し屋」という虚構の職業にファンタジックなリアリティを与えてくれる巧みなすべり出し。


 ヒロインの笹森礼子が盲目という設定も日活らしい。病気のヒロインという設定は、裕次郎の青春ドラマ『陽の当たる坂道』(58)の芦川いづみ、赤木の『霧笛が俺を呼んでいる』(60)の吉永小百合に連なる。いずれも裕次郎の妹だったり、旧友の妹だったりと「妹」である。『紅の拳銃』の笹森もまた、垂水吾郎の「妹」。「妹」の病気とその克服というおなじみのプロットに、淡いロマンスをからめ、チャップリンの『街の灯』を思わせる二人のすれ違いを折り込んだサイドストーリー。


 そして舞台を神戸に移しての中盤。神戸の組織のボス・陳万昌(小沢昭一)と、殺し屋・陳大隆(草薙幸次郎)兄弟。彼らに敵対する香港のボス劉徳源(小沢栄太郎)などなど、目まぐるしく登場する魅力的な悪役たち。日活アクションのセオリー通り、片言の日本語を操る彼らは、コメディすれすれの豊かなキャラクター造型で、作品を魅惑的にしている。


 さらに、主人公が絶体絶命の時に現れる第三の男。「拳銃無頼帖シリーズ」では宍戸錠の役回りに当たる藤村有弘の好敵手! ダッフルコートの赤い裏地をちらつかせ、ステッキ片手に「オクニハナレテ、ナンピャクリ」と登場するキムのキャラクター。錠がシリーズを卒業した『大海原を行く渡り鳥』(61)でも見せてくれた藤村の怪演は、ファンにとっては至福のひととき。


そして主人公にまつわる過去。一匹狼の青年中田の正体と、その復讐の動機。さらに吉行和子のかつての恋人との苦い別れ。といった日活アクションの定番の要素もきちんと盛り込まれている。短いシーンながら吉行和子との過去のロマンスと意外な場面での再会は、「ヒーローの昔の恋人の現在」というかたちで後のムードアクションにとっては重要な要素となる。


 この作品が公開されたのは昭和36年2月11日。赤木のフィルムキャリアが『紅の拳銃』の成功を通して、さらに光輝こうとしている時だった。それから3日後の2月14日、『激流に生きる男』の撮影中、休憩時間にセールスマンが持ってきたゴーカートを試乗していた赤木は、ハンドルを切り損ねて撮影所内の壁に激突。すぐに慈恵医大第三病院に運ばれたが、ファンの願いも空しく2月21日午前七時五十分急逝した。享年二十一歳。この時から赤木圭一郎は、日活の、いや日本映画の伝説となった。


 同世代の加山雄三は、当時デビューしたばかり。雑誌の対談を通じて赤木と友人になり、お互いの撮影が終わった深夜。ドライブを楽しんでいたという。加山によれば、バーで酒も飲まずミルクを片手に、二人で「海への憧れ」や将来の夢を語り合っていたという。


 主題歌「追憶(おもいで)」(作詞・水木かおる 作曲・藤原秀行)は61年2月にポリドールからリリース。『紅の拳銃』は赤木の代表作にして、日活アクション全盛期の一つの頂点をなす傑作といって間違いないだろう。

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