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宇宙大怪獣あらわる〜『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984年12月28日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明 イラスト・近藤こうじ

拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第34作『寅次郎真実一路』についての原稿から抜粋してご紹介します。

「あってはならない事が起きてしまいました。今まで映画でしか観た事がなかった怪獣が、本当に現れたのです。信じられない事件が、今年は随分あったけど、ああ、ついにこんな事が起きてしまいました」

 レオナルド熊さんのオーバーなナレーションで始まる、第三十四作『寅次郎真実一路』の夢には、なんと大怪獣が出現! 吉田茂のような宰相に扮したタコ社長と、なぜか軍服姿の官房長官・源ちゃんが、筑波山麓の車博士のもとにやってきます。なぜ筑波山麓なのか? この『寅次郎真実一路』の舞台となるのが、茨城県牛久沼ですので、筑波山麓なのです。

 おかしいのは源ちゃんのヘアスタイル。いつものアフロではなく、佐藤蛾次郎さんのデビュー当時のトレードマークで、テレビ「男はつらいよ」で異父弟・雄二郎に扮したときに、渥美清さんがアドリブで「ドイツの鉄兜」とあだ名をつけた、あの独特のスタイルなのです。

 寅さんが対峙する怪獣は、昭和四十二(一九六七)年に松竹が製作した唯一の怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』(二本松嘉瑞)です。昭和四十一(一九六六)年にTBSでオンエアされた空想特撮番組「ウルトラQ」とその後番組「ウルトラマン」に始まる怪獣ブームは、映画界にも波及。本家東宝の「ゴジラ」シリーズ(一九五四年〜)や、大映の「ガメラ」シリーズ(一九六五〜一九七一年)の両雄に加え、大映京都では時代劇「大魔神」三部作(一九六六年)、そしてアクション王国・日活からは『大巨獣ガッパ』(一九六七年)と、次々とスクリーンで怪獣が大暴れしていました。

 松竹の『宇宙大怪獣ギララ』は、海外輸出による外貨獲得が見込まれて、政府の社団法人映画輸出振興会から、輸出映画産業振興金融資措置に基づいて、製作資金が融資されたという記録が残されています。アメリカでは”The X from Outer Space"というタイトルで公開されているのです。ギララは、世界的に知られた怪獣なのです。

 さて、その「宇宙大怪獣ギララ」が十七年ぶりにスクリーンに戻ってきたのには理由があります。この『寅次郎真実一路』が公開された昭和五十九(一九八四)年末、東宝では昭和五十(一九七五)年の『メカゴジラの逆襲』(本多猪四郎)から九年ぶりに『ゴジラ』(橋本幸治)を製作。連日マスコミを賑わせていた。「東宝がゴジラなら。松竹にはギララがいるじゃないか」と戯作精神溢れる山田監督が、ギララを再登場させたのではないかと、公開当時、思いました。

 ぼくがこの映画を観たのは、昭和五十九(一九八四)年十二月二十八日の封切日の銀座文化でした。同じ頃、竣工されたばかりの有楽町マリオンの日劇では『ゴジラ』が公開中なので、この二大怪獣のスクリーンでの復活は、子供の頃からの特撮映画好きで怪獣ファンとしては、嬉しい限りでした。
 
 さて、車博士の研究室に、緑色の小さなギララの模型があります。タコ社長の宰相と、源ちゃんの官房長官が、車博士の研究室を訪れるシーンで、博士がこのギララの粘度原型の前に立つと、眼が赤く発光します。実は松竹大船撮影所に保存されていたオリジナルなのです。

 ギララは松竹の美術監督の重田重盛さんがデザインしました。重田さんは、山田洋次監督の『なつかしい風来坊』(一九六六年)、『九ちゃんのでっかい夢』(一九六七年)、『ハナ肇の一発大冒険』(一九六八年)、『吹けば飛ぶよな男だが』(同年)などを手掛けた、往年の山田組の美術監督でもあります。そのデザインをもとに、着ぐるみを製作するために作成されたのが、一尺大の緑色の粘度原型です。寅さんと粘土原型の共演というのも、怪獣マニア的にはなかなかの見ものです。

 この『寅次郎真実一路』のギララはオリジナル作品からのフッテージを使っています。一九六〇年代の良い意味での手作り感溢れる特撮シーンが、寅さんの夢のムードとピッタリ。この特撮を手掛けたのが、戦前、東宝で円谷英二監督の門下で、昭和十八(一九四三)年に松竹に引き抜かれた川上景司さんと、東宝で初代『ゴジラ』(一九五四年)の美術監督をつとめた渡辺明さんたちです。特撮の神様・円谷英二の薫陶を受けた二人が参加しているのです。世界に誇る日本のミニチュア特撮の伝統がここにも活かされています。
 
 少し脱線します。特撮は東宝のお家芸でもありますが、戦後松竹映画を象徴する名作メロドラマ『君の名は』(一九五三年・大庭秀雄監督)の東京大空襲のシーンは、今観ても大迫力です。このシーン実は円谷英二監督の在籍していた東宝特技課に協力要請、かつての弟子・川上景司さんのためにと、円谷さんが『君の名は』の特撮に参加しているのです。寅さんと怪獣のミスマッチ。これが笑いを誘うわけですが、一九六〇年代の怪獣ブームの洗礼を受けた世代は、実は、この夢のシーンには、こうした思い入れがあるのです。結局、ギララは寅さんの印籠からの強力なビームで絶命します。

「夢」の話が長くなりましたが、『寅次郎真実一路』のマドンナは、第二十二作『噂の寅次郎』以来となる大原麗子さんです。前回は、夫と別居し離婚問題に心を痛めている美しい人妻・早苗役でした。今回は、寅さんが上野の飲み屋で出会う、証券マンの健吉(米倉斉加年)の妻・ふじ子の役です。健吉とふじ子夫妻は、小学生の息子とともに、茨城県牛久沼の建売住宅に住んでいます。寅さんがその美しさについて、「花にたとえりゃ、薄紫のコスモスよ。」と称えます。「仮におれがあんなきれいな奥さんをもらったとしたらだな、一日中その顔をジーっと見てる」「すやすやと可愛い寝息をたてるその美しい横顔をじーっと見つめているな。俺は寝ない」

 そう断言する寅さんに、博は「問題があるなぁ、その考え方には」と渋い顔。でも、寅さんが賞賛するのもムリはありません。初めてふじ子に会ってウットリしている寅さんに「でもしょうがねえよな、人妻じゃ」と例によって余計な一言を放つのがタコ社長です。

 ある日、苛烈な仕事で自分を見失いそうになりノイローゼとなった健吉が失踪、なぜ夫が自分と子供の前から姿を消してしまったのか? ふじ子は苦しみます。ふじ子は頼みの綱の寅さんとともに、健吉が生まれ育った鹿児島県へと、夫探しの旅に出るのです。寅さんがふじ子へ思慕を抱いていることは、誰の眼にも明らかなのですが、寅さんは「無法松の一生」の主人公・富島松五郎のように、ふじ子への思慕を胸に抱きつつ、自分の役割を果たそうとします。

 健吉の思い出の地をたどる寅さんとふじ子ですが、鹿児島県指宿市のうなぎ温泉の「鰻荘」に、わずか一週間前に車寅次郎の名で泊まった男がいるというところまで判明しますが、肝心の健吉に会う事はできません。宿でふじ子と酒を酌み交わした寅さんが、昼間道案内をしてくれたタクシー運転手(桜井センリ)の家に泊めてもらうことになったからと、部屋を出て行こうとします。

 そこでふじ子「つまんない、寅さん… 」

この「つまんない」という大原麗子さんのことば、しぐさ、間(ま)は、車博士のビームより強力です。第二十二作『噂の寅次郎』をラジオで「萌えの映画」と云いましたが、あの早苗さんの「あたし、寅さん好きよ」とは、また別な意味で、この大原麗子さんの「つまんない」は強烈です。続く科白に、寅さんの複雑な想いが垣間見えます。
 
「奥さん、俺は汚ったねえ男です。」寅さんが扉を開けると、それは押入れで、枕が落ちてきて、ひと笑いとなります。

 『無法松の一生』の無法松の吉岡大尉夫人への思慕。その無法松に憧れる『馬鹿まるだし』(一九六四年・山田洋次監督)の安五郎(ハナ肇)のご新造さん(桑野みゆき)への想いと、寅さんのふじ子への想いは同じです。しかも、寅さんは「花にたとえりゃ、薄紫のコスモスよ」と称えたふじ子への想いのあまりに、心のどこかで、恐ろしいことを考えていたことに気づいてしまったのです。それが、寅さんの「俺は汚ったねえ男」です。それを理解しているのが、ラスト近くの博です。「あの奥さんに恋するあまり、蒸発しているご主人が帰ってこないことを心のどこかで願っている自分に気づいてぞっとする、ということかなあ」

 『寅次郎真実一路』は、久々に人妻に思慕を抱く寅さんの物語です。初期の作品、例えば第六作『純情篇』では、さくらに自制を促されながらも「もう一人の自分」が突っ走ることもありました。ですが作品を重ね、歳を重ねてきた寅さんは、一瞬でもよぎった自分の中の恐ろしさに苦しむのです。
 この寅さんの成熟は、当時のぼくにとっては、映画の成熟と感じたことを憶えています。六歳で初めて『男はつらいよ』に出会ったぼくは、この時、すでに社会人、二十一歳でした。怪獣好きは変わりませんでしたが、それなりに大人になっていたのだな、と、今となってはそう思います。

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