見出し画像

『喜劇駅前女将』(1964年・東京映画・佐伯幸三)

「駅前シリーズ」第7作!

 シリーズ第七作は、錦糸町駅前のショットにタイトル。両国橋、柳橋、隅田川からの眺めにのせてタイトルバックが続く。舞台は両国。フランキーさんは伴野次郎、柳橋の孫寿司の職人だけどおにぎりみたいなデカい握りを(笑)タクシーを飛ばしてきた森田徳之助(森繁久彌)が、伴野孫作(伴淳三郎)を連れてタクシーで錦糸町の花壇街にある。
 
 今回、伴淳さんの女房は京塚昌子。フランキーさんと良い仲の芸者・染太郎(池内淳子)が、隣のラーメン屋に行くと、主人・山茶花究のご主人が「風呂に行くから」と、フランキー、池内さんが勝手にラーメンを作ることに。山茶花究のキャラがやたら不衛生。食べ物商売なのに、雑巾の様な布巾を使い、爪の先は真っ黒。味は良いけど不衛生と言うのが、笑いを誘う。三木のり平はクリーニング屋で、毎度おなじみ調子がいい。七人も子どもがいて、妻・乙羽信子と、野球チーム(両国アイロンズ)を結成しているのがおかしい。

 森繁は両国の酒屋・吉良屋。その女房は、森光子で、伴淳さんの妹役(新興キネマ時代からのコンビでもあり)。千葉の網元のおじさん・加東大介とのやり取りを見ていると、「社長シリーズ」みたいな雰囲気。

 今作から、佐伯幸三監督が登板。前作までのテイストを継承しつつ、よりレギュラー陣のワルノリがエスカレート。やがて、両国駅に淡島千景さんの松島景子が20年ぶりに降り立つ。久々に東京に戻ってきた訳あり女性。迎え出る菊太郎(沢村貞子)と染太郎(池内淳子)が、案内する隅田川風情が懐かしい。お景ちゃんは、染太郎の姉で、かつて森繁と伴淳が争ったマドンナ。未亡人となり、懐かしの地元で小料理屋をやろうと、戻ってきたのだ。で、徳さんたちの尽力で錦糸町の花壇街に店をオープン。淡路恵子の店の向かいで、この二つの店が、旦那衆の浮気(といっても完遂できないのだけど)現場となる。

 隅田川といえば、染太郎の同級生・宮本由美(大空真弓)の仕事は、水上バスのガイド。この頃の隅田川は決してきれいとはいえなかったが、浅草から浜離宮までの航路は観光客だけでなく、生活の足でもあった。森光子と大空真弓を見ていると、のちのT B S水曜劇場「時間ですよ」(1970年)を思い出す。

 東京の下町っ子らしく、森繁の口跡が江戸前で気持ちがいい。一方の伴淳もべらんめえ調なのに、粋とは程遠い。その野暮な感じが、孫作のキャラにぴったり。花壇街の淡路恵子のバーに通い詰めるのだが、孫さんを手玉に取る淡路恵子の「男嫌い」口調とのやりとりが笑いを誘う。「男嫌い」は、昭和36年にスタートしたラジオドラマで、昭和38年4月から昭和39年4月まで日本テレビでドラマが放映。「カモね」「ムシる」「カワイ子ちゃん」はこの番組から生まれた。

 淡路さんの店の二階のダブルベッドで、孫作が彼女の足を揉んでいると、女房たちが乗り込んでくるシーン。「こんなところに女なんか囲って」と京塚昌子に詰め寄られ「目下交渉中」と言い訳する伴淳さん。これが「駅前シリーズ」の俗な笑い。

「社長シリーズ」では宴会芸が名物だったが、この辺りから「駅前シリーズ」でも森繁たちの珍芸を披露するシーンが登場。加東大介と森繁が酒席で「二百三高地」の人形劇ならぬ、膝に乃木将軍などを描いて、森繁の名調子に載せて寸劇を演じる。音楽は森繁さんの盟友・松井八郎。昭和20年代、新東宝の森繁作品では、川内康範とコンビを組んで森繁さんのコミックソングを数多く作曲。森繁さんが最も信をおいていた作曲家だった。

 昭和39年1月15日封切りで、併映は成瀬巳喜男『乱れる』。この年は東京五輪が開催されるので、東京中が工事をしていた。染太郎が次郎を姐・景子に紹介するも、なかなか結婚出来ないことを謝る次郎。「オリンピックまでにはなんとか」と道路工事の言い訳みたいな言い回しがおかしい。

 『喜劇駅前飯店』ではジャイアンツの王選手、『喜劇駅前茶釜』ではジャイアント馬場さんで、今回は人気相撲力士・栃光、栃ノ海、出羽錦、出羽海部屋の力士がゲスト出演。まだ国技館が両国ではなく蔵前にあった時代(1954年〜1984年)だが、両国が江戸時代から相撲の街であることがよくわかる。この時代「少年マガジン」や「少年サンデー」などの少年漫画誌の表紙にも大関や横綱が登場していた。

 結婚を反対された次郎と染太郎が千葉に駆け落ち、すわ心中か。と登場人物が千葉の海岸に集まる。加東大介の娘に、前作『駅前茶釜』にも出演していた中尾ミエ。次郎と染太郎が海の難所で「今頃ガチョーンとなってんじゃないの?」、森繁「ガチョーン・・・」と沈んだ顔。谷啓の「ガチョーン」が心中を指す言葉に応用されているのがおかしい。

 ちなみに「ガチョーン」は、「シャボン玉ホリデー」ではなく、谷啓、青島幸男、中尾ミエのバラエティ「素敵なデイト」(1963年)から誕生。オリンピック前夜、旬の流行語だった。後半は、ミエちゃんが歌うシーンが2曲あり、渡辺プロとしては、彼女を第第的に売り出していたことがわかる。この「わかる」という感覚は、後から来た世代の「映画を見る愉しみ」でもある。

 風俗喜劇としての『喜劇駅前女将』はこうしたディティールを楽しめるが、映画としてはメリハリにかけるというか、様々なエピソードの羅列で、それぞれの挿話が後半に向けて盛り上がるでもなく、ただただ展開していくだけ。確かに単調なのだけど、プログラムピクチャーとしては、まあ、こんなもの(笑)当時も面白かったかどうかはともかく、今、昭和39年の東京の墨田区の風情を楽しむとということでは、最高の映像資料でもある。だから娯楽映画研究はやめられないのです(笑)

 

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。