テレビ版の雰囲気が味わえる『新・男はつらいよ』(1970年2月27日・松竹大船・小林俊一)
文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ
「人類の進歩と調和」をテーマに大阪千里丘で開催された日本万国博覧会に沸き返った昭和四十五(一九七〇)年。ぼくは寅さんに夢中でした。まだ六歳でしたが、その面白さは、どんな演芸番組よりも、どんなマンガよりも、強烈でした。赤塚不二夫先生の「天才バカボン」「おそ松くん」と「男はつらいよ」が同じインパクトで迫ってきたのです。映画館で声を上げて笑うこと、みんなでそれこそ大騒ぎしながら寅さんの一挙手一投足にリアクションするということは、今からは想像がつかないかもしれません。
そういう意味ではこの『新・男はつらいよ』は、少年時代のぼくにとっては、最高におかしくて、楽しい作品でした。寅さんが名古屋の競馬の大穴で百万円を当てて、柴又にタクシーで帰ってきます。柴又土手を走るタクシー。源ちゃんが「兄貴が名古屋のタクシーで帰ってきた」と大喜び。そのお金を使って、おいちゃんおばちゃんをハワイ旅行に連れて行こうと、寅さんが思いついたまでは良かったのですが…。
という滑り出しの快調さ。脚本は山田洋次監督と、監督助手の宮崎晃さんですが、監督は、フジテレビ「男はつらいよ」のディレクター・小林俊一さんが手掛けています。もちろん小林さんはこれが映画初演出となりました。ちょうど一年前、フジテレビで「寅さん」の「愚かしき事の数々」を演出していた小林さんにとっては、映画を演出するという気負いもあったでしょうが、同時に、全二十六話を演出したディレクターとして、二十七話目の「男はつらいよ」を手掛けているという意識が強かったのではないでしょうか?
『新・男はつらいよ』の寅さんは、他の作品とは微妙に違います。山田洋次監督の描く世界と、小林俊一監督の世界の違いでしょうが、ぼくは『新・男はつらいよ』の寅さんは、言動やキャラクター、その空気も含めて、おそらくはテレビの寅さんに最も近いのではないかと思います。
「寅さん」というより、映画版に至るすべての原点である「寅ちゃんの魅力」を垣間見るような、そんな新鮮な気持ちで、いつも『新・男はつらいよ』を楽しんでしまうのです。
子供の頃、封切で観た『新・男はつらいよ』の面白さが忘れられなくて、それから一年ほどしての「寅さんまつり」で上映されたときは、父親にせがんでもう一度映画館に連れて行ってもらいました。ぼくが住んでいた足立区にあった北千住の映画館です。
今はイトーヨーカドーになっているこの映画館はそれこそこじんまりとした町場の小屋です。駅前で今川焼を買って、三本立ての「寅さんまつり」を朝から晩まで観ました。何より面白かったのが、この『新・男はつらいよ』です。
なかでも、肝心の旅行代金を舎弟・登のつとめる金町の旅行代理店の社長(浜村純さん)に持ち逃げされた「ハワイ騒動」には、場内大爆笑。挙げ句に、近所にバレないように、こっそりと「とらや」に帰って来た、寅さん、おいちゃん、おばちゃん、そして食料調達係の博。まるで戦時中の灯火管制のように、真っ暗いなかに潜んでいると、泥棒が入ってきての「泥棒騒動」となります。この泥棒を演じているのがコメディアン、財津一郎さんです。
財津さんは「チョーダイ」「キビシー」のフレーズで、それこそ幼児から子供、お年寄りまであらゆる世代の人気者でした。財津さんの面白さ、財津さんが持っている「何か」は、二十年以上放送された「タケモト・ピアノ」のCMで「泣いている赤ちゃんが一〇〇%泣き止む」という「探偵ナイトスクープ」(朝日放送・二〇〇一年十一月三十日放送。「タケモトピアノの謎」)の検証のように、ひとの琴線に触れる「何か」でもあるのだと思います。
財津さんといえば「てなもんや三度笠」の怪浪人・蛇口一角や、写真師・桜富士夫などキャラクターも、子供たちに人気でした。『続 男はつらいよ』でも、金町中央病院に寅さんが入院したとき、隣でウンウン唸っている盲腸の患者役で登場。寅さんに笑わされて苦悶する姿に、ぼくらは大笑いしました。
話が脱線しましたが、その財津一郎さんが『新・男はつらいよ』では、とらや一家がハワイ旅行に出掛けて留守と聞いて、忍び込んでくる泥棒役で再び登場します。ハワイ旅行がパーになったことを、近所にバレたら困る、メンツがつぶれると懸命になっている寅さんの姿。これも子供のときはおかしかったです。
それにつけ込む泥棒のしたたかさ。「一番電車まで、置いて貰おうかな」と開き直ります。このエスカレートぶりは、実は映画『男はつらいよ』ではあまりないアチャラカ喜劇的な展開です。大人になって観直すと、どんどん寅さんが追いつめられていく様は、寅さんの心情を知るほど、つらくなってゆくのですが、ここでの寅さんは「盗人に追い銭」までして泥棒に出てってもらいます。メンツを保つために。
それがテレビ版やシリーズ初期の寅さんでもあるのです。愚かなことをしでかした寅さんと、おいちゃんたちが喧嘩となり、寅さんはいたたまれず出て行く、この後は、映画版ではおなじみの前半の展開となるのですが、なんというか「騒動」の質が違うのです。そこに、ぼくは失われてしまったテレビ版の残滓を感じるのです。
この「ハワイ騒動」は、テレビ版でも描かれています。稲垣俊さんが脚本を書いた、第四回(一九六八年十月二十四日放送)で櫻(長山藍子)から「ハワイに行きたい」と聞いた寅さんが、競馬で大穴を当てて、おいちゃん、おばちゃん、櫻をハワイ旅行に連れて行こうとします。続く、山田洋次監督が書いた第五回(十月三十一日放送)では、肝心の旅行会社が倒産してハワイ旅行がおジャンになります。櫻はおいちゃん、おばちゃんを慰めるために芝居見物に連れて行くことになり、寅さんは留守番を買って出ます。
ところがおいちゃんが大事にしているウィスキーを飲んで酔った寅さんがウトウトしていると、そこへ泥棒が入ってきます。寅さんがその泥棒を捕まえてみると、昔なじみの仲間・山本久太郎(佐山俊二)だったという展開です。
泥棒を佐山俊二さんが演じていた、と考えるだけで笑ってしまいますが、この久さんは、テレビ版では寅さんの仲間としてしばしば出演します。第二十一話、櫻の結婚式では、車家の親戚の数が足りないということで、久さんまでかり出されて、スピーチをさせられてしまうことになります。ビデオが残っていないのが、返す返すも残念です。
このテレビ版が、どんな風に脚色されて、映画版となっていったのか、興味が尽きません。『新・男はつらいよ』で、とらやで五千円を貰ってほくほくの泥棒が警官に尋問され、すべてがバレてしまう場面で近所の人が集まってきます。そこで蓬莱屋を演じていたのが佐山俊二さんなので、テレビ版の熱心なファンは「あ、久さんだ!」と、重層的に可笑しかったと思います。
「ハワイ騒動」「泥棒騒動」があって柴又を後にした寅さんでしたが、しばらくぶりに戻ってきます。本来ならここで「旅先での寅さん」が描かれているのですが、前作から一ヶ月後の公開であり、スケジュールや予算もあって、旅のシーンはありません。それもテレビ的ととれます。さて、柴又は雨です。帝釈天の山門で雨宿りをする寅さんに、源ちゃんが大時代なミノを見つけてきます。
ミノをかぶった大時代かかった寅さんのスタイル。まるで落語の世界です。それもその筈。このシーンは、山田洋次監督が最も好きな、五代目柳家小さん師匠が得意とした演目「笠碁」にインスパイアされています。江戸落語と寅さん、という視点でシリーズを見直すと、様々な発見があるのです。
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