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#田宮二郎
『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)
前作『悪名一代』(1967年6月17日・安田公義)から半年ぶりのシリーズ第14作『悪名十八番』(1968年1月13日・大映京都・森一生)は、清次=田宮二郎の最後の作品となった。前作で「任侠映画」に大きくシフトしてしまったシリーズを、本来の「悪名」シリーズの味わいに戻した明朗な痛快篇。「悪名」はこれでなくっちゃ、の名場面が随所にあって、楽しい仕上がりとなっている。
この映画の封切り同日、日活で
『悪名一代』(1967年6月17日・大映京都・安田公義)
昭和36年にスタートした「悪名」シリーズも6年、第13作目となる。前作『悪名桜』では堅気となり「焼き鳥屋」を開業した、朝吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)だったが、一年3ヶ月後の『悪名一代』(1967年6月17日・大映京都・安田公義)では、再び「悪名」を晒しながら生きるアウトローに戻っている。しかも、今回は、それまでのシリーズでは踏み越えてはないかった「一線」を超えて、清次も朝吉も「やくざ映画」の
もっとみる『悪名幟』(1965年5月1日・大映京都・田中徳三)
シリーズ第十作目となる『悪名幟』(1965年5月1日・大映京都・田中徳三)は、藤本義一脚本のドライなタッチの現代アクションの前作『悪名太鼓』(1964年8月8日・森一生)から一転、原点回帰を目指した。脚本は第一作『悪名』から第九作『悪名一番』まで手がけてきたベテラン依田義賢が再登板。キャメラも、田中徳三とは名コンビの宮川一夫が担当。タイトルバックも、初期シリーズと同じ雰囲気で、時代遅れの男・朝吉
もっとみる『悪名太鼓』(1964年8月8日・大映京都・森一生)
シリーズ第九作は、九州篇。今回のシナリオは、第八作まで手がけてきた依田義賢に変わって、若手の藤本義一にバトンタッチ。藤本は大阪府立大学経済学部在学中から、ラジオドラマや戯曲を執筆、昭和32(1957)年、ラジオドラマ「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞・戯曲賞を受賞。卒業後は、東宝傍系の宝塚映画撮影所に入社、川島雄三監督に師事して『貸間あり』(1959年・宝塚)や『丼池』(1963年・宝塚・久松静
もっとみる『悪名一番』(1963年12月28日・大映京都・田中徳三)
今回のカツライスは、勝新太郎&田宮二郎のシリーズ第8作にして、初の東京篇。『悪名一番』(1963年12月28日・大映京都・田中徳三)を娯楽映画研究所シアターでプロジェクター投影。前作『悪名波止場』(1963年・9月7日・森一生)で広島・宇品港の鬼瓦組を一網打尽にした悪名コンビ。今回は悪徳金融会社から出資金が回収できずに、年の瀬を迎えられなくなった善良な大阪の人たちのために、朝吉がひと肌脱いで、清
もっとみる『悪名市場』(1963年4月8日・大映京都・森一生)
今回の「カツライス」二枚目は、脂の乗り切ったロースカツのような、シリーズ第六作『悪名市場』(1963年4月8日・大映京都・森一生)。朝吉=勝新太郎と、清次=田宮二郎の“悪名コンビ”についにニセモノが登場する。シリーズものが定着して“みなさまご存知”となってくると、本家の評判にあやかろうと“ニセモノ”が登場する。その最初が「水戸黄門漫遊記」だろう。戦前から、水戸黄門映画にはニセモノの黄門様、助さん
もっとみる『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)
今東光原作、勝新太郎&田宮二郎主演のシリーズ第四作『続・新悪名』(1962年11月3日・大映京都・田中徳三)を久しぶりに娯楽映画研究所のスクリーンで投影。タイトルがややこしいが、前作『新・悪名』の続篇という意味である。脚本は、ベテランの依田義賢。第二作で原作のエピソードを描いてしまったので、完全オリジナル。このシリーズを立ち上げた田中徳三が監督に復帰している。
今回は、再婚してしまった元女房