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娯楽映画研究所通信

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娯楽映画研究所からのお知らせをまとめました。
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記事一覧

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新刊「PCL映画の時代 ニッポン娯楽映画の源流 1932-1937」フィルムアート社)佐藤利…

娯楽映画研究家「ブギウギ日記」PART8

第22週「あ〜しんど♪」 2月26日〜3月1日 「あ〜しんど♪」 #1 今週も櫻井剛脚本。「東京…

『花籠の歌』(1937年1月14日・松竹大船・五所平之助)

五所平之助監督『花籠の歌』(1937年1月14日・松竹大船)は、銀座映画でもある。田中絹代、佐…

『死の街を脱れて』(1952年5月22日・大映・小石栄一)

若尾文子のスクリーン・デビュー作。小石栄一監督『死の街を脱れて』(1952年5月22日)。未見…

娯楽映画研究家「ブギウギ日記」PART7

第20週 ワテかて必死や 2月12日〜16日 ワテかて必死や #1 今週は櫻井剛脚本。1948(昭…

島津保次郎『婚約三羽烏』(1937年7月14日・松竹大船)

松竹モダン喜劇研究。島津保次郎『婚約三羽烏』(1937年7月14日・松竹大船)を久しぶりにスク…

『心の日月』(1954年1月15日・大映東京・木村恵吾、吉村廉)

1954年の若尾文子研究。木村恵吾&吉村廉『心の日月』(1954年1月15日・大映東京)をDVDで。この菊池寛原作は、1931(昭和6)年にも日活で田坂具隆によって映画化されており、入江たか子と島耕二が主演している。 待ち合わせ場所を間違えたために、行き違いになったカップルの生々流転と再会までの紆余曲折を描いた、現在では成立し得ない「すれ違いメロドラマ」。前年の『君の名は』(1953年・松竹・大庭秀雄)による「メロドラマ」ブームのなかリメイクされた。 親が決めた結婚(相手

『お傳地獄』(1960年11月30日・大映・木村恵吾)

『お傳地獄』(1960年11月30日・大映・木村恵吾)モノクロ、大映スコープで、京マチ子が毒婦・…

『夜の素顔』(1958年10月15日・大映・吉村公三郎)

吉村公三郎監督『夜の素顔』(1958年10月15日・大映)。京マチ子と若尾文子。二人とも壮絶な少…

2024年2月〜3月 娯楽映画研究所イベント・スケジュール

2024年2月〜3月 イベント・スケジュール 2月3日(土) 「笠置シヅ子ブギウギ伝説」トークライ…

娯楽映画研究家「ブギウギ」日記PART6

娯楽映画研究家「ブギウギ日記」PART6 第19週&第20週第18週   あんたと一緒に生きるで 1月…

娯楽映画研究家「ブギウギ」日記PART5

第16週 ワテはワテだす 1月15日 - 1月19日 ワテはワテだす #1 1946(昭和21)年4月。楽…

娯楽映画研究家「ブギウギ」日記PART4

第14週 戦争とうた 2024年1月4日 - 1月5日 戦争とうた #1 1945年8月、上海の羽鳥善一、富山…

娯楽映画研究家「ブギウギ」日記 PART3

第13週 今がいっちゃん幸せや 12月25日 - 12月28日 今がいっちゃん幸せや #1  櫻井剛脚本。愛助が喀血。「大丈夫です」「あかん」と医者を呼ぶスズ子。当時結核は手の施しようがない病気、滋養と安静しか手がなかった。医者に懇願して入院させるスズ子。何かをしないと、とまずはアクションをする性格は子供の頃から変わらない。 その必死さは愛ゆえ。スズ子の献身の看病は続く。でも、頑張りすぎて、疲れて愛助の膝の上で眠りこけてしまうのが愛おしい。村山興業東京支社長・坂口は関西の