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娯楽映画研究家「ブギウギ」日記PART4

第14週 戦争とうた 2024年1月4日 - 1月5日


戦争とうた #1

1945年8月、上海の羽鳥善一、富山県高岡の旅館の福来スズ子、鹿児島県の海軍基地の茨田りつ子のそれぞれを描いた濃密なエピソード。「#ブギウギ」の要素が凝縮されている。上海で軍が支援する音楽会を制作している羽鳥は、黎錦光に大胆な提案をする。

黎錦光が作曲した「夜来香」をアメリカのブギのリズムに編曲して李香蘭に歌わせようというもの。明確に描いていないけど、服部良一は1942年に上海でアンドリュース・シスターズの「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」の譜面を手にして「いつかはブギを」と考えていた。

中国人・黎錦光が作った「夜来香」を、日本人の羽鳥がアレンジして、アメリカのリズムで演奏する。史実ではイタリア人、ドイツ人のオーケストラが演奏。まさに「音楽が自由であることを証明してみせる」という服部良一の大胆な試み。

この経緯については、通販生活「オトナの歌謡曲」でコラムにまとめています。↓

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/otonakayou/023/

また、このエピソードは拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)でも「荒城の月とブギウギ」で描いています。ドラマでは演奏会のシーンはないが、アフターパーティで、李香蘭(昆夏美)が羽鳥のピアノで「夜来香」を歌う。ここではビギンのアレンジで。その歌に乗せて高岡のスズ子、鹿児島のりつ子のショットがインサート。

まさに「戦争とうた」である。ここで、淡谷のり子の特攻隊慰問のエピソードが再現される。「士気を高揚するための慰問」だからと軍歌を歌うように言う上官に「軍歌は性に合いません」と拒否するりつ子。

しかし隊員たちが「ブルースの女王だ!」と色めき立つを見た上官が「死にゆく彼らには何も持たせてやれません。

いい歌を歌ってください。隊員たちが望ものではどうでしょうか?」。まさに「戦争とうた」である。一方、富山空襲の直後、高岡の旅館でスズ子のエピソードもいい。

「ぜいたくは敵だ」のスローガンの虚しさ。夫を戦争で亡くし、小さい女の子を抱えて懸命に生きている仲居に「日本は勝てるやろか?」とスズ子。「勝ちます。そうでなきゃ、夫は犬死にです」つらいなぁ。「ぜいたくは敵だ」のスローガンの虚しさ。

そうした三つのドラマが、クライマックスの「夜来香」に集約されていく。本当に濃密な十五分間でありました。

さて、今週末、1月7日(日) 榎本健一×笠置シヅ子×服部良一「新春ブギウギ映画祭」開催です! 千葉市生涯学習センター 是非是非いらしてください。

戦争とうた #2

高岡の宿で出会った、夫を亡くした仲居・静枝(曽我廼家いろは)の言葉にスズ子は愛助を思う。「歌わな、あの人のためにも歌を届けな」。8月6日の広島原爆を「新型爆弾」と報じる新聞。もう日本中、どこも危ないところだらけ。庶民も追い詰められていた。

スズ子は静枝に「あんさんに見てほしいです」と公演に誘う。お寺の境内で歌うスズ子。だけど静枝は来ない。一方、茨田りつ子は鹿児島の特攻隊基地で慰問公演。「本日は、皆さんのお望みの歌を歌いたいと思っています」「別れのブルース」「最後に聞きたいです」

特攻隊員たちが口々に言う。軍歌を歌うことを指示した上官、黙って出ていく。「では、『別れのブルース』を歌わせていただきます」。涙する隊員たち。上官も廊下で泣く。これは淡谷のり子が実際に体験したエピソードをもとに脚色している。

笠置シヅ子は、敗戦の日、高岡にいた。これも史実どおり。お寺の境内でスズ子が最後の曲「大空の弟」を歌う。静枝も山門にやってくる。一井のトランペットによるイントロ。オリジナルよりもテンポが早いアレンジ。中盤のセリフで弟・六郎の葉書を読むスズ子。

「大空の弟」をしみじみ聞いていた静枝。懐から亡夫の葉書を取り出す。丁寧な文字に人柄が感じられる。これも「歌のチカラ」である。りつ子と特攻隊員、スズ子と静枝。鮮やかな対比で「戦争とうた」が描かれる。昨日の上海での羽鳥の「夜来香」ともに胸に迫る。

こうして「#ブギウギ」世界線でも長くつらかった戦争が終わっていく(といっても来週の話)。三人の主要人物の敗戦間際の「戦争とうた」を描く、桜井剛のシナリオ、構成がいい。「大空の弟」についてはこちらにコラムを書きました。https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/otonakayou/021/

鹿児島の特攻隊基地での茨田りつ子の「別れのブルース」のシーンは切なく、悲しく、つらい。それゆえに素晴らしい。まさに「歌のチカラ」である。しかも服部メロディがこうして、2024年のお茶の間に流れるなんて!

というわけでいよいよ明後日!
1月7日(日)
榎本健一×笠置シヅ子×服部良一「新春ブギウギ映画祭」「#ブギウギ」に登場する喜劇王・タナケンのモデル、エノケンさんは今年生誕120年、笠置シヅ子さんも生誕110年! 服部良一先生のサウンド、ブギウギコンビのコミカルなパフォーマンスを堪能ください!

第15週 ワテらはもう自由や 1月8日 - 1月12日

ワテらはもう自由や #1

今日から戦後篇。いよいよ、物語が大きく動き出す。1945年8月15日、終戦の詔勅。スズ子は富山県高岡で、りつ子は鹿児島県で、羽鳥は上海で敗戦の日を迎えた。長く辛かった戦争が終わっての安堵と絶望、焦燥。

「進め一億火の玉だ」「贅沢は敵だ」のスローガンはなんだったのか。人々の徒労感が、短いショットの積み重ねで伝わってくる。宿の仲居から「日本が負けましたよ」と聞いたりつ子「そう、やっと終わったのね」「随分、かかったわね」虚脱感。

上海。黎錦光に「コングラッチュレイション」と祝福されても負けたという事実が押しつぶされそうになっている羽鳥。複雑な気持ちを短いショットで表現。「私は信じてます。日本に帰った先生が、また素晴らしい音楽を鳴らし続けると」うんうん、その通り。

高岡。「藤子屋」(なんていうネーミング!「まんが道」笑)で設えてもらった弁当を手に、スズ子たちはすし詰め列車で帰京。「東京五人男」(1945年)だなぁ。有楽町に差し掛かるショット。昔の映画でお馴染みのアングルだけど「#ブギウギ」世界線では日劇が存在せず「日帝劇場」なので、朝日新聞社の建物しかない。不思議な気分に(笑)いかに日劇の円形のデコレーションケーキのような建物がランドマークとして、僕らに刻まれているか、であります。

有楽町に向かう車窓からの眺め。手前は日劇。右奥は「ゴジラ-1.0」が壊したマツダビル

服部良一先生は、大陸から引き揚げてきたとき、1945年12月はじめ、日劇再開第一回公演「ハイライト」の看板に、これが日劇初出演となる笠置シヅ子さんの名前を見つけて感激。そこから二人の戦後が始まる。その史実までのカウントダウンが始まった…

ドラマでは、上海に足止めされている羽鳥が新曲を書いている。ああ、これが「コペカチータ」になるのか?と、タイムトラベラーは答え合わせをしたくなる(笑)しかし日本人という理由で当局に拘束されてしまう。これも短いショットだけど草彅剛がイイ。

草彅剛の横顔だけで羽鳥の感情が読み取れる。佇まいだけで表現。昔の映画俳優のようでもある。さてスズ子は三鷹の家に帰り、愛助と再会。抱擁。何にもなくなってしまったけど「みんな生き残ってここにいる」それだけでいい。スズ子のポジティブさ!

だけど空腹には勝てない。愛助は庭でじゃがいもを育てているがまだ食べられない。スズ子と小夜が野草を摘んできての雑炊。まずい。摘んだ時には美味しそうに見えたけど。食事中に「じゃがいもで何食べたい」「次は何食べよ」の会話。そうだよね。

「何を食べてもご馳走なんて、それはそれで悪うないな」とスズ子。ここで『東京五人男』の「負けたけど良かったね」と古川緑波の歌声が聞こえてきそう。櫻井剛脚本は15分のなかにそれぞれの「敗戦」を的確に描く、誰もが味わった「開放感」「徒労感」も。

拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)の敗戦のくだりが本日、婦人公論jpでアップされました。ここでこの部分を持ってくるなんて、担当者、読み込んでますなぁ。ぜひとも本を買ってください!

ワテらはもう自由や #2

1945(昭和20)年11月。今日は敗戦直後の「庶民の暮らし」編。愛助が復学することになり、そのお祝いの食事の買い出し。三鷹の青空マーケットで、闇米の高さにびっくりするスズ子と小夜。浮浪児たちがお腹を空かしていると米兵がやってくる。

で「ギブミー・チョコレート」となる。小夜ちゃんが懐に入れてあったのは戦後初の大ベストセラー「カムカム英会話」。ここで朝ドラ「カムカムエヴリバディ」とリンク(笑)小夜ちゃんとスズ子もチョコレートを食べてにっこり。

露天で買った宝くじ10万円が当たったら?と夕食の会話。愛助は「チャップリンやキートンの来日公演」を企画したいと話し、小夜は「うなぎが食べたい」と。しかも彼女は食べたことなく、どんぶりに残っていたタレの美味しさで恋焦がれている。

「うなぎ」にこだわる小夜ちゃん。というか、今日の彼女は赤塚不二夫先生の漫画のキャラみたいでおかしい。敗戦後の自由な空気のなかでイキイキしてきた(笑)

ずっと戦時中の話だったので今日はのんびりと開放感に満ちていて朝ドラらしい「何も起こらない」楽しさ(笑)1945年11月のお話なので、史実では有楽町の日劇が再開して戦後初の公演「ハイライト」が開催され、岸井明さん、灰田勝彦さん、轟夕起子さんたちと共に笠置シヅ子さんも出演。

戦前、松竹の専属だった笠置シヅ子にとって、意外にもこれが初の日劇出演となる。その「ハイライト」公演決定の知らせを、マネージャーの山下達夫が伝えにやってくる。この公演については拙著にも詳述。

1945年11月22日〜12月12日。一年六ヶ月ぶりに再開場した有楽町・日劇公演「ハイライト」二十景(作・演出・宇津秀男、音楽・山内匠二、灰田勝彦)。出演・笠置シヅ子、轟夕起子、灰田晴彦・勝彦兄弟、岸井明、並木路子…

この公演中、上海から服部良一先生が、ようやく引き揚げてきて、楽屋で笠置シヅ子さんと再開。二人の戦後が始まることとなる。もちろん「#ブギウギ」でも描かれることでありましょう。

ワテらはもう自由や #3

1945年11月22日。戦後初開場となった有楽町・日劇で「ハイライト」公演が開催され、笠置シヅ子が久しぶりにステージに立った。「#ブギウギ」世界線でも日帝劇場は「ハイ・ライト!」で再開。福来スズ子と茨田りつ子が同じステージに立つ。

戦時中「三尺四方はみ出してはならない」と踊って歌うことを制約されていたスズ子が一曲目に選んだのは「ラッパと娘」。愛助の興奮ぶりが微笑ましい。オタク口調でスズ子の素晴らしさを解説する(笑)「福来スズ子の歌にはチカラがある」

スズ子は「歌えるやろか」と不安。楽屋でりつ子が敗戦間際の鹿児島の特攻基地での話をする。「私の歌に背中を押されて、あの子達は死んでいったのかもしれない。」後悔と慚愧。「歌は人を生かすために歌う」ものなのに「戦争なんてクソ食らえよ」

スズ子はりつ子の言葉に背中を押され「ほんなら、これからはワテらの歌で生かさねば」とポジティブになる。イイなぁ。「歌のチカラ」についての二人の女王のやりとり。そして本番、りつ子がステージ中央に立ち「別れのブルース」をフルコーラスで熱唱。


ワンコーラス歌い終わったところで、特攻隊員たちの顔が浮かび、たまらない気持ちになる。涙ぐむも、歌い続けるりつ子。日帝劇場の観客の感動の面持ち。歌いきったりつ子の晴れがましい表情。「歌うこと」の意味がここにある。やー、素晴らしかった!

ワテらはもう自由や #4

1945年12月。日帝劇場「ハイ・ライト!」のステージに立つ福来スズ子。「ほんまにお待たせしました。ワテも、ずうっとこの日を待ってました。もう我慢できません。歌います。」と全身で「ラッパと娘」を歌う。今日はフルコーラス。素晴らしい!

福来スズ子とその楽団の演奏もパワフル。「三尺四方歌ってはならない」の制約から解放されて、本当の自由を噛み締めて歌うスズ子。舞台の袖の茨田りつ子の表情。彼女のこんな穏やかな顔、このドラマ始まって以来。観客の嬉しそうな顔。そして客席には

上海で拘束されて三ヶ月。ようやく解放されて引き揚げ船で戻ってきた羽鳥善一の満足そうな顔。史実では有楽町・日劇「ハイライト」公演中、服部良一先生は帰国。家にたどり着く前に日劇の看板に笠置シヅ子の名前を見つけて、楽屋へ行こうとするも…

まずは家族に逢いたいと吉祥寺の家へ。その翌日に日劇の楽屋へ。櫻井剛脚本は、その史実をわかりやすく脚色。上海にいる間に生まれた赤ちゃんを見て感激する羽鳥。「僕にもしものことがあったら、化けて出るしかないからね。」草彅剛の表情がいいね。

スズ子とりつ子のステージを観た羽鳥「あの頃と同じ、いやあの頃以上に素晴らしい」と絶賛。「また僕の音楽ができる。頼むよ」とワクワク表情。今日はとにかく嬉しい場面の連続。スズ子の庭のジャガイモの収穫。そして宝くじは?

日本橋の三越ならぬ四越からの「当選会」中継。小夜は外れてがっかりだけど、ラッキーカムカム。宝くじを買ってくれた米兵のサムから「食べる、どうですか?」と食事に誘われて… などなどの幸せなエピソードの連続でありました。

明日、1月12日(金)NHKラジオ第一「#ごごカフェ」にゲスト出演して、「冬のうた・笠置シヅ子スペシャル」として僕が選曲したウィンター・ソングの数々と、番組後半には「#ブギウギ」だけじゃない!笠置シヅ子さんの楽曲をご紹介します!

ワテらはもう自由や #5

1946年1月。占領時代になって米軍キャンプやクラブへのジャズマンたちの需要が増えて、楽器ができる人たちは引っ張りだこ。今日のエピソードは、そんな時代(明確に背景は説明していないけど)になったことを実感させてくれる。

バンドマンたちが、あちこちから「トラ」(エキストラ)で呼ばれて福来スズ子とその楽団のステージに穴を開けがちになっている。普通のドラマなら「それは困る」「楽団の危機」になるのだけど、ポジティブなスズ子が出した結論が素晴らしい。

梅丸楽劇団が解散して、バンマスの一井(蔭山泰)たちが路頭に迷いそうになった時に、スズ子が一念発起して「福来スズ子とその楽団」を結成。長く辛い戦争を生き抜いてこられた。だからこその今の自由がある。それは結構なことじゃないか。

いつまでも「束縛」していては、彼らの「自由」がない。ならばと発展的解消を宣言する。趣里ちゃんの「突然ですが福来スズ子楽団は解散します」というセリフに、キャンディーズ世代としては、あの日比谷野音のランちゃんの解散宣言が蘇る(笑)

解散宣言の朝の「みんな好きな時に、好きな音楽で食べていける。ワテらはもう自由や」のことば。ああ、これが今週のサブタイトルなのね、と。一方、小夜ちゃんは米兵のサムと連日のデート。これもこの時代によくあるエピソード。敗戦から五ヶ月。

誰もがイキイキし始めている。ちょうどこの年、史実では服部良一先生が、笠置シヅ子のステージ女優としての可能性を探り、喜劇王エノケンとの有楽座「舞台は廻る」の音楽を手がける事となる。それが来週からの新章「ワテはワテだす」となる。

本日、ワタクシは、NHKラジオ第一「#ごごカフェ」14時台からの「カフェトーク」で「冬のうた&笠置シヅ子スペシャル」に出演しました。後半の笠置さんのコーナーでは、来週からの展開とリンクするかも?の楽曲もご用意しました! 聴き逃しリンクと「読むらじる」です。


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。