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日活ニューアクションの魅力!

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日本のアクション映画史上、最大のターニングポイントとなった1960年代末から70年代にかけての「日活ニューアクションの世界」をまとめました。
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#宍戸錠

『流血の抗争』(1971年・日活・長谷部安春)

『流血の抗争』(1971年・日活・長谷部安春)

 日活がロマンポルノへと路線を変更し、一般映画の製作を休止することになる1971 (昭和46)年は、日活アクション史における最後の年でもある。この『流血の抗争』は6月10日に封切られた長谷部安春監督にとっても最後の日活アクションとなった。く新しい資金源を求めて次々と新興都市を喰いつぶす巨大な組織暴力の実態>とプレスシートにあるが、アクション映画そのものも大きく変容していた時代でもある。

 才気あ

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永井豪+ゲバゲバ=映画版『ハレンチ学園』!

永井豪+ゲバゲバ=映画版『ハレンチ学園』!

 1970年。日本映画は、往時の活力を失い、低迷に喘いでいた。邦画界はブロックブッキングシステムによる二本立てレンガ積み興業を、辛うじて維持していはいたが、1960年代前半までのような、スターシステム中心のプログラムピクチャーの勢いはもはやなかった。石原裕次郎、小林旭で多いに気を吐いていた日活も、任侠路線やニューアクションで活路を見いだしてはいたが、1970年になると、若者中心の番組を模索。そのな

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長谷部安春の日活ニューアクション時代

長谷部安春の日活ニューアクション時代

 長谷部安春監督のデビュー作は、小林旭のスパイ活劇『俺にさわると危ないぜ』(1966年2月12日)。助監督時代、鈴木清順に師事しただけあって、ポップな感覚にあふれ、セット中心の展開は人工美の魅力に満ちている。同時に、本寸法の演出は、やはり師匠の野村孝譲りの判りやすさだろう。日活が驚いたというカット数の多さは、長谷部自身の粘りによるもの。しかし、興行的にふるわず、1年4ヶ月ほど干されてしまう。

 

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