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インドネパール人生最高のハード旅(後編)

<ネパールへ>
さぁいよいよネパールへ向かおう。色々調べてシッキムに行く拠点であったスィリグリという街から1時間程度いったところがネパールとの国境で
そこでネパール入りして西へ向かって首都カトマンズへ行こう!と計画をたてていた。
行きで来たようにまた同じく5時間かけてスィリグリへ。そして今にも潰れそうなオンボロバスで1時間かけて国境へ。
携帯でネットができる現代ではこのような途上国でもgoogleで調べつつ移動すればなんてことはないのだが、チェンナイからこちらへ来てから何故か全く電波がとどかない。
楽天モバイルの海外通信は2GBまで現地キャリアを使えるとのことで、チェンナイでは電波ビンビンだったのに東北インドに来てからは全く使えない。
バスやホテルを調べたりするのに必要なのにめちゃくちゃ困る。さらにネパールは楽天モバイルの海外対応すらしていないらしい。
さぁいよいよハード旅が本気を出してきた。

僕はこれまでも途上国で電波が通じないという経験もあったので、Mapsmeというオフラインでも使える地図をダウンロードしていた。さらにホテルやバスは事前に検索しておくという用意周到さも身に着けていた。つまりこの程度は問題なかった。想定済みだった。
だが、インドはその上をいっていた。

ネパールとの国境に着き、イミグレとは思えない程度の小屋でパスポートを提出。いつも通り入国しようとすると
「あなたは入国できない」と言われる。
コロナが始まって以降、インドネパールの両国民以外は通行不可になったのだ。
一瞬、賄賂を要求されているのかと思ったが、後で色々とネット検索したところどうやら本当のようで、拒否された欧米の旅行者の文句が多数検索にひっかかった。そういう情報はきちんと政府が公表してほしいものだ。

で、途方に暮れていたのだが、そんなド田舎の国境の街にいてもしかたがない。その時点で7時間以上バスに乗っていて相当疲れていたのでスィリグリに戻って泊まるしかない。
作戦を立て直すためにホテルで色々ネット検索。あと5日以内にカトマンズにつかなければW杯にいけない!それだけは避けたい!

  1. 飛行機でデリーかコルカタへ行き、また飛行機でカトマンズへ向かう(一番簡単だが高額)

  2. バスか電車でコルカタへ行き、飛行機でカトマンズへ向かう(簡単だが時間と費用がかかる)

  3. バスで10時間+電車で3時間+バスで10時間かけて陸路で隣の国境を超える(安いが超絶しんどい)

この時はまだメンタルまではやられていなかった。なので別にお金の問題ではなく、飛行機で行くなんて普通すぎるし陸路で行く方が面白そうということで3)の方法で行くことにした。
スィリグリからインド最貧州と言われるビハール州にあるムジャファルプールという街まで昼なのに寝台バスで10時間かけて向かう。寝てると揺れがダイレクトに伝わる。体を起こすと背の高い僕は天井に頭がぶつかる。どうやっても疲れるバスだ。途中、サービスエリアとはとても言えない、おしっこ臭い休憩所に何度も寄りながらバスはムジャファルプールに向かっていった。
ムジャファルプール。5年もインドにいたが聞いたことのない街。近くにパトナという大きな街もあるのはわかっていたが、せっかくならマニアックな選択をした方が面白い。
ムジャファルプールについて電波の届かない携帯を握りしめ、上述のMapsmeを駆使してなんとかマシそうなホテルに着いた。
このあたりになって不思議なことが僕の体に起こっていた。
どこを旅しても、旅行中の一番の楽しみは食事だと思っているし、僕は3食しっかり食べるタイプなのに、朝から何も食べなくても全くお腹が空かない。
久々に食べるインド料理はおいしかったのだが、外国人が行かないような僻地を旅しているとローカル色が強すぎて正直全く美味くない。体が「まずいものを食べるくらいなら食べない」という反応を示しているかのようだった。
今まで旅していてこんな事態は初めてだったので、簡単に書いてはいるが相当ハードで心身ともにキツかったのだと思う。

ビハール州は本当に貧しく、街も100年前のようだった。馬車をいまだに生活用途として使っていたり、至る所の生活水準が明らかに低かった。
ただ外国人観光客など来ないからか、逆に外国人をカモってやろうとする人間もおらず、街歩きは問題なかった。
何も食べないのもさすがに体に悪いので何か食べようと「まだマシな」レストランを探すも、、ない。
慣れた僕でも入るのを躊躇するほど汚い店か、一見きれいだと思ったらベジタリアンのみのレストランだったり。。。
貧しいからベジタリアンにならざるを得なかったんだろうな。。。つらい。しょうがないからホテルに戻ってルームサービスを頼もう。
新しい街で最初に呑むビールはいつもうまい。疲れた体を癒すべくビールを飲もうとホテルで食事と一緒に頼んだ。
すると、なんとここでは販売していないという。。。というかこの州はそもそも禁酒の州でどこでも販売していないと。。。
食事はまずい、100年前レベルの生活水準、貧しい、酒はない。地獄じゃねーか。。。一刻も早くここから出ないと。。。。
どんどん精神的に追い詰められていっていた。

翌日、電車でラクソールという国境の街へ向かうために電車に乗る。時間はあったのに、ちゃんと確認せずに駅にいた一人のおっさんに教えられるがまま、雰囲気で電車に乗ったためこれでいいのかめちゃくちゃ不安になったが
どうやら合っているようだ。自分でもなぜそんな適当な乗り方したのか後から不思議になった。インドに慣れすぎてきたのかそれとも精神的に追い詰められていたのか。間違ってたらそのとき考えればいいや、なんて思考になってしまっていたのだろうか。

3時間ほどザ・インドな電車に揺られてラクソールに到着。国境の街らしくごちゃごちゃしてるが、人混みをかいくぐりイミグレへ。
ここも馬車や汚い恰好の人がうじゃうじゃいて、相当貧困の匂いがした。すごいなぁ。。。。

前回の国境のこともあり、この国境が開いている保証もないのでドキドキしながらインド側イミグレへ。インドではよくあることだが、担当者が複数人いても実際働くのは一人だ。後の数人は働いている人を横で見ている。本当にただそれだけのために存在している。そのためすごく時間はかかったが、ついに突破!
よし!やった!ネパールだ!

ネパール側のイミグレもまた「誰がこの存在に気付くねん!」というレベルの小屋。インド・ネパールの両国民はパスポートを見せる必要もないためここに用事があるのは外国人だけ。でもここをスルーしてしまうと後で密入国になってしまうので絶対にスルーしてはいけない。ビザ代金をドルで払えと言われるもドルを持っていなかった。インドだったらここで突き放されて終わるのだが、ネパールルピーをおろすためにATMまでバイクで連れていってくれたり、個人的にドルに両替してやると言われたりネパール人はやっぱり優しいね。となった。(その両替のときに有無を言わさず1000円くらい多くとられたからそれが目的だったかもしれないが・・・)
まあとにかくここでネパール入国できた!ついに入国できた。こんなに辛い思いして入国できたのは初めて。ハードすぎるだろ!

ちなみに後で聞いたことだが、この入国の3日後にネパールでは全国で選挙が予定されていて、僕が入国した翌日からこの国境も閉鎖されるとのことだった。危なすぎる。一日ずれていたらまた入国できないところだった。
ここまで苦労してまた入国できなかったら発狂してしまうところだった。

ここまで苦労したが、携帯の電波が使えないというのは相当なストレスであることに気づいた。バスやホテルや地図、目的地への行き方など、我々は旅行をするときに相当な部分をインターネットに頼っている。はっきり言ってインターネットに人生を支配されている。旅がインターネットに書いてあることの確認作業になっている。もちろんそんなことは嫌だけど、現状どうしようもない。実際に自分はインターネットが使えなくて相当苦労した。インターネットがないと旅は刺激的になるが引き換えに苦労が待っている。昔はみんなこうだったんだなぁ。。。

<カトマンズへ>
国境は超えたものの、ここで終わりではない。
ネットが使えないので人伝いに場所を聞き長距離バスのバス停を探し、リクシャー運転手と交渉するのも面倒なので大きなバックパックを背負いながら歩く。
アジアを旅行していると安いからすぐにタクシーを使ってしまいがちだが、インドネパールあたりは交渉そのものが面倒なのでちょっとの距離なら歩いてしまう。今回もたぶん1時間くらい歩いてバス停に向かった。景色見ながらだし楽しいもんね。
僕が大好きなTha Blue Herbというラッパーの「路上」という歌のリリックでも出てくるこの国境の街「ビールガンジ」
国境の街らしくゴミゴミしている。内陸なので砂が舞っており、常に埃っぽい。貧しいから街が全部汚い。日本が昔と比べて貧しくなったという話はよく聞かされるが、ここを見てると本当の貧しさなんてまだまだだ。
色んな人に声を掛けられながらバス停だと思われる周辺に着く。
当然俺のやってるバスに乗らないかと声をさんざん掛けられる。インドやネパールなら当然だ。ほぼ全部無視して振り切りバス停らしき建物に到着。こういう国だと、どれが公営のバスでどれが民間バスで誰がボッタくりで誰が正当な値段か判断するのはとても難しい。深夜に10時間も乗って1000円くらいだからまぁいいんだけど、声をかけてくる人が信じられないのでふっかけられていると疑っていたのだが、「800円のnon-ACバスと1000円のACバスがある。そんなに疑うなら安いほう乗れよ。しんどいけど」と言われる。いや、さすがに200円差なら良い方を選ぶよ。と当然ACバスを選ぶ。ネパールの山越え深夜バスなんてどれだけ寒くなるのか怖いので。。。
国境で会った英語を話せないロシア人3人組も同じバスでカトマンズへ向かうというので少し安心。最近よく旅先でロシア人に会う。帰国すると徴兵されるからかこの人たちも大変だなぁ。国に帰れないんだから。。。

インドの10時間バスを経験しているからインドよりはウザくないネパールなら余裕。と思っていたが、トイレ休憩の際の環境はこっちのほうがより酷かった。当然両国ともサービスエリアなんて無いのだが、インドでは一応食堂みたいなところに止まってくれて、トイレ利用してチャイ飲んでっていう流れがあるのに対し、ネパールは真っ暗闇の中で「ここで小便しろ」といわんばかりに停車するだけ。女性はちょっと離れた暗闇に行ってました。笑
やっぱインド・ネパール旅はハードルたけぇわ。。

なぜかバスは早く着いて朝4時半にカトマンズに到着。そんなに早く着いても行くところもない。しかしながら、インドの国境で揉めていたことを思えば本当に感慨深い。ついに、ついに、ネパールの首都カトマンズに到着したのだ。
これでカタールW杯に行けるという安心感。涙が出るほどうれしかった。やったぜーーーーーーー!

朝4時半にカトマンズについてもすることがない。何もあいてないバックパッカーの聖地タメルストリートの昔泊まったゲストハウスを探してみたりしてブラブラ時間を過ごす。
記憶というのは本当にアテにならないもので、たった6年くらい前に泊まって色々思い出のあるゲストハウスなのに思ってた場所に行ってもそんなものはなく、記憶も曖昧で正確には思い出せなかった。新しい建物が建っているわけでもなかったのできっと記憶違いなのだろう。。。猫のいた良いゲストハウスだったのになぁ。。

1時間ほどブラブラしてオープンしたカフェに入って朝ごはんを食べてると、ちょっとチャラい3人組が話しかけてくる。ネパール人なのに英語が綺麗なのできっと留学でもしていたんだろう。朝5時半に今から家に帰るところといっていたので、夜遊びしてたのか、ドラッグを売るような反社の人なのか。30分ほど色々話してかなり盛り上がった後、特に連絡先を交換するわけでもなく彼らは帰っていった。なんと僕の分の代金支払いを済ませて。。。。
かっこよすぎるだろ!自分もこうやってgiveをしていける人間になりたいと思ったカトマンズの朝だった。

<ヒマラヤ>
カトマンズに到着したものの、まだゲストハウスにはチェックインできない。カフェを出てよくわからない路上にあるバス停に向かう(バスが路駐してるだけ)。そのバスに乗り、1時間を経てまたバスを乗り継ぎナガルコットというカトマンズ周辺では一番景色がきれいだと言われる山中の街に到着。予約していたゲストハウスのおっちゃんに迎えにきてもらってゲストハウスへ到着(荷物あるのになぜかバイクで迎えにきた)。
シッキムのゲストハウスを11月15日の朝に出発して以来、72時間かかってようやく到着した安心して眠れる宿。
死ぬほど疲れてたし、砂埃の舞うインド・ネパール国境を渡ってきたのでシャワーが超絶気持ちよかった。
大変なことを成し遂げたと思っていたら、同じホステルにいたフランス人はほとんど同じ行程でやってきたらしく、多くのバックパッカーはこのルートよりも更にハードそうなバラナシースノウリのルートからやってくるようだ。僕が壮絶だと思っていた国境越えなんて他のバックパッカーからしたら普通なのだ。相当しんどかっただけにちょっとショックだった。

この後は、ナガルコットで壮大なヒマラヤの景色を楽しみ、カトマンズで疲れた体を癒すべく久しぶりにマッサージにいったり、過去一かわいい子(カナダ人だった)が同じドミトリーで隣のベッドにいてテンション上がったり、そんなかわいい子がエベレストのベースキャンプに12日間もかけてトレッキングにいってることに衝撃を受けたり、色々と刺激の多いネパールわずか3日間だった。

今度こそはゆっくりネパール来ようと思ってたのにまた超短期旅になってしまった。また次回こそリベンジしたい!

<選挙>
日本では選挙なんてうるさい選挙カーがやってきて、当日晴れてたら投票いくか・・くらいなもんで、特に私生活に影響を及ぼすことはないのだが、ネパールのような途上国では世の中を騒がす大変な一大事となる。
選挙までの4日間はアルコール販売禁止(なぜか売ってるところもあったが・・)。そして選挙までの3日間は陸路での出入国禁止。僕の入国もあと一日遅れていたらここでも入国できていなかった。さらに選挙当日はすべての公共交通機関が動かない。タクシーも動かない。(人力車はいくつか動いていたが。。)
コロナで緊急事態宣言が出た最初のころの大阪や東京のような景色がカトマンズで繰り広げられていて、普段は砂埃をあげながら車やバイクや人力車が行き来するところが息をのむほどに壮観な景色を披露していたのだった。
インド・デリーを経由してカタール・ドーハへ向かう僕はこの状況下で空港へ向かわないといけない。
しかし交通機関は何も動いてない。歩くしかない。靴ずれを起こしながら1時間半歩き、ネパールの選挙会場を横目で見ながらこの貧しい国を後にしたのだった。

ちなみにネパールの選挙。おそらく識字率が低いからだろうが投票用紙に政党や立候補者の名前は書いてない。写真のようにそれぞれの特定のマークが決められていてそれにスタンプを押して投票するのだそう。識字率の低さからではアイデアでこれは面白いと感じた。
だが一方で驚いたのは、投票時は無記名ではなくIDナンバーのようなものを記載するらしい。それだと誰がどの政党に投票したのか調べられてしまう。
そんなこと自由主義社会の先進国では絶対に許されないことだ。そんな議論をヒマラヤのふもとのゲストハウスで繰り広げた楽しいネパール旅だった。


<あとがき>
このような壮絶な旅をしていると、早くシャワーを浴びたいとか早く日本に帰りたいとか思ってしまう。でも今こうして日本に帰って楽勝な生活をしているとまた早くネパールに行きたいと思ってしまう。
しんどくて辛くて汚くてウザいインド。景色は壮大で美しいけど埃っぽくて汚くて貧しいネパール。
なんて魅力的なんだろう。また絶対いきたいし、次回も陸路で国境を越えてやろうと決心した日本の正月だった。
絶対にまた行きたい。

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