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37歳中南米自分探しの一人旅(完結編)

<陸路国境越え>
コロンビア→メキシコは空路移動なので余裕。そしてメキシコでは、アメリカの金持ち達が集まるリゾート地であるカンクンをたった1時間でスルーし、メキシコとベリーズの国境の街チェトマルへ向かった。
(どうでもいいがカンクンの空港では、昔インドなどでよくいた旅行者をカモにした嘘つきの旅行会社やタクシードライバーが非常に多くて相当うざかった。その他のメキシコではそんな奴らはいなかったのに。。。)

で、チェトマル。この街は大した街ではないが、ベリーズとの国境沿いの街で、せっかくなので一泊することにした。
バスターミナル近くの適当に決めたホステルだったが、同部屋だったメンバーがみんないい感じで旅情報を交換。

ニューヨークからきたというフィリピン人の女の子。メキシコシティから人生を変えるために来たという20歳メキシコ人DJ。日本人みたいな顔をした中米旅行中のオランダ人。そして日本人のおっさんの僕。
小さな街なのに世界から集まるこの4人でわいわい話して旅情報を交換する。これぞホステルの醍醐味!

その中でもフィリピン人の女の子がベリーズで働いていたことがあるらしく、ベリーズに行くという僕に色々と教えてくれる。

「ベリーズなんて離島にいかないと何にも無い」
「ベリーズはメキシコよりしょぼいのにメキシコより物価が高い」
「何しにいくの?あんなとこ」

いやな予感。

でも日本人の友人がいいって言ってたし、なんとなく気になるから行ってみるだけだ。旅なんてそんなもんだ。だいそれた理由なんてない。まあ行こう。

彼らと別れ、翌日チェトマルからベリーズシティ行きのバスに乗る。

聞いてはいたが、メキシコ国内の豪華なバスと違い、ボロッボロのクーラーもないバスがバス停で待っている。

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バスの中では黒人が歌っている。

2時45分出発というのに時間になっても出発しない。

もうすでにメキシコと違って貧しい感じが出ている。

いつまでも出発しないので、いつ出発するのか聞いたら、これはベリーズ行きでベリーズのバスだからベリーズ時間の2時45分だよと。ああ時差を忘れてた!

でもここはメキシコなんだからそれならそう書いとけよ!

バスはすぐに国境に到着。陸路国境越えは旅人のロマン。空路の国境越えとは緊張感がまるで違う。

バスからみんな降りて、それぞれイミグレへ向かう。風貌からしてメキシコ人かベリーズ人っぽい人ばかりで外国人らしき人間は僕のみ。

パスポートをもってメキシコ出国のイミグレに行くと、

「575ペソ(3500円)払いなさい」

え?

事前に読んでた地球の歩き方には「空路でメキシコ入国した場合は入国時に税金を払っているから陸路出国時に税金を払う必要はない。」

と記載あり。

もちろんその説明はしたのだが、他の人は早々に出国済み、僕だけがイミグレでモメている。さらに係員は出国カードの裏に

「ほらここに記載あるだろ!」

と言って、払わないと通さないよという圧をかけてくる。

そして他の人が金を払わないのはベリーズ人だからだという。

うーん、納得いかない。でもしょうがないってことで3500円支払い。物価の安いメキシコでこの額は高額だ!
3500円あったら、、、、タコス50個くらい食べれる!!!

後から調べるとこれは全部賄賂だった。賄賂だと気づかなかったがよくある陸路国境での賄賂だった。

地球の歩き方に記載ある通り空路で入国した僕は既に支払っているので一切払う必要はなく、係員からレシートをもらっていない時点で間違いなく賄賂であると様々なブログに記載があった。

「ほらここに記載があるだろ!」と言われた出国カードの裏にはそんなことは何も記載されていなかった。「このカードをなくした場合はxx払いなさい」と書いてあるだけだった。。

騙された。

世界50ヵ国旅した僕だったが、陸路国境越えはそんなに経験がない。もっとちゃんと調べておくべきだったし、レシートくれと主張くらい当然するべきだった。バカだった。反省。

というわけで人生50ヵ国目のベリーズに入国。

ベリーズ入国当初は海沿いの大通りを走って景色もよく、美しいカリブの国だと思っていたが、段々と貧しそうな黒人の乗客が増えてくる。ローカルバスなので途中何度もとまり結局4時間以上かかってベリーズシティに到着したのだった。


<地獄のベリーズシティ>

ベリーズシティのバスターミナルに到着。中米にはバスターミナルを降りた瞬間に襲われるという無茶苦茶危険なグアテマラのような国もあるので念のため緊張感をもって降りたが、そこまでではないもののなかなか危ない空気が漂っていた。

これは偏見かもしれないが、まずバス停付近に黒人浮浪者達がうようよ。
明らかに貧しい雰囲気が漂っており、襲われても誰も助けてくれないと一目でわかる。しかし、予約していたホステルまで約1kmだったので、相場のわからないタクシーでぼったくられるのも嫌、ということで歩くことにしており、雰囲気のまずさに気づいたころには戻ることもできず。そして19時をすぎているベリーズシティは真っ暗。はっきりいってこの旅一番怖かった。

できる限り人通りの多い繁華街を歩くようにしたが、治安が悪いためか19時で店じまいするところが多く、だんだんと暗くなっていき、人通りが減っていく。たむろする浮浪者から「チーノ、チーノ、ヘイ、What the F※ck」などやいやい言われ、コロナコロナと笑われる始末。

むかつけけど、とりあえず無視して予約していたホステルへ向かう。
どんどん繁華街から離れ、人は完全にいなくなった。そして国が貧しいためか街灯がほとんどない。暗い!怖い!
小走りで向かう僕。ようやくついた!

あれ?

ホステルがない!

地図上ではあるはずのホステルがない。

Air bnbみたいに家に泊まるタイプなのかなとその住所の家の呼び鈴を探すがそんなものはなく、そもそも人が住んでる気配もない。

パニック!!!!

しかも困ったことにベリーズには2泊しかしない予定だったのでSimカードを買っていなかった。(Free WiFiでなんとかやり過ごすつもりだった)
しかもこんなときに限ってホテルの周辺地図などをダウンロードするのを忘れており、ネット環境なしで使えるMaps Meでホステルを探す。でもその場所にない!

真剣に身の危険を感じた僕は泣きそうになりながら、ちょうど車から荷物を降ろしていた女性二人組をみつけ、ホステルの場所を聞くと

すぐ近くだと教えてくれた!!!

旅先あるあるだが、ホステルの場所なんて地元民は気にしていないから知らないことが多く、どうせ「知らない!」ってあっけなく言われるんだろうなと想定していたため、これは予想外!

しかもすぐ近くにあった。

そこも怖いので小走りで行き、ホステルに入ろうとすると、厳重な鍵がかかっていて、それを開けて中へ入れてくれた。
やはりこの街の治安は悪いんだろう・・・

そのホステルのオーナーはインド系で(バングラデシュ人だったが)、いつもは苦手なインド人に、宿にたどり着けて安心したからか、むちゃくちゃ親近感を抱いてしまったのであった。

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<キーカーカー>
ベリーズに旅行でくる人のほとんどは離島にいく。旅行者はカリブの美しい海でダイビングをしたり、シュノーケリングをしたりするのが主な目的なので、キーカーカーという離島が主な観光地となる。
ベタな旅行はしたくないというヒネクレ者の僕はあまり気が乗らなかったが、ベリーズシティがあまりに地獄なので、すぐさま離島にいくことにした。

ここまで話すと当たり前だが、地獄のベリーズシティとは逆にキーカーカーは天国!!!!

言葉で説明できないので、写真でどうぞ。

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というわけでベリーズという国を満喫はしたのだが、裏側がひどすぎたので、正直また行きたい国とはいえないなぁという50ヵ国目の旅となってしまった。


<アジア人差別とコロナ>
コロナ問題以前に、中南米は元々アジア人差別が世界一酷いと言われている。チーノ(スペイン語で中国人の意)といってアジア人を馬鹿にするのはよくあること。(アジア人=中国人)
海外でコロナの件で差別されて酷い目にあった的な話をSNSなどで度々目にするが、そんな中南米を旅行した僕の体感は下記の通りだ。
※旅行したのは2月だったので、状況がだいぶ深刻化した今だともっと酷いかもしれない

メキシコ:そもそもチーノとほぼいわれない。差別意識がほぼない。コロナといっても、それはそもそもビールだ。

コロンビア:ニヤニヤしながらチーノと時々言われる。フレンドリーな国民がゆえ差別意識なくチーノと呼びかける場合もあり、その時はハポネス(日本人)だよとしっかり答える。
コロナイジりも殆どない。

ベリーズ:最低。通りかかる奴らにチーノチーノと言われ(話し方から悪意丸出し)、コロナが来たぞ的な感じで大人数でこっちをみて爆笑している。
ベリーズには中国人経営の商店なども多く土地に根付いた本当のチーノも沢山いるのにこの有り様。

呼びかけのチーノや、単に教育されてない子供がチーノと言った場合は、しっかり対応してむしろ仲良くなれる。
悪意丸出しのチーノは無視。こういう奴らは何をし出すかわからない。
大体そういう奴らはシャブ中みたいな浮浪者か見るからに低所得者。
相手をする価値がない。
さらにコロナイジリなんて最悪。

ムカつきはするけど、差別されて泣いちゃったとか、許さないとかいうネット上での意見を見ると、僕は別にそこまで思わないかなと感じている。
この状況下ではしょうがないと思うし。

ただ、

「お前らが馬鹿にしてる中国人たちはお前らの何倍も金稼いで幸せになってるよ。一生貧乏やってろバカ!」

って心の中で思っている。

差別してくる輩というのは大体今まで差別されてきた奴ら。(ベリーズは事実として黒人が多い)

差別されてきた過去のせいで、今度は他人を差別するんだとしたら悲しい。

先輩にいじめられてきたから、後輩が出来たらいじめたりするクズと同じ構造で、本当に残念。


<楽園メキシコに帰ろう>
そんなこんなで失礼ながらベリーズが想像していたよりずっとよくなかったのですぐにメキシコに帰ることにした。といっても日本への帰国の日も近づいていたので、そろそろメキシコシティにもどる必要があったのだ。

キーカーカーから船で地獄のベリーズシティに戻り、危険なバス停に向かい、メキシコ国境の街コロザルに向かう出発間近のバスに飛び乗った。

4時間ほどのバスがたった500円くらいで安いかわりに、バスはギューギューで立ち乗り。貧乏旅行らしくて良いがベリーズは最後までついてないなぁという印象。

行きのバスの反対でメキシコ行きの直行バスに乗りたかったのだが、何もないベリーズシティのバス停に長い時間いたくなかったので国境の街行きのバスに乗ってしまった。行きのバスもコロザル経由だったのできっと乗り換えできるだろうと想定したのだ。

しかし、これが失敗。

なぜだかわからないが、コロザルについてから国境越えのバスはどこか聞いてももう最終バスは行ったと言われる。(そのとき15時なので意味不明)

前述の通りSimカードはなかったのでネット検索することもできず、何もない本当に小さな街のコロザルで取り残されるのか?と途方に暮れた。

旅をしているとトラブルはつきものだ。50ヵ国も旅してインドに5年も住んでいたのでトラブル時の対応力と冷静さには自信がある。

バス停で途方に暮れてフラフラしているとさっき最終バスは行ってもうないと言っていた黒人のバス会社スタッフが、あっちにいけば国境越えの乗合タクシーがあるよと教えてくれる。

「はよ言えよ!!!」

バスはないと途方に暮れさせといて、希望を持たせるとかコイツは親切なのか不親切なのかどっちなんだ!?

と、結局乗合タクシーで国境越えに向かうのであった。


<再度国境越え>
乗合タクシーで国境を越える。他の乗客は国境付近の免税ゾーンに行くらしく、本当の国境まで着く頃には客は僕だけになった。
ベリーズ出国手続きのために、国境手前の建物に入る。
普通入国時には荷物チェックがあるが、出国時にはないので重いバックパックを全て持っていく必要はないのだが、念のため荷物を全部もって建物に入っていった。

これが本当に命拾いとなった。

出国手続きを終えて建物の外にでると、乗ってきたタクシーがいない。。。

さっき見た時は外にとまっていたのにいない。

まだ料金も払ってないし、突然なぜいなくなったのか理由は全くわからないが、荷物を盗もうとしたのだろうか。。。バックパックを背負ってイミグレにいっていて本当によかった。取られたのはペットボトルの水だけだった。もう少しで、お金より大事なコンタクトレンズが取られてしまうところだった(笑)

荷物からは絶対に目を離すな!とよく言われるが、旅慣れてくるとこんな基本的なことを忘れてしまうものだ。ああよかった。

結局、そのタクシーは見つからず。親切な別の乗合タクシーがメキシコ側の国境越えまでタダで乗せてくれるラッキーもあり、無事国境越え。
今回はメキシコ入国に賄賂もなし!

ただ、メキシコ側の国境から、国境沿いの街チェトマルまでタクシーが高くて1000円くらい余計にかかってしまい、行きも帰りも無駄な手間と無駄な金だけがかかる国境越えだった。


<カルナバル>
余計な無駄金がかかったタクシーだったが、運転手からナイス情報。
今日はチェトマルでカルナバルがある!!

カルナバルとはカーニバルのこと!

「ブラジルのカーニバルみたいなのがあって、かわいい女の子がいっぱいだよ!」

と運転手は言う。これはいかねばなるまい。

さらに、ベリーズに行く前に宿泊したホステルと同じところに泊まったところ、偶然にも「人生を変えるためにメキシコシティから来た」といっていたメキシコ人DJがまた泊まっており、感動の再会!

当然、

「一緒にカルナバル行こうぜ!!」

わくわくしながら街中へ向かう。

・・・・・・・

まぁ日本の神社であるような夏祭りレベルだった。。。

出店とかはいっぱいでてて、ビールもタコスもスイーツもあり楽しいけれど、これはリオのカーニバルとは全然違うでしょ・・・・

可愛い子いっぱい??

ああ、可愛い子供達はいっぱいいて、家族の団欒だった(笑)

ラテンの国らしく、家族を本当に大事にするので家族で来ている人が多く、ほのぼのしてホステルに帰ったのだった。

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<やっと観光>
日本帰国も間近だ。日本に帰るためにメキシコシティへ向かう。
よく考えると、サッカー観戦して、ビーチいって、山登って滝を見て、酒飲んで、、、、

って観光らしい観光をしていない。

「メキシコ行ったんだったら、xx行った?」

という会話されたときに答えられないのも困るので、ちょっとは観光らしい観光をしようと、メキシコシティ近郊のテオティワカンに行く。

バスで向かうも、降りるべき場所でバスが停車せず終点までいってしまうという、地球の歩き方にトラブル事例として書いてあった通りのトラブルにあいながら、テオティワカン到着。(終点から3kmくらい歩いた。。。もうこのレベルは僕にとってはトラブルにもならない。。。)

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行ったということ自体に意味がある観光地なので、その後サッカー観戦が控えていた僕は30分で退散。

ここには日本人が数人いた。こういうところへ来れば日本人に会えるのか。

僕は正直美術館や歴史遺産にそれほど興味がない。ビーチや山などの自然やサッカーを通した文化の触れ合いなどの方が好みだ。となるとあまり日本人に出会うことがない。まぁいいんだけどね。


<サッカーを通した旅>
前編や中編でも記載したサッカーを通した旅。僕はこれが一番好きだ。
サッカーの試合結果は正直どうでもいい。
でもサッカーの試合があるから、今回もブカラマンガに行ったし、グアダラハラにも行けた。二日酔いで行けなかったがプエブラやアグアスカリエンテスにも行きかけたし、サッカーが行き先を導いてくれる。

過去の話をすると、ドバイから数時間バスで移動した小さな街ラスアルハイマに素晴らしい温泉があることにも出会えたし、ノルウェー・オスロやスウェーデン・イエテボリ、イングランドのニューカッスルなんかもサッカーが導いてくれた観光だった。

「その街に友人がいるから」という強い旅行欲インセンティブに次ぐ素晴らしいトリックだと僕は思っている。

セレッソ大阪をサポートするためにいったインドネシア・マランやタイ・ブリーラムなど、サッカーがなければ行くわけもない。(今回のブカラマンガも)
でもそんな行くわけもない街から大好きな街ができるんだから不思議だ。
本当に「サッカーx旅」は相性がいいと思う。

一生続けていきたい趣味である。


<帰国>
メキシコシティで観光らしい観光をしてから、2日で2試合サッカー観戦してから、ついに帰国の途に立つことになった。
帰りはANAだったのでメキシコシティ空港のラウンジで1ヶ月ぶりのお味噌汁を飲み、シャワーを浴びてダラダラしていた。

このラウンジは奇妙で、がっつりメキシコ人スタッフのみなのに、日本人が教育したのか、過剰なまでの日本式おもてなし(笑)がなされている。
お辞儀をし、過剰な敬語日本語を使い、僕からしたら滑稽すぎた。
確かに1ヶ月ぶりにお味噌汁が飲めたのは嬉しい。でもこんなサービスを求める日本人がいるのなら、日本に引きこもってろ!と言いたい気分だ。

とインドのラウンジレベルに慣れていた僕には意外に快適すぎるこの空港でそんなことを思っていたら、嫌なものを見てしまった。

日本人の爺さんが「このビールはどういう味だ?」
と日本語で聞いている。当然スタッフは挨拶程度した日本語がわからないため戸惑う。それでも日本語で話しかけ続ける爺さん。

海外にいるのだから、もう少し寄り添う努力しようよ。ちゃんと話せなくても英語で話そうとする努力はしようよ。

日本のコンビニで外国人店員に偉そうにする日本人だとか、恥ずかしさからなのか外国人に対してわざと日本語で話して笑いをとろうとする日本人とか、僕からするとコロナ呼ばわりするアジア人差別と変わらない。
英語が話せなくても、話そうとする努力だけでもいいのだ。それができないのなら家に引きこもってろ!と言いたい。

上述の爺さんはきっとビジネスクラスでメキシコまできて、日本語ガイド月のツアーに参加して、日本語のみで生活できたのだろう。そしてそんな高額ツアーに参加できるくらいお金を持っているのだろう。

ベリーズであった差別に憤慨していた僕だったが、日本人のこういう姿勢からまず直さないといけないと思ったし、カッコ悪いニホンジンにならないようにしたいと思ったメキシコ最後の夜だった。

<お金のハナシ>
ここまで自由に3週間強、日本から遠く離れた中南米を楽しんだら、さぞかしお金かかっただろうと思われると思い、最後にお金のハナシ。

確かに昔よりはお金に余裕はできたし、学生のころの旅のように昼ごはんは1ユーロのクッキーなんてこともなくなったけれど、僕がやっている旅は貧乏旅行に違いない。

東京からメキシコシティの往復は特典航空券で2.7万円のサーチャージのみだということもあるが、今回23泊25日で往復航空券込みで24万円しか使っていない。

飛行機は8回のって長距離バスは10回以上乗っている。サッカーは6試合みた。ビールは毎日飲んだ。ビーチも山も行った。そこそこ贅沢した。

それでも1ヶ月弱で20万そこらで生活できた。移動なしで住むように生活したら10万円切ると思う。

日本は同調圧力が強くてしんどいと言うけれど、本当に嫌なら、本当に死ぬことまで考えているブラック企業で働く人たちには、

「中南米いってみたら?」

って思う。

それくらいメキシコもコロンビアもよかったよ。
本当に世界変わるかもよ。



<グラシアス。デナーダ>

この旅で一番印象に残ったこと。

メキシコ人も、コロンビア人も
本当に些細なことでも、

グラシアス(ありがとう)
デナーダ(どういたしまして)

を必ず言う。

僕自身も一番言ったし、一番聞いた言葉だと思う。



それがわかっただけでも、行った意味があった。


自分探しが出来た、37歳一人旅だった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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