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守破離の守→破っぽい話

あるワークショップの設計をしている。
ストレングスファインダーを使ったマネジャー向けのプログラムだ。

これまでも同じテーマで設計したことはあるのだが、
お客様の状況や期待、ゴールは異なるので、一定のアレンジは必要になる。

こんな風に研修プログラムやワークショップを設計する機会があるのだが、
そんな時にふと思い出す話がある。今日はその話をしてみようと思う。

ある日の話

前職に転職してまだ日が浅い時期のこと。
ある研修プログラムを受注し、その納品に向けて準備していたところ、
お客様の都合でタイムテーブルを短縮しなければならないことがあった。

そこで私は研修冒頭のワークを削除する判断をした。

当該ワークはアイスブレイクとしての役割に加えて、
次のタイプ診断に接続するためのメッセージが
込められていることは知っていたが、
そのワークを削除しても、その後のタイプ診断は機能すると考えた。

つまり「無くても成り立つ」と思ったということだ。

そこで上司にその内容をチェックをしてもらうと、
上司にこう質問された。

「このワークの役割を理解しているか?」

私は前述通り「アイスブレイクの意味合いと、
〇〇というメッセージを伝えるためのものです」と答えたわけだが、
その時点での私は表層でしか捉え切れてなかったようだ。

実はこのワークには、その後の態度変容を促す
「解凍(≒ 固定観念を崩し、揺らぎを与える)」という重要な役割
があり、
私にはその観点がすっぽり抜け落ちていた。

結果的に、この時は事前/事後課題を用いることで、
タイムテーブルの短縮に対応することになったように記憶している。

正直なところ、この時点ではあまり腹落ちしていなかった。
「口頭でメッセージを伝えること」と
「ワークを通じて体感してもらうこと(≒解凍段階を踏んでもらうこと)」の違いがピンときていなかったのだ。

それからしばらく経ってからのことだったと思う。
ある自社セミナーの運営スタッフも兼ねて、
会場の後方でオブザーブしていたときのことだ。

テーマは以前タイムテーブルを短縮したあの研修と同じ。
ただし、その時はセミナーという形式だったため、
エッセンスのみに凝縮して、
情報提供・興味喚起を目的としたものだった。

アイスブレイクワークはなく、
簡単にレクチャーをした後に、タイプ診断をやってみるという構成。

その場面での参加者の様子を見てハッとした。
これまで研修の場で見てきた参加者の反応と明らかに違っていたのだ。

そのセミナーでは、ほとんどの人が「自分がどんなタイプなのか」
よく言えば、楽しそうにワクワクしながら、
しかし、敢えて悪く言うならば、まるで占いの結果を見るように
その結果を受け取っているように思えた。

その場は、態度変容を目的とした研修ではないので問題はない。
参加者はモチベーションタイプに関する情報を得て、
タイプに基づくアプローチにも興味を持ってもらえていたのだから。

ただ、もしこれが研修の場だったとしたらどうだっただろう。
おそらく、面白かったね!興味深いね!…で終わっていたのだと思う。
この時にはじめて、冒頭のワークの役割が腹落ちしたのだ。

冒頭のワークは「価値観は多様である」というメッセージに加え、
むしろそれ以上に「普段のコミュニケーションにおいてはそれを忘れがちである( ≒ 暗黙的に「相手も自分と同じ前提」でコミュニケーションをとってしまうことがある)」ということに気付けるのだ。
(ナレッジ保護のため、ワークの詳細を書けずに申し訳ないです)

だからこそ、自分のタイプに意識が向くだけでなく、
そもそも人には違いがあるということ、
そして、それはどんなタイプとして整理できるのか
という自分の外側にまで意識が向き、
このパートのコアメッセージがスッと入ってくる
のだと腹落ちした。

私はこの経験から「安易にアレンジすることのリスク」を痛感した。
ただ、これはアレンジしてはいけないと思ったということではない。

どういう意図で現在の形になっているのかを
正しく理解した上でアレンジする必要がある
ということ、
つまり上っ面だけをなぞり、体裁だけを整えても、
提供価値を毀損してしまう可能性が高まるだけだと気付いたのだ。

守→破の話

時は経ち、現在。
私は組織開発、人材開発の支援の一環で
ナビゲーターやファシリテーターとしての活動も行っている。

その時には完全オリジナルのプログラムを提供することもあれば、
ストレングスファインダーレゴシリアスプレイのように
認定資格を取得し、コンテンツ/メソッド提供を受けているものもある。

後者のコンテンツ/メソッド提供を受けているものを扱う場合は、
私が転職時に犯した過ちを繰り返さないように気を付けている。

つまり、安易なアレンジはしないということ。

ただ、これは汎用型を提供し続けることとは違うし、
成功した型を重宝し続けることでもない。

プロとしては、
「自分である理由」「自分である必要性」は確立していくものだし、
目の前のお客様の期待やゴールには個別性が存在することを
忘れてはいけないと考えているからだ。

当然ながら、最初からオリジナルを無視することを意図していない。
我流だけで既に確立されている何かを超えることは簡単なことではない。
「型があるから型破り。型が無ければ、それは形無し。」という言葉通り、あくまでオリジナル実践の練度を高めた上での話だと思ってほしい。

その前提があった上で、
オリジナルに忠実でなくとも構わない。
ただし、オリジナルに敬意を払い、
その根底にある思想は正確に理解しておく必要がある
というのが、私の守→破の捉え方になっている。

一方で、
何かうまくいっていないとき、
効果が出せていないとき、
さらに進化したいときには、
オリジナルに立ち返ることが有効
だと思う。

改めて原点に立ち返り、基本の型通りやってみることで、
いつの間にか欠けてしまっていたことや
以前には気付かなかったことなど、意外な収穫を得ることも多い。

・・・とつらつらと書いてきたが、
そろそろワークショップの設計を終わらせないといけないので(笑)
今回のnoteはこの辺りで締めようと思う。

さて、安易にアレンジしないように、
けれども、大胆に本質的に意図を持って創っていくとしますか。

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