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「光則寺」【鎌倉ぐらし/社寺参詣】

きっかけは 「コロナ断捨離」中に出てきた1冊のノート。
上京前、21歳のときに書いた人生の設計図。

その日は苦笑いしながら「捨てるモノ」箱に放り投げたけれど、ずっと心に引っかかっていた。

“40代で鎌倉ぐらし”

あれから4年。
全然、20代の頃に思い描いた自分ではなかったけれど、ある日、ふと思いついた。
(今じゃないか?)

これまで、どうしても迷ったときは「やらぬ後悔より、やって後悔」で「やる」ことを心がけてきた。
(迷ったときは一歩前へ)

“思いつきと思いきり”

令和6年(2024)7月、諸々の態勢を立て直すべく、東京から鎌倉へ引っ越した。

“鎌倉ぐらし”の記録として、お参りした【社寺】をnoteに残していく。

鎌倉ぐらし/社寺参詣

「光則寺」

鎌倉「長谷寺」の北隣に佇む。
日蓮宗、行時山「光則寺」の開基は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の家臣だった宿谷光則(宿屋光則とも)、開山は日朗。
本尊は十界曼荼羅。

寺伝によると、文永8年(1271)9月に日蓮が相模国竜ノ口で捕らえられたとき、日蓮の弟子・日朗らは光則邸に預けられて裏山の土牢に幽閉されたが、やがて光則は日蓮に帰依し、自邸を日朗に寄進。3年後の文永11年には邸を寺院に改め、「光則寺」を創建したという。

江戸時代前期、貞享2年(1685)の過去帳にも「吾祖大聖、文永十一年五月、宿谷左衛門尉光則、父行時江山号、寺号賜て日朗江御附属之霊跡」とあるといい、父の名・行時を山号に、自分の名・光則を寺号としたのだとか。

境内には日朗らが入れられたと伝える土牢が残る。

現在の本堂は慶安3年(1650)に再建されたものとされ、本堂内陣の格天井には“龍”の「鎌倉彫」が施されている。また、本堂前の「海棠」(花海棠、カイドウ)は樹齢200年ともいわれる古木で、鎌倉市の天然記念物に指定され、神奈川県の名木百選にも選ばれているという。

令和6年(2024)10月27日のFacebookより

【撮影日】
令和6年(2024)10月19日

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以上

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水谷俊樹
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