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おもひでぽろぽろろん

変な夢をみた。

中2のときの担任の男性教諭と一緒に銭湯にいって、どうやら女湯だったので、

「M先生ここは女湯ですよ~」
と教えると、先生慌てて前を隠して飛び出していくという夢。

なんだったんだ。
起きてしばらく笑った。

M先生はきっと草場の影で、
「オマエなんて夢みるんだよッ!」と大笑いしてるに違いない。


久しぶりにM先生のこと懐かしくあれこれ思い出していた。
私は小学校時代はそうそうに人生の暗黒時代で、中学になったら変わってやる!という意気込みのもと迎えた中学時代が楽しくて仕方なかった。
もう一度人生のどこかの時代に戻れる、というチャンスがあれば私は迷わず中学二年生を選ぶだろう。

いい教師とクラスメートに恵まれた、というのもある。
とりわけ2年A組は愉快だった。
M先生は破天荒な先生。

今では信じられないだろうが、半世紀前の職員室なんてタバコの煙もくもく。
M先生は体育教師なのにヘビースモーカーだった。
野球部の監督だったのもあって、結構怒ると怖かった。

ある日、隣のクラスに行くと見たことのない道徳の教科書があった。
何、これ?と聞くと、道徳の授業の教科書だという。
私は驚愕し、教室に戻り、先生の机の後ろにあるキャビネットを開けると手つかずで紐でゆわかれたままの道徳の教科書を発見。

当時、道徳は私たちのクラスは何しててもいい時間だったのだ。
みんなで話し合いしたり、お帰りの時間に歌う今月の歌を何にするか決めたり、自習したい子は自習したり宿題やったり、好きなことをする時間だったと思っていた。

「先生!うちのクラスは道徳しないんですか!?」と問い詰めると、
「あんだ、お前ら、道徳なんてやりたいんか?」と聞かれ、だまって首を振る2Aの生徒たち、だった。

当時私は美術部員で、放課後、給食の3枚のパンのうち1枚を残し後生大事に美術資料室に持ち込んで、パンをかじりながら絵を描く、というのが唯一の息抜きであった。

ラッキーなことに資料室の真ん前が給食の配膳室で、校内であまった牛乳も木のケースに入れられて積んであったので、そこから牛乳も失敬していた。しかし当時は給食以外での飲食は禁止されていた。

いつものように同級生のK子と私でパンをもぐもぐやっていたところ、ドアがいきなり開いて、M先生の赤ら顔がにゅっとのぞいた。

ヤバイ!叱られる!

パンをくわえたまま青ざめフリーズする私たち向かって、M先生が一言。

「なんだオマエら、パン好きか?」

「……はい……」

K子と私は力なく頷いた。

スッ、と静かに戸が閉まってM先生は去っていった。

ラッキー、叱られなかったと、K子と胸をなでおろしたものの、それは唐突に数日後に起こった。

帰りのホームルーム前だっただろうか。
いきなりピンポンパンの音がして校内放送が流れた。
M先生の胴間声が響いた。

「え~、2AのK子とT美、至急職員室へ来るように」

K子と顔を合わせ震えた。
私たちの悪事が、いまこのとき、職員室というお白洲の場で裁かれようとしている!

な、内申書にダークな傷が?……
親に悪事を報告される?……そんなご無体な……

二人して頭を垂れながら神妙に職員室のドアを開けた。

教職員たちが一斉に私たちを見た。
笑いをこらえてる先生もいた。
なんだよそんなに見世物が楽しいのかよ。

その中央にM先生が仁王立ちし、こちらへ来いと手招きしていた。

頭をあげた二人の目に入ってきたものは……

M先生の机に山積みされた食パンの地層。
ジュラ紀からの層がそびえたつ摩天楼と化してる。

な、なんだこれは!

M先生が真顔で言った。
「オマエらパン好きなんだろ?全部持って帰れ」

K子と顔を見合わせた。
ドッと職員室が笑いに包まれた。
私たちも初めてそこで何が起きたか理解して笑った。
K子は涙を流しながら笑っていた。

M先生は給食の後、教室をまわって全校から残ったパンを回収していたのだった。

ぺこぺこへらへら笑いながらK子と山分けし、わら半紙(なつかしいね)でパンを包んで家へ持ち帰った。

なんという平和な制裁だったことだろう。


M先生の逸話はこんなもんじゃない。

極めつけは男子の校則違反への愛ある鉄拳。
当時、男子中学生は丸坊主、というのが定番。まあ半世紀も前のことなのでね。

とは言え脳みそから下だけはオトナという思春期の田舎男子にとって、少しでも都会の子(笑)みたく長髪に近づけたいと色気を出すのはリビドーのなせるわざ。
五分刈りという校則を違反してもっさり頭の男子がクラスの半分くらいいた。

ある日の昼休みが終わり、5時間目になっても10人くらいの男子が教室に戻っていなかった。

どうしたんだろうね、とみんながざわざわし始めたころ、教室の戸がすうっと静かに開けられて男子たちがおどおど中に入ってきた。

そのとたん、教室中が爆笑の渦!

校則違反の彼らの頭がM先生によってバリカンアートされていたのだ。

あるものは河童、あるものはモヒカン、あるものは波平さん。

頭をおさえながら涙目になるもの、みずから笑いを取りに行くパフォーマー、みなそれぞれのリアクションで席についていまだおさまらない笑いの中、授業が始まった。

放課後、M先生がバリカンでちゃんと五分刈りに整えてたけど。


これね、今だったらホントもう大問題でしょ、新聞沙汰。
ワイドショー来ちゃうでしょ。
親殴り込みでしょ、学校に。

でもね、当時はそんなことにもならなかったし、親もうちのが校則違反したんだからしょうがない、で誰も殴り込み(笑)には来なかったんだよね。

いい時代だった、と思っていいのか悪いのかはわからんが。

M先生のおかげで本当に楽しい一年間だった。
つらいことも多々あったが、ぽろぽろと楽しい出来事が思い出される。

なんで女湯に一緒に入った夢を見たかは謎のまま。




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