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#157|しつこい完璧主義

乗り越えたい壁に毎日トライしては敗北を重ねているけど、必ず達成すると爽やかに燃えている。note365日連続投稿チャレンジ157日目。


不毛な努力と結果の出る努力の違いは

染み付いている行動・考え方の「クセ」を矯正しようとしている毎日。

それは誰にとっても非常に難しいことだと思うので、すぐに結果が出ないからと、くさることなく毎日トライしたい。


「不毛な努力」をする人と、「すぐに結果を出していくような努力」ができる人の違いは何だろうか?それには様々な要素があるのはもちろんだが、重要な点の1つは「アプローチのバリエーションの量」だと仮定している。

「1度もできたことがないことは、いくらやってもできるようにならない」という言葉があって、これはとても示唆に富むメッセージだ。

そこまで極端に行かなくても「何回かはできたんだけど、できない時の方が多い」といった例を見るに、とにかく「手持ちの札(とりうる行動の選択肢)」が少ないゆえに結果が出せないケースは多いと思う。


特定の入力(結果)に対して、いつも同じように「感じ→考え→行動し→失敗する」。負のループが起こっている状態にいるのが「不毛な努力をする人」だとして。

自分自身がこれに当てはまっていて、かけているエネルギー量と結果が全然見合っていないと思っていて、これは自分という人間の24時間の動き方が「そういう形」になっている=「効率のいい努力(≒アプローチ)を1度もできたことがない」のではないかと思った。


体にそういう動き方(不毛な努力のパターン)が染み付いているなら、それをどうにかして取ってしまいたい。

そうするためにどうすればいいか?

「どんな結果を求めているのか?ということを明確に定義する」ことがスタートでありゴールだ。

それとは別に、「身に付いている動き方と本来の才能に沿った動き方が違うのでは」という仮説の上で、「その動き方を矯正する」というのが今試していることだ。


しつこい完璧主義

私は何をするにも「詳細に考え抜こうとしてしまう」クセが、自分の足を止めていると今は考えている。

そういう仕方が得意なタイプの人もいるが、私のような人種が結果を出すためには、細かいことは考えない方がいいんだろうなと今更思うようになった。

「詳細に緻密に計画を詰めていける人」というのは、それが向いている仕方=才能だからやっているのであって、私の場合のそれはただの「完璧主義」的な行動パターンだ。昔ついてしまったクセというだけ。

今年に入って、完璧主義自体はだんだんと緩めることができているけど、しかし「できたことが1度もないことを達成するための行動」の仕方には、まだ戸惑っている。

そういう対象には、けっきょく気がついたら今までと同じように「詳細を詰めようとしている」「きちんとしなければと考えてめっちゃ準備しようとしている」ことが多い。というか毎回。これが、「染み付いたクセ」だ。

しかし、そういった「完璧さ(クオリティ)」が「必要だ」と感じてしまうのだから、なかなかスパッとは捨てられない。


これはiPhoneの開発時の例がわかりやすい気がする。車のキーと一緒にポケットに入れると画面に傷がついてまう程度の強度だったiPhoneを、ジョブズは「完璧でなくてもいい」として販売することはゆるさなかった。iPhoneにはそういったある面での完璧主義性があったから、ここまでのものができた。

そういう種類の、「どうしても『それだけの質』が要ると思ってしまう」ことについて、緩めることができないし、かといってそれを達成することもできないので困っている(停滞している)。

iPhoneで言えば、画面の強度アップを成し遂げたのはジョブズ自身ではなく、その仕事の担当者だということを思うと、私がしたいことも1人でするべきできない。私は1人ではできない。

「それ」のために「必要と感じるクオリティのものを作る」部分を、まるっと担ってくれる人や、どうにかして私にそれを作らせてくれる人。そういう人が必要だ。


なので私がする努力は、

①そういう人を見つけるための行動や、そういう仕事を相手に伝わるように頼むための努力を進める。そのための実行数を増やす。

②もしくは、もっともっと手を抜いて進めてみれば、「なんだ、これでよかったじゃん」となる可能性を信じて、なんとか目をつむって突き進む。


とにかく「完璧主義」ってヤツはしつこい。恥をかきたくないとか、傷つきたくないとか、人に迷惑をかけたくない、といった気持ちはかなり減少していると思うが、「こんなクオリティじゃダメだ」という点はまだ、拭い切れない。

でも絶対にクリアするまで諦めない。


✑55分|1900文字

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