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004 | なぜ書けるようになりたいのか

note365日連続投稿チャレンジ4日目。

今日は「私はなぜ書けるようになりたのか?」を明確に残す。

今後もし「なんとなく適当に」このnoteの連続投稿に挑むようになった時は、その姿勢を正せるように。

文字は時空を超える - ロマンの観点から

なぜ書けるようにたいのか?それは、「文字は残る」からだ。

近年では絵も音も映像も残るものになったけれど、昔から残るものは「文字」だけだ。

私の好きな漫画「チ。地球の運動について」で、登場人物の一人が書物を介し、時空間を越えて他者が紡いできた「知」と背景にある「血(人)」に触れた時、「文字は奇跡ですね」という言葉が出る。このセリフは何度読んでも強い感動があり、存分に語りたいところだがまた今度。

聖書でも「はじめに言葉があった」。たとえば何の変哲もない石ころに、ただ名前をつけるだけで。その石は他多くの石から切り離されたナニカ別の存在になる。言葉というものには特殊な力があり、ゆえに為政者はしばしば「言葉」を封じてきた。その特殊な力をずっと残すことができる「文字」という存在にはロマンがある。

活版印刷技術の普及が人類を飛躍的に発展させたように、文字の持つ可能性と素晴らしさは、いくら感じても尽きない。言葉よりも"前"にたいせつなものがあることも間違いないが、言葉もまたそのたいせつなものを生み出すことができる。

「書ける」ということは「残せる」ということであり、自分が生きた中身や伝えたいと感じる大切なことを、時空を越えた相手に伝えることができる。古来から人類が様々なもの、古くは壁画や石版などに「書き残した」ことによって、我々は今も繋がっている部分も大きい。

まずこういった文字への感動があって、自分にとって「文字を扱えるようになる」ということは「奇跡を起こせるようになる」ことだと感じるために、「私も文字を書けるようになりたい」と思うのだ。


文字は資産になる - ソロバンの観点から

次に重要で、1番ダイレクトに「文字が書けるようになりたい」理由は「文字は資産になる」ということだ。

大きな資本を持たないイチ個人で、とりわけ突出した才能もない平凡な人が、より多くの価値を生み出すために使えるコストの低いアイテムが「文字」だ。

その考えを進めて、「文字」を下敷きに生み出される「コンテンツ」を作成する能力は、自分の労働時間を越えて価値を生む技術であり、これを扱えることはたとえば事業者にとっては利益を生み出す強い源泉になる。

安定的に事業を継続している小規模事業者の多くを見れば「コンテンツを生み出す能力」を持っている。これが強い収益性を持つため、それによって個人の時間に余裕が生まれ、生まれた時間で自分を豊かにするためのナニカを行い、豊かになった個人がさらによいコンテンツを生み出す、という循環が始められる。


「文字を扱える」ことほど重要なことはそうない

昭和初期に約500社の会社を作ったと言われる渋沢栄一は「論語と算盤」という言葉を残した。論語の部分がロマンと言い替えられることがある。

"起業の天才"リクルート創業者の江副浩正は「左手にロマン、右手にソロバン、心にジョーダン」と言った。

ロマンもソロバンもジョーダンも、すべて「言葉」の持つ力の働きだ。それが形として残る「文章」。そこに肉付けされて成る「コンテンツ」。

この「コンテンツ」を生み出す能力は、事業家やアーティストだけでなくどんな人にとっても磨いておいて一切の損はない、最重要科目だ。何歳からでもやる価値がある。近年、爆流行りのプログラミングよりもよほど人生を豊かにしうる。

会社で嫌なことがあって機嫌を損ねている旦那さんを、笑顔にさせうる力。道で出会った見知らぬ人の1日を、素敵なものに彩ることのできる力だ。

文字は、人類を発展させ、世界の平和に寄与し、自身の生活を賄い、生きた証や感動を残し伝え続けることができる。


なぜ書けなかったのか?

文字とはそのようなものだと感じるからこそ、私は書けるようになりたいし、だからこそなかなか書けるようにならなかった。

10代の頃に運営していたWebサイトで、文字の扱いのまずさで人を傷つけた経験から、誰でも見える場所に言葉を残すことに抵抗が生まれた。

その他、多くの「言葉」から始めるトラブルにより、私は不特定多数の人に何かを発信することができなくなったけれど、その克服のために昨年から踏み出した物語が今もつづいている。※詳細は1記事目に

今年はいよいよ、真正面から「文字を残す」こととの格闘が始まり、そうしてあらためてその規範を残すことにしたのが本日の投稿だった。最後に具体的な判断を書いておわりにする。


そしてどうなりたいのか?

note開始の目標宣言にも書いたように、「ただ毎日ブログを書く」ことが目的ではない。

今回書いた内容を踏まえて言うと、「コンテンツを作れるようになること」が目標であり、「いつでも価値を他者に届けられるようになる」ことが目的になる。

これを、苦しんだりがんばったりするのではなく、息をするように毎日できるようになること。

そのための練習として、このnoteを毎日書く。

そうして達成したい理想の生活は、「1日の中でいくつもの、大小様々なコンテンツを生み出して、それを適切な人に届ける生活」だ。

自分が楽しいと思ったことを広く伝える。共に同じ方向を目指す仲間には、これが大切だと思ったことを伝わるように届ける。
誰でも「箱」は利用できる、いい時代になった。そこに価値ある「中身」を詰められるようになれば、私は理想の生き方ができるようになると思っている。

時間と場所の制約から自由になり、自分が探求したいことを探求し、その価値を認められる人に成果物を届けて対価をもらい、その対価を使ってさらに価値を深めていくサイクル。
その活動が人や世界を少しずつ良くしながら、自分自身も最高にエキサイティングな1日1日を生きる。個人でいわゆる「三方良し」の生き方を作るには、このサイクルが1番だ。(何を1番と感じるかは人によって様々だ)

私はこうした自分の理想を叶えるために文字を書く。

これは主体的で、能動的で、挑戦的で、いつも変化があるものだ。根本的な部分で「慣れる」ことはない。このたどり着きたい理想の状態を、世間的には「コピーライター」とか「コンテンツクリエイター」とか「オンラインサロン運営」と呼んだりするのかもしれないが、私のイメージは、そういうものよりも、もっと広くて自由なもの。

仮にコンテンツクリエイターを目指しては、企業を経営することはできないかもしれないが、こちらはそれもできうる力だ。より汎用性が高く、広い場面に活用できる。言葉自体の可能性をフルに活かせる状態になりたいのだ。

この存在を表す適切な言葉はまだ浮かばないのだけど、そういったモノを目指して文章を書いているんだよ、ということ。そして、だからこのnoteに投稿するという習慣をスタートに、毎日朝も昼も夜もコンテンツを作って発信できるようになろうな、ということが、自分にかけたい言葉になる。

今後もし「なんとなく適当に」このnoteの連続投稿に挑むようになった時は、その姿勢を正せるように。


✑136分

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