#356C|考えすぎ|よいアウトプットはよいインプットから

井上さんの「続ける思考」を読んだ。とてもおもしろかったので、これは久しぶりに表noteに書きたい。note365日連続投稿チャレンジ356日目。


問題解決のために「自分で考える」よりも、答えを出すために必要な情報を「インプット」する方がいい。この発想・行動のあるなしで、物事の進捗速度も成果物の質も変わる。


良質な材料を探してきて組み合わせる

昔一緒に仕事をしていた人は、これがとっても上手かった。斬新な視点や驚くようなアイデアは、ほとんど全て自分の外から持ってきて、いい感じに(それを自分で考えだしたかのように)組み合わせてアウトプットを出す。

自分の仕事は「生み出す」ことじゃなくて「問題を解決する」ことだから、すでに世の中にあるものを持ってきた方が早いし質も高い、と言っていて、いい意味でも悪い意味でも大変驚いた記憶がある。(今はすごい重要な考え方だと思っている)

その頃の私は、すべて自分で作り出したいというか出すべきと半分無意識で思っていて、人のものを持ってきて組み立てていく姿勢に嫌悪感があった。(これはかなり無茶苦茶な感情で、私の潔癖症なところだ。こんな考え方をしていれば大変に生き難いのも当たり前。今はそんなにラディカルではない)

また、私が「やりたい」ことは「この世にまだない」ものばかりだ、という意見もいただいた。「そんなものが本当にできるかどうかは博打だ」「すでに誰かができたものを探せ」といったニュアンスのことを言われ、当時の私は大変「つまんねー」と思ったものだった。

すでにある他者のもので作り上げる、パクっていくスタイル。俺はそんなことがしたいんじゃない。ゼロから考えて生み出したいのだ!と憤ったものだが、①そもそも人は「ゼロから考える」ようなことはほぼないし(気づかずでも外から得た知識使うし)、②「ゼロから作り出す」ようなことができる能力を持つ人というのは、当時の自分が思っていた何千倍も稀だ。③あと、自分にはそんなミラクルな力はないってこともその後、骨身に染みていった。


必要にせまられてようやく変化が始まった脳

しかしそういうことが身に染みながらも、今でもまだ私はほとんどの物事を「自分で」考えようとする癖があった。これは私のアウトプット速度が遅い原因の1つと思っているのだが、うまく切り替えられなかった。自分の脳みそに馴染んだ「思考の通り道」のような感じだった。

それが、ここを変えないと新しい生活習慣を実行することは不可能だと感じる状況に突入したためだろう。(「23時に寝る」を断固として守ることにした。そのためにはもっと早く色々なことをを処理しないと100%間に合わない)

何かを「考えよう」とした時にはまず最初に「この問題の答えを出すために必要なインプットはなんだ?」という問いが立ち始めた。

これは昨日の記事に書いたように「制約があって創造性が発揮され」始めた結果だと思う。普段はしない問いが生まれている。


脱したい「考えすぎ」

私はいちいちなんでもかんでも「考えよう」としすぎだ。

この前もTCAの企画で「noteマガジンを運営する」という案があったが、私はこれを「100チャレ七期のイベント」という枠の中で捉えて、そこであーでもないこーでもないと数時間考えまくった。

しかし次のミーティングで早々に前提が変わったため(「100チャレ内」イベントではなく「TCA全体」イベントになった)、私が考えた数時間は意味のないものとなった。

この事実を悔やんでいたりはまったくない。せっかくあれだけ考えたのにとか、自分の考えが反映されなかったとか、そういう気持ちはゼロ。そんなことはどうでもよく、企画がよりよいものになるのが最高だ。

ただ、私はこういうことが往々にしてあり、「考える」という行為自体が本当に必要なシーンなんてマジで、当社比からすれば激低なんだろうなと、今noteを書いていてふと思ったので事例として残した。


洞察力を高めるのも事前のインプットか

「考える」とは「逆算」的だ。タスクシュートメソッド(逆算はやめよう)をやっていながら、ここは私、もっと変化していきたいところ。

フォーカスを思考力より洞察力に。必要なインプットをしたあとは一瞬(長くて数分)で結論を出し、あとは具体的に手を進めていく。

この、洞察力を高めるのが事前インプットじゃないだろうか。とも結びつき、とにかく今日思うのは、もっと材料に目を向けようという結論。

美味いパン屋は腕はもちろん、使っている小麦やその他の原料も違う。「美味いパン」を作るために「技術」だけを高めようとしてしまうのが私のクセ(いや例え微妙な)。「材料」の収集にももっと意識を向けて、トータルの「アウトプット」の速度と質を上げる。

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