#244C|私は幸福なギバーとして

ラフな書きっぱなしで投稿。note365日連続投稿チャレンジ244日目。


ギバー・テイカー・マッチャー

世の中の人間は「ギバー・テイカー・マッチャー」という種類に分けられるという話は、もうかなり有名になった感がある。アダム・グラントのギブアンドテイクに詳しい。

ざっくり言えば、ギバーはどんどん与える人、テイカーは自分得をすることにだけ関心があり、マッチャーは与えられたものを返す人だ。

その中でギバーは2種類に分かれる。幸福なギバーは全体の2%だと聞いた気がするけどさすがに少なすぎると思うのでこれは勘違いか。

不幸なギバーはいつもトータル収支がマイナスだ。これは、「与える」と言えば聞こえがいいが、よーするに「使いすぎ」だ。入るよりも多くを出してしまい、使い尽くす(与え尽くす)ためにいつもエネルギーや時間やお金がない。


与える技術

幸福なギバーはどんどん与えながらも、自分にもナニカが増えるような資産やリソースの活かし方(与え方)ができる。

むかし「オマエは残念な方のギバーだ」と言われたことがある。当時は疑問だったけれど、今はそうだなと思える。それは自分の価値を信じられなかったための悲劇で、原因は生育環境にあった。

いま私が関わっている人たちはいい人ばかりだが、中には自分を下げている人も見える。そういう人も皆、適切な与え合いができるようになるための「ナニカ」ができないものかと思う。

私自身も、自分を含む関わる全員がプラスになるようなリソースの使い方(与え方)を試行錯誤している。


「普通の人」こそが鍵を握る時代

もともとすごいタイプの天才奇人と関わるより、その才能を開花させて生きている凡人と関わっていたいし、その才能が開く手助けをしたい。

自分1人だけで生きていくのは簡単な話だ。自分の家族や友人だけが心地よく生きていられればいい、というのも同じようなものだ。あるいは強い人の庇護のもとで生きていくというのも、分をわきまえた人生なのかもしれない。

しかしどれも前時代的だと思う。

これから私達がプレイするのは、普通の人が普通のままでいながら、いかに個々全員が社会への責任を自覚し、全体で調和を作って生きていくか?というゲームだ。

「誰かに頼っていればよかった時代」が終わる。自分の足で立って歩いて行こう。私もあなたも主人公だ。

✑裏note:52分|1000文字

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