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#171C|なんで私にいちいち許可取るんですか?

昔ビジネスパートナーに言われた言葉を思い出したのでそれを書き始めたところ、いい発見を得られたnote365日連続投稿チャレンジ171日目。

30分以内で記事を書くチャレンジは3日目だが、気がついたら60分たっていて失敗。それでも、この30分縛りチャレンジをやっているため、ここから推敲とかはせずに粗削りで投稿できた。


なんで私にいちいち許可取るんですか?

昔ビジネスチームを共同運営していた時、運営者から「なんで私にいちいち許可を取りに来るんですか?」と言われたことがある。印象的な言葉だった。

私は彼に、思いついたアイデアをよく投げかけていた。彼は「戦略・思考力に強みがある」と思っていたため、「そのアイデアがイケるかどうか?」について、話し合ったり、意見を聞きたいために話していたつもりだった。

しかし彼からは、「そのアイデアの実行許可を欲しがっている」ように見えていたらしく、そしてもっと言えばそのアイデアの「検証の労力」や「実行の責任」を私から押し付けられている、と感じさせていたかもしれない。


私はどういうつもりだったのか

今あらためて振り返ってみて、自分の真意を想像すると、そんなところもありそうに思える。「想像」しかできないところに、まだ「見たくない何か」がある気もする。「実際に感じよう」としても何も感じない。わからない。という言葉が出る。

それでも、私の腹の中を想像すれば、「考え抜いて検証する作業」や、なんなら「アイデアを実行する作業そのもの」をやってほしかったのではないかと思う。

思いついたものを形にしてほしいという想い。べつにそういう気持ちがあるのも自然だけれど、実際に本当に手を動かなさない、というのは厳しい。そのビジネスチームは解散したが、その原因の1つは私のそんな関わり方だったのかもしれない。


もう一度。私はどういうつもりだったのか

それから何年もたった。多少なり成長した。このnoteを書くことで癒やしも起こってきた。そうしてあらためて考えると、私はあの時やっぱり「許可を取りたかった」んだろう。

過去の私は自己否定的で自信がなく、自分を自分で勝手に縛っているところが今よりもとても多く、失敗を心底恐れていた。

許可をもらうことで、それらから逃げられると思っていたように思う。仮にしかし、許可をもらったところでけっきょく何もやらなかったハズだ。

当時はまだ「発信する」ことへのブロックが山のようにあった。自分がすでに確認済みの「安全圏内」でしか動けなかった。(安全圏内では私はとても自由に振る舞えたので、そんな縛りがあるような人物だとは見られないことも多かった)


「安全圏」を一緒に拡げてほしかった

ああ!今わかったが、私は彼に「私にとっての安全基地」になってほしかったし、さらには「私の安全圏」を一緒に拡げてほしかったのだ。

相手からすればものすごい負担だ。少なくとも「共にビジネスをしていく仲間」ではない、完全に甘える関係だ。そんな相手にビジネスの一翼は任せられない。

そして、そんなことをしてくれるのは普通は親しかいない。よくて兄弟や配偶者くらいだろう。これをサービスに換算すれば月20万くらいの負荷感。「私だけに尽くしてくれ」というものすごい要求だ。


そんなことができる場やサービスが作れたらいい

しかしこれはおもしろい発見でもある。「安全圏を一緒に拡げてほしい」というのは、かなりニーズがあるのではないだろうか?もしかすると、これがコーチングやコンサルサービスの本質かもしれない。

これまで、仕事として相談を受けた相手に「戦略」や「やり方」を伝えても、「実行ができない」原因を、私は「PDCAを回す習慣(技術)」を持っていないから、と結論づけていた。(そこをフォローすべく存在している側面もある「振り返り」ルーム)

しかしPDCAを身につけたとしても、行ける場所が「安全圏内」のままの可能性がある。(もちろんPDCAをちゃんと実践できれば安全圏も拡張していけるのだけど)

すでに動ける中でしか活動できないなら、自分が望む目覚ましい変化(理想の変化)は難しいケースもあるだろう。

本来は子供の頃、保護者の存在に助けられながら「自ら安全圏を拡げる」術を身につけると思うが、それができなかった人というのは、誰かの助けが必要になる場合も多そうに思う。

私は「今の社会にはもっと『安全基地』が必要だ」と思っていて、そんな場をたくさん作りたいと思っていた。もしかするとその機能的な本質は、「場に参加した人の『安全圏が拡がる』こと」かもしれない。

「本当の安全基地は安全圏を拡げられる効果を持つ」のか、「安全基地と安全圏を拡げる行為はまた別」なのか、これから考えを深めていきたい。


p.s.ラガードからイノベーターに変わるような

多くの人が、いろんな面で行動に縛りを持っている。行動の縛りは、過去に自由に振る舞って攻撃を受けた経験、傷から生まれていることが多いと思う。

それは今でも本当に持っておく方が身を助ける縛りなのかどうか、今後の自分が望む生き方に対して助けになるのか、という観点から検証し、いらない縛りはほどいていく。その手伝いができるような、それを促すような効力がある場やサービスができたら、この世界はもっとおもしろくなりそうだ。

縛りがある状態で利益(結果)だけを追求するから、発想や行動は紋切り型になる面があると思っていて、その縛りがクリアになれるなら、それはキャズム理論で言えばラガードからイノベーターに変わるような変化が起こせるのではないか。そんなことを期待してしまう。さすがにそれは飛躍か。


✑64分|2400文字

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