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#080|空を飛びたいのなら

クラブハウス「1日をふりかえる部屋」運営447日目は、モデレーター6名全員が初めて揃って嬉しかった日。賑わいがあるのはやっぱりいい。ルーム内容の大幅アップデートをしたいと思っているのだけど、その意欲も高まる。「少人数で濃い時間」が最も好きだが、意外と「お祭り」の方も好き。note365日連続投稿チャレンジ80日目。

「TCC29タスク消滅」から悟りを開くワタクシ

またも起こってしまった悲劇。我が愛用のタスク管理ツール「タスクシュートクラウド」(以下TCC)で、複数のタスクをまとめて設定変更していたところ、間違って29個の「タスク名」を一括で変換してしまう=実質的に29タスクを消してしまう、という事故が発生。(これは月イチで起こってる気がするが、さすがにこの量は初だ)

昨日こなしたタスクの評価をしていて、全122タスク中の29タスクにチェックを入れている状態で、なぜか「タスク名を入力する」欄が選択されてしまった。こうなると時すでに遅く、タスク名が一括で同一のものに変換されることを避けられないのだ。

こうして、1日をかけて細かく入力した記録がこの世から消え去った私は膝から崩れ落ちた。TCCをご活用の方にしか伝わらないことだが、この29タスクは全て"ルーチン"ではなく、随時手入力をしていった「その日だけのタスク」であり、さらに私はタスク名に行動記録+感情や学びのコメントまで入れているため、失ったのはまさに「人生の生データ」。

それが一瞬で消えたのだからたまらない。天を仰ぐ私を見て、隣でパートナーは気軽に「どんまい」と声をかけてくれるが、ちょっと笑えない。


「いやいや、大げさ。そこまでショック受けなくてもいいでしょ?」と、思いますでしょう?うんうん、わかります。

でもね、なんせ私がTCCを使う一番の醍醐味だと思っているのは、「人生(1日)の詳細な記録」を残せて、「その時に何をして、どう感じたか」を後から見返せることであり、それが1日をたいせつにしている感覚になれるし、喜びでもあるのですよ。そんなスタイルで記録している私にとって、消え去った29タスクとは我が人生の一部であって、やっぱりショックが大きいのです。

時間で見ると、朝から晩までの間の29タスクが1つ平均3分だったとしても90分の行動記録であり、記録に30秒かけていたとしたら15分。1日のうち約2時間が消えたことに。


ちなみに現行のTCCの最大の弱点は「アンドゥ機能」がないことではないかと思っていて、消してしまったらもう元には戻せない鬼仕様。アンドゥ機能がついたTCCなら仮に月額5000円でも払いたいよわたしゃ。と、なぜかちびまるこ風になりつつ落ち込むこと十数分。

ふと、「この試練を通して人生は私に何を問うてきているのか?」「私は何に気づけと言われているのか?」といった問いが頭に浮かぶ。(こういうことよく考えがち)

ここからなぜか闘志が燃えてきて、このミスをただのミスで終わらせてたまるか!という気持ちで真剣に考えた結果、ワンダフルな視点の変化を起こすことができた。そのインパクトは4回転アクセルクラスである。


そうだ。 「過去」は捨てよう。

毎日毎日、行動記録を詳細につけている私は、見方を変えれば「めちゃくちゃ過去に執着している」とも言える。

記録をつけている時の自覚としては「今を生きている」「今をたいせつにしている」つもりでいたが、別の視点で細かく見れば、記録をつける瞬間にそれらは過去になっているわけで、そしてその活用方法は「1日の終わりに今日を振り返り、楽しんだり教訓を得たりする」ことなので、これは「すでに終わった過去の時間の中で過ごしている」とも言えるではないか。

今回、そうしてたいせつにしていた過去が消えた(29タスクが消滅した)、ということを、「それ今、重要じゃねえから」というメッセージだと解釈してみると、大きな発見が得られた。


なぜそれは今重要ではないのか?私は現在の人生の「状態」に満足していないからだ。いやなんというか、根本的な部分に満足感はあるので現状を否定することはなく、毎日「1日をたいせつに」味わって過ごしているのだけど、それが果たして「いいこと」なのか?という根本的な部分に目が向いたのだ。

なにが「いい」かは人により場面により変わる。今の自分にとっては、1日を丁寧に味わって生きることって、実は、そんなに「いい」ことではないんじゃないか。

なぜなら、達成したい目標がある。これから作りあげたい生活スタイルがある。今の生活を続けていては絶対にやれない、やりたいことが山程ある。

なのに、それらがまだできていない現実を「たいせつに味わっている」って、なんかおかしいんじゃあないの?と思ったのだ。


これに気付いてからまたじっくり考えたが、これはもう「そのとおり」だ。

きちんと記録してたいせつに味わうほど=エネルギーをかけるほど対象は存在を続けるので、「現実を変えたい」と思っている人にとっては、その変えたい現実を長く観測するべきではないのだ。

(変えるための糸口を見つけるために現実を正確に把握することは必要だが、味わったりするのは不要ということ)

私が見るべきなのは「変えたいハズの今」でなく「変えた先の未来」で、「それを起こすための行動」だ。そう思うと、29タスクの消滅が起こったのは僥倖だった。


「過去にこだわることを、今を含めてやめる」ことで、行動の選択基準が変わる。指針が「いまをたいせつに」ではなく「未来をたいせつに」というように切り替わることで、結果が変わる。TCCに残る内容も全然変わるだろう。

この仕方で「未来側」により過ぎても今をなおざりにすることになるが、私の場合は「今を中心として過去側=現在を保存する方向」にエネルギーを働かせすぎていたため、ちょっと未来よりにバランスを取り、「今、何をするのか?」を選んでいくほうが良いだろう。

それは例えるなら、「今の気持ちに従った行動よりも、目標を達成するために必要な行動を選ぶ」ようになるということだ。ここまで簡潔に表すと「アタリマエ」すぎて何も新しい発見に聞こえないかもしれないが、しかし果たして、どれだけの人が実際にこの選択(目標達成を優先する)を続けることができているだろうか。

新しい服がほしいなら古い服を捨てるといい。強制的に新しい服に変わらざるを得ない。この仕方を、今の私なら「過去を含めない"今"」を大切にしながらも「未来に目を向けて選択していく」という、非常によいバランスで実行できそうに思う。この微細な違いを感じ取りバランスを取れるのは、これまでのクソ細かい記録によって磨かれた力だ。


最後に、この気付きを得てすぐに思い浮かんだトニ・モリスンの名言を。やっとこの言葉の実用的な意味がわかったかもしれない。

空を飛びたいのなら
あなたを地上に引き留めている
些細なものを捨てること。

Toni Morrison

というわけで、また新しいスタイルがスタートした。これからの生活と変化度合いが、まためちゃくちゃ楽しみだ。


✑80分|2900文字

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