自分が変わる方がお得と悟る|#591S

私は常々「変化できる人間になりたい」と思い、このnoteでもやたらと変化変化と叫んでいる。

そんな自分だが、しかしなかなか満足できるほどの変化ができるようにはならない。

「満足する」ということ自体が変化の終わりとも言えるが、そういう意味ではなく、もっとハッキリと変化の度合いが足りない感覚があった。

なんというか、どうも変化しきれないというか、変化すると言いながらどこかロックがかかっているような。

それでも日々「変化できる自分」に向かって、そのブレーキになっているものをどんどんクリアしていっており、この頃は自分の変化度合いに「満足」を感じれられるようにもなってきた。「まだまだだ」という渇望感は薄れて、「いい感じ」という満足感へのシフトが始まっている。

人が変化するためには絶対に必要なマインドセットというものがいくつかあると思うが、その中でも特に「これは盲点だった」ものについて、今日は簡単に残しておきたい。


自分が「変化したい」と言いながら、実際に変化するための出力に大きくブレーキをかけていたものの1つ。それは

「"仕方がないから"自分が変わろう」

といったようなマインドだ。

これは何かというと、本当は相手に、他者に、周りに、変わってもらいたいのだけど、本質的にそれは無理だということはわかるので、しゃーなしの気持ちで「自分が変わる」という考え方だ。

また、「自分が変わる」と言いながら、変わらないでいる誰かに対して「負けた」ような気持ちや「ずるい」ような気持ちなどもあった。こっちは必死に変わろうとしているのに、お前は変わらないでいいのう、みたいな。書き出すと恥ずかしいものだ。

ここにあるのは、「自分はほんとうは変わりたくない」という気持ちだ。なんだか変わろうとしている自分だけが苦労しているような。なぜ私が変わらなければいけないのか。めんどくさい。大変だ。怖い。でも、それでも世の中は残酷であるから、自分が変わるしか希望はないんだ。そういう「イヤイヤ変わろう」とする心が奥底にあった。

それを、論理的な思考でなんとか引きずって前進するような仕方で変化を目指していたのだから、これはまさに、いろいろな話で例に挙げられる「ブレーキを踏みながらアクセルも踏んでいる」状態であり、自分が変わることに100%能動的な姿勢ではないのだから、変化が遅いのは当たり前だ。


そんなマインドが、ある日ふっと解除された。いくら他人が変わってくれても、自分が変わらなければ何も残らないと理解したのだ。

たとえ自分の欲求が、周りが変わってくれることにより叶えられたとしても。それは一時的な利益、うわべの利益が得られるだけで、本質的に自分自身には何もいいことにはならないという直観。

自分が労することなく(変化することなく)、他人に変化してもらうことで何かを得るような仕方は、結果的に損をすると悟った。

なぜならそれは、そこにあったはずの成長機会を、得られたはずの宝を、失うようなものだからだ。世界に一つだけのアイテムを失い、代わりに100万円をもらうような感覚。100万円をもらえればとても嬉しい気がするが、世界に1つしかない何かを失うこととは比べ物にならない。

そのような視点を得てから、他者に「変わってほしい」とはまったく思わなくなった。むしろ、そんな貴重な機会を渡すことなどできない。積極的に自分が変わらせていただきたい。

そうして「自分が変わることなく、誰かに変わってもらって、自分が得たい何かを得たい」という気持ちをさっぱりすっぱり手放せた時、自分が変化するために払うコストはすべて消費でなく投資になった気がした。

なぜそう思えたのか、まで伝えられたらいいのだが、本当に「ふと」気づいたので、けっきょくそれぞれに納得の行く仕方での理解への道があるのだろうと思う。

自分に得がない。そうとわかった瞬間にそれまで掴んでいた欲求を手放せるのだから、自分はつくづくゲンキンな人間だなと思うが、まあ人ってそういうもんだよなと。これもリアルでよい。リアルだけがパワーなのだ(てきとう)


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