010 | 自分をさらけだせると
基本的に、自分のことは話さない。
私はだいたいの場合、自分ではなく相手に関心があるし、しかし普通の人は相手ではなく自分自身に関心があることが多いためだ。私の仕事「相談業」は、小学生の時にはもう始まっていた気がする。
もちろん、距離が近くなると比重は変わる。親しい人とは5:5くらいかもしれない。自分の話したいこともわりと気兼ねなく話す。
note365日連続投稿チャレンジ10日目。今日も書いていきます。
「自分のことを話す」ことに向き合う
基本は「相手はどんな人なのか?何が話したいのか?何が聞きたいのか?」ここをたいせつにコミュニケーションを楽しんでいる。人の話を聞けない人が多いらしい世の中で、聞くのが苦痛な人がいることには驚きがあるが、私にとっては「聞く」ということは比較的イージーなことにあたる。
逆に、このnoteは「自分が一方的に話す場」なので、大変苦戦している。「いきなりマイクを渡されて喋る」ような毎日に、向き合い始めて10日目だ。
「枠」を設定すればラクになる。「このnoteはこういう人のために書きます」と。自分を後ろに回して「相手の望む姿」で「望む内容」を発信する。いわゆるマーケティング的発想。そうすれば、人の役に立つことができる。集客もできる。常連もつきやすい。読んだ「甲斐」も感じてもらえるだろう。
しかし、この365日連続投稿のnoteはそうじゃあない。「"自分"の発信」の練習なのだから、とことん自分が書きたいことを書かないといけない。これが大変な苦労だ。
どうしても半自動的に「何かの役に立とう」としてしまう。どうしても「評価を取りに行こう」としてしまう。これを否定することなく受け入れた上で、「"自分"の言葉を出す」力をつけていきたいのだ。
多くの人が"理由があれば"「そこ」にいることはできるが、理由もないのにそこにいられる人はけっこう少ないんじゃないだろうか。私は、理由もなくそこにいられる自分になろうとしている。それが本当の意味で「発信ができない」を克服するということだと感じる。
「条件付きでしか人から受け入れられなかった自分」の、悲しみや恐れや痛みを乗り越えるということに挑戦している。
人の成長とは未熟な過去に打ち勝つこと
この連続noteは自分の未熟な過去に打ち勝つための試練の取り組みだ。過去どんな理由があったにせよ、克服することを避けて生きてきてしまったコトに今向かい合っている。
このことが、人生にすごい変化を起こし始めていると感じる。ずっと曖昧にしてきたことと向き合い、乗り越えるために踏ん張るという努力が、ブログを書く時間だけでなく日常全体で発揮されている。一点への努力が全体にいい影響を及ぼす。このまま行けば来月は人生のターニングポイントになるかもしれない。
この年齢から本気で歌に向き合い始めて毎日訓練している友人がいるが、彼は日々成長している。どんどん力強くなっていく歌声を聞くのが楽しみの1つであり私の誇りでもあるのだけど、自分もそういう「明らかな成長の形」を見せられるかもしれないと思うとドキドキする。
とことんやろう。それによって攻撃を受けるかもしれない、恥をかくかもしれない、と思うことにちょっとずつ慣れてきた。どんどん自分をさらけ出していく。それができるとどうなるだろうか。
人生が変わる。
✑119分|1425文字
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