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#132|可能性を開いて生きる

「1日の濃密さ」が自分比で異次元に突入してきた。note365日連続投稿チャレンジ132日目。

良いことにも悪いことにも「幸福」を感じられるようになってきた

毎日が濃密だ。1日の中に嬉しいことも苦しいことも楽しいことも癒やされることも、失敗も成功も、全部入っているような日々だ。

今までの人生とは違うところに行こうとして、自分のできる限りを生きているとこんなふうに変わっていくのかと驚く。

けしていいことばかりが起きているわけではないが、良いことも悪いことも同じように歓迎できるようになってくると、確実に「前進」できるのだと学んでいる。最近は「生きている」実感がすごい。

「明日何が起こるかわからない」ことを許し、楽しめる。何があってもOKと思える。子供の頃に持っていた「純粋さ」をどんどん取り戻していっているような気もする。

こうなって思うが、私は長い間ずっと、「良いこと」も手放しでは楽しめず、「悪いこと」はもちろん避けたく、何かを「受け取る」ことを避けてきたような気がする。「コインの"表"だけを手に入れることはできない」ような。


持ち前の可能性が自由に開いていく生き方を

こんな状態になったことが今まであっただろうか。いつも、自分に足りない何かが手に入ることを願っていたし、起こってほしくない何かが起こることを心配していたような気がする。「望んだもの以外はいらない」のなら、「今あるもの」以上が手に入ることはない。

それはよーするに未来を「自分が思う通りにしたい」ということで、言い換えると「予想の範囲内で収まる人生でありたい」ということで、それはけっきょく「自分の人生の可能性が開いて展開していく」ことを必死に抑えつけていたようなものだ。

別の視点で見ると、これは「逆算」でなく「順算」で生きることとも言える。順算の真髄はこういうことじゃないだろうか。全ての可能性と握手できる用意があれば、変化は加速していき、想像もしなかったところに行ける。何が起こっても「今」にコミットして精一杯生きること、これは最高の「遊び」だ。


✑25分|800文字

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