料理初心者が感じている料理のよさとか|#590C
人生で初めて「毎日料理」を始めて1ヶ月半。今日はそんな初心者が感じていることを、勢いに任せて書き散らした。
失敗した鶏むね
今日作った鶏胸肉の塩蒸しはちょっと失敗で、食べた瞬間にはうまい!と思うものの、どこか臭みのようなものがある気がして、微妙な味わいだった。
料理をしているとたまに失敗する時があるが、失敗したものを完食するという行為はけっこうキツイと感じる。
普段は幸福に包まれる食事タイムが、失敗した日は反転して苦行に変わるのだ。
私はけっこう大量に食べるので(今日の鶏むねは450g、サラダは600gくらい)、食べても食べてもなかなか減らない。まだあんのかこれ、、という気持ちになりながら1時間食べ続ける。美味しいのなら「減らないご飯」は幸せでしかないが、う、微妙、、という味わいのものが、いくら食っても減っていかないのだから、やはりこれは苦行だろう。もっと料理がうまくなりたいものだ。
今日のサラダは、鶏むねを作る時に一緒ににんじんとたまねぎも蒸そうと放り込んでいて、できあがったあとに生サラダに混ぜ込んでしまったものだから、そのどこか臭みのようなものを宿したにんじんとたまねぎが、満遍なく600gのサラダにも偏在する形となり、鶏むね食ってもサラダ食っても、微妙にかおりがよろしくない。
で、そうなってしまったところからの味の改善方法はもちろん、そのように失敗した原因も、まだまだ初心者のため予想がつかない。次回の料理で何を変えれば、今日のようなことがなくなるのか?がわからない。これに困る。もう鶏むね作るのやめようかな、みたいな気にもなる。
人に聞くことで解決する
そのような食事の後、毎晩オンラインで開催している「1日をふりかえる会」で、運営チームのくみさんにちょっと聞いてみたところ、ズバリ解決した。さっすがー!というか、これは会話の中で生まれたセレンディピティであった。
Q.鶏むねの臭みを取るために何をしてますか?
A.先に水で洗う。あと酒を使う人もいるけど私は酒のかおりがちょっと好きではない
といったような答えを聞いて、ああなるほど!!となったのだ。
今日私は鶏むねを水で洗い、かなりの酒をぶっかけて揉み込んで焼いたのだ。この酒の量が多すぎたため、それによる「変な匂い」だったのだなと勝手に納得した。(違う可能性はある)
なるほどー「酒のかおりが逆に苦手で」という言葉がないと思いもつかなかったな。何事も人に聞いてみるといい。おかげで次回はきちんと計量して臨める。ありがたし。
自分はなぜ料理を避けていたのか
んで、今日料理している時にふと気付いたことがある。
なぜ私はこれまで、あまり料理をしなかったのか。というか料理が苦手だったのか。それは、これも「正解」に縛られていたからだなということだ。
①まず何を作るのが正解か。食べたいものを作ればいいだけなのだが、それすら何か正誤があるような気がしていた。
②作り方はどう作るのが正解なのか。それぞれの作る順番はどうがいいのか?いつ何をしかけるのか?レシピは多様でも、だいたいこんな感じというのはわかるが、だからけっきょくどういう手順でどう作るのか?単発レシピはわかっても複合するならどうそれぞれを組み合わせる?
③食材をどこで何を買うのが正解なのか。それは今高いからとか、それなら今こっちの店の方が良いから、とか、あらゆる食材の買うに適した旬があるらしいが、とても把握できない。適正なものがわからなかった。
④料理道具は何を作るのに何をどのように使えばいいか、そもそも何が必要なのか、それがどこにあるのか、そういうことがわからない。フライパンもナベもたくさんある。炒める時は、焼く時は、蒸すときは。生の肉はどのまな板で、サラダはどれだ?
⑤片付けはどうするのか?どのゴミはどこに捨てるのか?何はどう洗って、そのあとどこに置くのか?
こういったことが、どれも1つずつがわからず混乱するというのに、すべてをミックスして一撃で「正解」を出さなければならない、という脅迫的な観念があったので、私は料理が苦手だったのだ。
最初はそんなこと何も気にせず、とにかくフィーリングでやってしまえばいいのだ。そこからなんとなく掴んでいく。しかし私の場合はその失敗を重ねることができなかったため、料理に対して緊張を感じていた。
子どもの頃から台所に立つと怒られていたし、たまに許されて料理をすれば上記のようなカテゴリのすべての段階で怒られていたので、これはかなわんということで、料理にはなるべく手を出さないようにしよう、という結論になっていたわけだ。
料理、マジすばら(全人類は料理をしよう)
今ようやく料理をするようになって、これまでしなかった人生がマジでもったいねーーという思いが弾け散る毎日だ。こんなに楽しく、人生が変わる行為なのになと。
以前にXにもポストしたが、本当にこれには後悔レベルの感情を感じている。
「食事で人生は変わる」と言うが、これは本当に変わる。その変革は料理から始まるのだ。
私は父にも料理を振る舞っているのだが、ここにもなんともいえぬ楽しさがある、これもいい。料理の真髄は他者に振る舞うことにあるのかと感じたり。
この前などは、うまそうにできた方を父に食べさせてやろうと、無意識的に盛り付けている自分に気づいた。ああーー!子どもに美味しいところを譲ってあげるおかあさんとかも、こういう感覚なのかも、などと思ったり。なんというか、心から無償で人に利益を譲ってあげるような動きだ。美味しいから自分が全部食べたい、ではなく、美味しいからあの人にあげたい、という。豊かさを感じる。
料理とは、人とのコミュニケーションになり、美味しく、健康にもなり、買い方によっては農家さんの助けになり、自身の技術も研鑽でき、作る工夫自体もまた楽しく、深めようと思えば無限に深めていけて、色々なことに応用できる学びがあり、他者への思いやりも育まれ、という、素晴らしい活動だ。
「料理ができるヤツは仕事ができる」などと言われるのも体感でなんとなくわかってきた。こんな素晴らしいものをやらない手はない。マジで全員やった方がいい。なにより、手作りの料理を通して他者への慈愛が育まれること、それを表現できうることに、すごいツールとしての可能性を感じている。
あなたが料理未経験者なら、まずはきゃべぴいMAXでキャベツを削るところから始めるのだ。
とはいえp.s.
これもXに書いたが、「全員料理した方がいい」といっても、私がそう感じられるのは料理に対して私の環境やタイミングがいいためだ。前提が整っているからこうして工夫し感動を覚えられているが、状況によっては辛いものにもなるのだろうなと思っている。
私の母が手料理が嫌いなのは、苦手な中で強制的に毎日作らなければならない日々だったからではないかなと思っている。私ももし、失敗を楽しむ余裕や、作る・作らないの自由なく、料理を「押し付けられる」ような形で関わっていたら、きっとこんなに楽しめていないはずだ。
なので正確に言うなら、「能動的に料理ができそうな環境の人は」という注釈付きで、ぜひ全員に料理を、実益を兼ねた趣味の候補としてでも考えて、挑戦してみてほしいと思う。
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