見出し画像

#040|忘れていた自分を見つけた日

周囲でやたらと好評の「スラムダンク」と「すずめの戸締まり」。この2作はぜったいに観ろ、という圧に負け、行ってきましたスラムダンク。なんと予想だにしない展開となり、「記念日」認定とまでなったnote365日連続投稿チャレンジ40日目。家に帰ってひさしぶりにドリブルしてみたが、全然できなくて笑った。

スラムダンクは「人生の転機」だった

リアルタイムで連載を読み、手に汗握った山王戦。あれを読んでいたのがまさかの小学生時代だったとわかり驚いた。連載日を調べたのでわかったのだけど、私の感覚ではスラダンは高校生くらいに読んでいたつもりになっていた。

連載日を調べたところから、子供の頃の様々な思い出が蘇ってきて、完全に忘れていた重要な事柄を思い出せた。結論を書くと、なんと私は、スラムダンクから人生が変わるくらいの影響を受けている。

たとえば中学の部活を決める理由にもなっていたのだが(これも忘れていた)、部活はその後の人生に大きな影響を与えた。私はスラダンを読んでいなければ中学でバスケ部に入らなかった。バスケ部に入らなければ、その後バイオレンスな生活へ進んでいなかった。そんな生活になっていなければ、20代で鬱になることもなかったかもしれない。参考:#028|私について : 不快過敏症


ひたすら回想と内省をする時間

映画館にいらしたほとんどの方は純粋に「スラダン」を楽しんでいたと思うが、私にとってこの映画は、実際の内容はそこそこに、自分自身の子供時代の出来事や、やり残したことなどを次々に思い出すきっかけとなり、上映中にひたすら回想と内省をし続ける、という不思議な時間になった。

映画の内容も、ただバスケをするだけではなくて"そういった"面を含んでいたため、自分自身の辛かったことや怖かったことなどを思い出しつつ、登場人物にも感情移入して涙ぐむシーンもあった。

感情が動いた点では、三井と宮城の喧嘩シーンは動画ならではの迫力だった。さらに漫画では体育館のモップで前歯を叩き折られそうにもなるのだが、私はリアル体験を思い出して体が硬直した。私が叩き折られたのは鼻だったりカチ割られた頭だったりしたが、この辺りは上映中にけっこう憂鬱になった。いつまでたっても恐怖感を体が覚えているというのは鬱陶しく、これもなんとか解消できないかなと思う。これもバスケ部に入ってなかったら起きていなかった確率が高い。


運命的なタイミング

自分にとってこの映画が、ブログを通して自分と向き合って解放しようとしている今に現れたことは運命的と感じた。ただの解釈でしかないかもしれないがあまりにもドンピシャで、きっとこの今より40日前に観ていたら、過去を思い出しはすれど、こんなに人生の核心に迫る気付きを獲られることはなかったハズだ。ブログを毎日書くことによって自分の苦しいこととしっかり向き合うようになっているからこそ掴めた気づきだ。

おかげで、小・中学生の頃に大きく失望したこと、挫折したこと、恐れて目を背けたこと、逃げてしまった出来事など、きっちり思い出すことができた。

そして重大なことは、それらは今も消化できていなかったということだ。

劇中では、17歳の少年が勇敢にも葛藤を乗り越えて成長していっている姿が描かれるが、それを見て「若い頃にそういうのはクリアしておくのが真っ当な生き方なんだよな」と自分の年齢と比べてめまいを感じつつ、逆に「クリアできずにひきずっている人だってたくさんいるさ」と自分を励ましたりもしつつ、最終的には「年齢関係なく気づいた時にしっかり向き合うかどうかだろ」という正論をもって、映画が終わったあとに決意をあらたにした。


忘れていた自分を取り戻した

スラムダンクのメインの登場人物達は、みなとてもかっこよく魅力的だ。小学生から見ればもう本当に「激アツ」だった。

自分もあんなふうに、強く活き活きと生きたい!と思ったものだが、残念ながらそれを貫くガッツは子供時代の自分にはなかった。自分が憧れたことをやり通せなかったこと、その頃の失敗や挫折の記憶などなど、映画が終わってからどんどん書き出していった。私はずいぶんと色々なことにつまづき、逃げてきたものだ。

「一度逃げた人間はまた逃げる。そしてずっと逃げ続ける」と言われることがある。逆に、むしろ「逃げるが勝ち。どんどん逃げればいい」ということも言われる。逃げることが人生を壊すのか活かすのか?

この違いは、1つは「進行方向」の解釈だ。「敗走している」のでなく、「逆方向に向かって全力で進軍している」と思えるかどうか。また、仮に逃げたって自分を信じていられるかどうか。それでも真っ当に生きようとするかどうかだ。ただし、いつまでも「自分の弱さを受け入れる」ことから逃げていては、どこかで行き詰まる時が来る。私がある部分でずっと「詰まっている」と感じていたのは、今回忘れていたことを、まさに見事に忘れていたからだと思った。


「子供の自分」と手を繋げたような気がする

生きていても、これほど自分にとってインパクトがあるものを見つけられる機会なんてめったにあることではない。今日発見したそれらは、今の自分にハッキリ影響を与え続けているのに、まったく思い出すことができないほど見えなくなっていたのだ。

見つけたからには、この機会を絶対に活かす。全部逃さず、きっちりと消化するべくプランを立てた。

私の映画スラダン観賞は、「封印していたとすら言えそうな『自分を構成する重要な要素』を見つける」という思いもよらない体験になった。これはまったく人と違う感想だろうから、「スラムダンクを観た感想」として話すことはできないが、観に行って本当によかった。

「スラダンは私の人生を二度変えた」と言えるほど、大げさな出来事になりそうだ。

今回、映画をお勧めしてくれた皆さんにありがとうと念じつつ(すずめの戸締まりも観てみよー!)、さっそく逃げていたことに取り組むべく長期計画&スモールタスクを作った。今の自分ならクリアできると確信できるのは、小学生の自分からするとめっちゃ心強い。どうぞヨロシク。


✑89分|2500文字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?