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#151|こんな子供だった

自分を整理するために、今日からひさしぶりに「私について」シリーズを書く。今日は10歳くらいまでの印象に残っていることを。note365日連続投稿チャレンジ151日目。

※過去に書いた1番ディープな「私について」の記事は「不快過敏症」。懐かしい。この時からもうずいぶん変化した。


本を読み、絵を描き、踊る子供

物心ついてから10歳くらいまでの好きなことはなんだったか。

本を読むこと、漫画を読むこと、漫画を書くこと、隠れ鬼ごっこ、ブランコ飛び、スケッチ、音楽を聞くこと、音楽にノッて踊ること、ばあちゃんち、たたかいごっこ、ゲーム(ファミコン、ゲームボーイ、スーファミ)、夜の長距離ドライブ(父が野球中継のラジオを聴いているのも含めて)、プラモデルを作って遊んだり飾ったりすること、四国ニュージーランド村、畑を育てるミニキット、文房具や雑貨、アクセサリー、学校帰りにお菓子やにくまんを買って食べること。

意外と色々思い出せるものだ。昔から好奇心が強かったことは自覚がある。その上よくも悪くも常識がなかったので、気になることを試してはぶん殴られて凹むことが多かった。常識がない、というのは今も変わらない。なんというかある部分の感性に欠陥があるように感じる。

好奇心 × 非常識、だけれど強烈に人に気を遣うため、持っているパワーをうまく使いこなせない感じだったように今は見える。


好きだったことの詳細(はいくらでも書けてしまうな)

本は特に好きだった。4歳くらいに絵本から始まって→世界の動物図鑑とかの図鑑系にハマり→からの恐竜とエジプト(ミイラ)にドハマりし→その後、かいけつゾロリとかズッコケ三人組などをよく読む時期があり→シャーロックホームズとかブッダの教えとかを背伸びして読みだし→最終的に癒やしの景色の写真集が心の支えとなったのが10歳くらいだった気がする。

漫画はジャンプ一択。ドラゴンボール、幽遊白書、スラムダンク、ダイの大冒険、ジョジョなど。毎週激アツだった。今も漫画は好きで、ジャンプもたまに読む。6歳から毎週、30年くらい読んでるってすごいな。

好きだったゲームは聖剣伝説、SaGa、じゃじゃ丸くん、ドラクエ3、くにおくんシリーズ、マリオ、ファイファン4,5、星のカービイ、ワギャンランド、など。
ゲームのみ10歳以降に踏み込むが、特にドハマリしたのは、ドラクエ6、クロノトリガー、FF7、FFタクティクス、アストロノーカ、ゼノギアス、moon、RPGツクール、ザ・コンビニ、ダンレボ、かまいたちの夜、など。この辺りが好きだった人と語りたい。

ゲームはプレイするだけでなく、裏設定とか、そのゲームのアイテムやシナリオを作った背景とか想い、作るための苦労話など、制作側の話を聞くのも大好きで、雑誌や攻略本などよく読んだ。むしろゲームはせずにそちらを読む方が好きだったゲームもある。

好きなことを書き出すと1トピックごとに記事ができてしまうので、ここでやめる。


初めての商売と学び

はじめて「商売」をしたのは小学4年生の頃だった。近所で店をやっていたじいさんが「捨てる予定だ」と言うおもちゃやゲームをまるごといただき、学校のグランドで、祭りの日に勝手にブルーシートを広げて陳列し、値札シールをつけて売った。

私はずっと「お店」をしてみたかったので、この日デビューした時の感動と興奮、そして売れなかった困惑と売れた時の喜びは今も目の前に浮かぶ。

売り出した最初、「もらったものだから」と、ゲームボーイのカセットを300円などの価格設定で並べていたのだが、皆「壊れてるんだろ」と言って買ってくれなかった。

めずらしがって人はけっこう来てくれたが(グランドでゲームソフト売る店なんてないからな)、さっぱり売れない。悩んだが途中で閃いて、というか半ば腹が立って、値段をたしか5,6倍に上げた。

すると見事にバカ売れし、持っていったものは全て売り切れた。

この時、強烈に「物には適正価格がある」ことを感じた。「安ければいいというものではない」こと、「価格とは信用なのだ」といったことを学んだ。これはなかなか芯を食った学びで、若い頃にこういう体感を得られたのはよかったと思う。

それを軍資金にして、その日以降はお気に入りの文房具などを仕入れて売り始めた(仕入れは普通に文具屋で買っただけ)。

私はめずらしい文房具とかイケてる財布を探すのが大好きだったので、自分が「イイ!」と思ったアイテムをセレクトして「商売道具箱」という入れ物に入れて学校に持っていき、休み時間に店を始めた。これもよく売れて、売上が出るのでだんだんと手を広げてオススメの漫画なども商品にしていこうと思っていた。


「理不尽に叩き潰される」経験から生まれた強み

順調だと思っていた「お店」。しかし当たり前ながら生徒が学校で商売をしているという話はほどなくして先生の耳に届き、体罰の洗礼を受けた。学年集会で全体に注意までされたような気がする。学校でモノの売買は禁止。買っても売ってもいけませんよ、と。(まあ、当たり前だけれど・・・)

それでも、頭ごなしに否定するのはどうなのか。いきなり鬼のようにつるし上げたりしないでもよくないか?そもそも「自発的に商売をしている」ということを「異常者扱い(というか犯罪者扱いされた)」せず、「個性」と認めてくれていたなら未来は違ったと思う。

この時に「理不尽に暴力で叩き潰された」というくやしさと怖さ、人と違うと攻撃されるという恐れが生まれた。学校に行かなくなったのもこの時が最初だったような気がする。

もしも子供の頃、私と対話してくれる先生や、せめて何を考えているのか否定せずに聞いてくれる大人がいれば、というか大人に限らず誰か1人でもそんな人がいれば、私の人生は違うものだった。これは被害妄想かもしれないが、文字通り「全員」から否定されたという記憶がある。

ただ、それによって強烈に「話を聞いてもらえないことへの怒り」がマグマのようにたまったから、私は逆に「人の話を徹底的に聞く」ようになれた。どんなに自分と主張が違っても、相手の人間としての尊厳や未来の可能性は絶対に否定しない、というのは今もポリシーの1つになっている。そして、この姿勢が仕事に繋がっているので、人間やはりエネルギーを使ったことは身になるのだ。


明日は10歳〜20歳の話。


✑88分|2500文字

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