#477C|楽しむ回路
※ 今日の記事は長くてよくわからないと思うと、事前にお断りしておく。まだかなりの仮説段階の話で、表現する言葉が見つからないままダラダラ書いている
「楽しむ回路」について。
いちいち細かい部分の「今」の反応を自覚して、変化させようとしている今日このごろ。これがとてもおもしろい試みでハマっている。
通常、1日の中の多くの時間は「特定のインプットに対して決まったパターンを返す」という反射で送られていて、たまに反応をしている程度と言える。
この「反応」の部分でだけなんとかかんとか、自分を変化させようと試行錯誤してきたのがこれまでの努力だとしたら、最近は「反射」の領域をどれだけ変化させられるのかが重要かもしれないと感じて、そのためのアプローチをしている。
物事のクソ細かい部分を見る。いつも反射で、無意識に、それに気づくことすらないような自動処理をしている領域に対して、なんとか「自覚」しようとして、「いつもの動き」でなく「新しい動き」をしようとしている。
・毎日やりとりしている人から来るいつものメッセージを読んで、自然に浮かぶ感情を見つめて変えようとしてみる。
・歯を磨いている時にぼんやり考えていることを自覚して変えてみる。
・PCを開いて仕事を始める間の1分の中で感じている感覚に注目して変えようとする。
・仕事を始める時に自分がひたっている自分の感情の状態や気持ちに気づき(とくに何も思っていない「無感情」であったりするのだけど、なぜ「無感情」なのかと疑問を持ち)、変えようとしてみるなど。
こういう細かいことをやってみて、発見がめちゃくちゃある。
今1番ホットな発見は、「私は多くの時間を無為に過ごしており、楽しんでもいないしどこにも行こうとしていない」ということだ。自分ってそんなんだったのか!と驚いている。まったく気づいていなかった。いつももっと目的を持っているものだと思っていたのだ。
無自覚。
24時間90タスクほどの行動ログを毎日つけておいて、自分に対して無自覚だった、という発見はなかなかおもしろい。
「わりと自覚している方だ」と思いこんでいたが、その自覚は、「自分の行動」と「イベント的に発生する感情」にしか目が向いていなかった。
自分がいかにぼーっとしているかということに気づく。
「変化をどう起こすか」ということに関心がある自分にとって、こういう発見は未開拓のフロンティアを見つけたような気分になる。
たとえば今noteを書いている私の感情や思考を見てみると。
楽しい感覚はない。集中はしている。口はちょっとヘの字。首がストレートネック。このnoteを書く間、ワクワクしていないし何かの目的意識があるわけでもなく、ただ書こうとしている内容を考えながら、というかそんなことも特に考えることなく、ただ書くことに没頭している。
これは文章を書く時のごく当たり前な感覚に思えるが、これを当たり前ではなくしてみる。
この書いている間にも、楽しさをずっと感じていられたらどうか?自分の仕事をクリアすることに向かう意識を持っていられたらどうなる?どうすればいい記事になるかを思いながら書くとどうか?
そんなことを考えずに無心で書くのも気持ちのよい行動だが、私はそれしかしたことがない。
いつも書くことに悩んで止まっているか、書き始めればわりと無心かだ。(ここの表現は難しくて、正確に言えば実際はもっと細かくいろいろ考えたりもする。無心といっても無心ではない。でも大枠で表せば無心、みたいな。ごちゃごちゃ割愛して「無心」としておく)
とまあそのようにして、私は私の感覚に無自覚だったから、私は私のような文章しか書けなかったのだ。これは良い悪いの話ではない。
ここからさらに支離滅裂かもしれないが、記録に残しておく。
狭義の意味の「改善」というのは、誰でもわりと簡単にできるものだ。既存の自分の延長上にある行動変化や新規行動はわりと容易い。それは習慣が支えになってくれるからだ。
「新しい」自分になる場合の攻略の鍵は、反応でなく反射の領域にあるのかもしれない。
そのための1つは「感じ方を変える」ということだ。そう言われてすぐに変わるわけもなく、まずは「自覚」して「レパートリーを思い浮かべる」だけでも効果はある。
最近の努力で、私は「楽しむ回路」みたいなのがとても少ないっぽいということがわかってきた。
深刻クセ。真面目グセ。サボりグセ。不安がるクセ。ぼーっとこなすクセ。そういう回路が活性化している。
しかしこれらはただのクセであり、これを「楽しむ回路」に切り替えられたら、ものすごいことが起こりそうなのだ。
私はこれまで、「何か楽しいことを体験すれば」「自分が楽しいことをすれば」「それを楽しいと思えば」、物事は楽しくなるものだと思ってきた。当たり前に思うだろう。
しかしその手前に、ウズウズワクワクとした「すでに今楽しんでいる」ような、楽しみのアイドリング状態のようなものがあることがわかってきた。これは「楽しい」という意識のレベルではない。いちいち言葉にするならそれを楽しいと呼ぶ、そういう名前もつけられないようなものを指したい。
この状態に切り替わると、行動への躊躇はもちろん、変化や失敗への躊躇も少なくなる。細胞の微細な振動のイメージで、脳の回路を、反射のパターンを、「楽しさ」に類するものに変えていく。これができればいいのだ。
これをログで実現する。レビューとも言える。より細かな、テキストに書き残す時間すら取れないようなログとレビュー。1秒の中に起こっている意識を、意識の動きを、意識するという仕方だ。
脳内で行うしかない行為、この細かさを意識して変化しようと心がけている最近は、えらい成長を感じる。
いつかこの方法をもっと人が読んでわかるように書きたい。
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