#218C|続・想定通りには行かないけど喰らいついていく|無茶はいいけど無理はよせ

note365日連続投稿チャレンジ218日目。


キツイ縛りプレイを愉しむ

数日前から毎日投稿の連続判定ルールを、noteを書いたら継続ではなく「つくりたいコンテンツを作ったら継続」に変えたのだけど、まったく「無茶しやがって」と、あの日の自分に言いたいお気持ち。ハードルをどんどん上げやがる。

しかし、これをなんとかかんとか食らいついていくから地力がつくというか、力を高められるのだと感じている。なんだかんだ理由をつけてやらなかったらその分停滞する。中学生時代の部活動を思い出す。入部していきなりグラウンド100周。まったく未知の負荷でありえなかったが、縛りがあるからなんとか走るしかない。走り終えないと体育館に入れないのだ(バスケ部)。

これまでの自分の常識ではありえないこともなんとか継続するというなんかしらの縛りがあって、くそでもみそでもなんとしても書き続ける(コンテンツを作ろうとし続ける)ことで何かがたまっていく。


今日を踏まえた明日への改善(意識がけ)

今回のルール変更がなかったら、今日は表noteで「TCAのなう23.9」記事は書けなかった。ルールが「とにかく書く」だけだったなら、適当な記事を上げてOKにしていただろう。

理由は、アパートに帰ったのが24時前で、疲労もあり、明日は4時半起きだからさっさと寝たかった(今は26:00)。そこを「あんた、つくりたいコンテンツを作る、という日常を手に入れたいんでしょ?」という問いで喰らいついた。

なぜ早めに着手しておかなかったのか?今日も予想しえないトラブルがあって、書く予定の時間を含む3時間がトんだためだ。そんなこと起こる?というものだったし、さらにそのトラブルは1時間もせず解決すると思っていたらさらにさらに予想外が連鎖して3時間だ。

それでも、より常時「想定通りにはいかないぜ」と思っておけば、もっと早い時間帯で、隙間時間をゆるっと過ごすのでなくコンテンツつくりに着手はできた。

今、時間と行動の使い方の新しい修行をしている感がすごい。明日は岡山に移動も込みで8時間くらい運転の見通して、仕事とコンテンツにどこで着手するか。運転の合間の休憩に本当に1分でも手を付けて、とにかく集中密度あげることを心がける。BURNING。


p.s.無茶と無理

「無茶」と「無理」は違う。「無茶」はいい。やりたいならどんどん追い込めばよく、はたから見てどんなにキツくても緩める必要はない。一種のゾーン状態に入っているのだ。

しかし「無理」はだめだ。その見極めは心身が健全の範囲であること。心身が、特に心が健やかでないなら休む一択。それでもやり進めるのは「無理なことをしている」と判断し、そのやることは「手放す」方がいい。無理なことをしていると、長期目線でコストに合わないダメージを負ったり、けっきょく周りに迷惑をかけることになる。

この無理と無茶の見極めは、私としては「自分の時間」を生きているか、「他人の時間」を生きているか、という感覚の違いでもわかりやすい。自分からやってんのか、人からやらされてんのか。

「人に◯◯と思われたい」などからの行動も、「人にやらされている」状態もあるし、自分からやってる状態もある。表面的に何をやっているかよりも問題なのは内面の状態。内側においてまったく違うことをしているという点で、一見した「同じ行動」でも人によって様々であることを踏まえておきたい。なんか話題それてきたのでこれで。


✑裏note:30分|1500文字
✑表note:98分|2600文字

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